任天堂のフィロソフィー

京都商法の要  〜歴史と文化〜  風土と工匠  老舗の理法



    "京都商法"とは、この地の歴史と風土に培われ、 今に受け継がれる京老舗の商い法のことをいう。 これは、任天堂の理念の基底を成していると思われる。

    まず、京都の古代から商業の歴史と文化を見ていきたい。




【 秦氏と工芸文化 】


京都盆地は、周囲を山に囲まれ、川と湖にほど近い。 この地で集落を営む人々は、背後の山々で狩猟や植物採集をし、 河川で魚や貝を採って生活を送っていた。 商いの原点は、物々交換であるが、その場「市」としても此の地は成り立っていた。

京都人の先祖が初めて作った工芸品は、 旧石器〜縄文時代の「土器」「土偶」であるとされる。 弥生時代に入るとそれらは洗練され、炎で焼かれて機能性を増していった。

やがて大陸から渡来人がやってくる。 彼らによって大陸の先進的な文化、 手工業中心の産業技術(染織・陶芸・木工等)が伝承され、 その生産基盤が定着した。 そして794年、この地に平安京が築かれる。都へは全国から 優れた職人が相集う。


京焼き 西陣織  友禅染
京都の伝統産業の中でも有名な、織、染、焼きなど京職人(工芸家)による手工業。 この技術のほとんどが秦氏によって伝えられ、御所の工房で生産されることになる。





【 御所・国営工房 】


平安宮廷に住まう皇族・貴族たちは、京中に多くの国営工房を開き、 そこに工匠たちを集め、衣服や物品・日用品いっさいの生産を行わせた。 京都の伝統産業−京染織・京人形・京扇子・京菓子等−は、 宮廷と貴族のため、ここに生まれる。

貴族たちは、大陸からの輸入品をモデルに、それを日本風に改変させた。 御所に携わる職人たちは、ひたすら技術を磨いて製法を研究し、研鑽・工夫を加えて、 王朝文化を彩る最高の製品を作っていった。

織・染・焼など、手工業にはじまる京都の伝統産業は、朝廷や貴族たちに隷属するかたちで、 宮廷文化に育まれつつ、共に歩んでいくことになる。


十二単衣 国風文化(9世紀頃〜)

平安時代、遣唐使が廃止されると、平安貴族たちは繊細で優雅な王朝芸術を花開かせる。 それまで影響されていた中国文化から脱皮し、日本独自の様式が確立された。

国風文化最大の文化発明は、堅苦しい漢字を軽妙にアレンジした 「ひらがな」だろう。また、季節感を表現する「十二単衣」も、 自然を愛で融和しようとする日本特有の着物。





【 見世棚と分業制 】


中世に貴族政権は没落し、官営工房は民営へと切り替わることになる。 彼ら職人たちが朝廷を離れて独自に商売を始めるのだ。 彼らは王宮からの流出品や貿易品に触れつつ工芸技術に錬磨を加えていった。

やがて商品経済が確立、京職人は地方から原料を仕入れ、加工貿易を行うようになる。 その頃、京の通りに「見世棚」(家の軒先に小さな棚を設け、品物を売る)と呼ばれる 店舗の原型が登場する。


室町時代の京都の町並み


見世棚には様々な品が並べられ、それが軒を連ねて町通りが形成された。 都が活気づき、次々に雑多な人々が集まってくると、その多様な需要に応じて品々が作られ、 それが多種の職人を育て、切磋琢磨のなか工芸技術の向上をもたらした。

また、戦乱により絶えず変動する権勢の中で、京の町衆達は 自らの保身術として工業の「分業制」を敷くことになる。 製品作りの諸行程に専門の職人を置き分けたのだ。


鎌倉〜室町期(12〜16世紀)

鎌倉幕府が開かれ、京都の公家が没落すると、自力本願の禅宗が広がり、 現実的・合理的な文化が広がる。肖像画や彫刻は静かで真摯な写実性を 特徴にもつ。

室町期には禅宗が盛んになり、公家・武家の文化が相まって 北山・東山文化が拓かれる。簡素な形式のなかに、 幽遠風雅な"わびさび"の世界を表現する茶道や華道が起こった。

禅寺の枯山水の庭園





【 戦国から江戸時代 】


応仁の乱から京都が復興すると、町は以前にも増して活気に満ち溢れる。 暖簾をかけた店内に商品を並べて売る本格的な店舗が登場、やがて 楽市・楽座(自由取引)の時代を迎えると、城下町京都はいっそう繁栄に沸いた。

さらに16世紀、南蛮貿易が始まる。 南欧諸国・ペルシャなどから日本に初めてヨーロッパ文化が輸入され、 それは京都に集中した。 京の町衆はこうした南蛮文化と交流し、吸収し、新たな技術を身につけ磨いていった。

城下町の発展につれて公家文化と町民文化が溶け合い、 やがて、富を蓄えた京の町衆が絢爛豪華な文化の担い手となる。 西陣織や友禅染が広がるのもこの頃である。


南蛮趣味 安土・桃山文化(16〜17世紀)

戦国大名が栄えた織豊時代、室町文化に対抗するかのように、 豪壮・華麗、賑やかな英雄文化が登場する。 大航海時代に入り南蛮貿易が始まると、京都は ペルシャ・インド・ヨーロッパ、世界中からの産物が集まる坩堝と化した。 武将、町衆たちの間に南蛮風俗が浸透し、やがて 国際色豊かな文化へと発展する。 「カルタ」誕生もこの頃である。





【 近代化への模索 】


幕末の政争を越え、文明開化で西欧の模倣が始まると、近代機械工業化時代を迎える。 京都の工芸界はいち早く欧米の先進的な技術を導入し、外国人研究者を招き、 陶磁産業・染織産業の大胆な技術革新をはかり、それを成功させた。

そして太平洋戦争中も無傷であった京都工芸界は、戦後も 近代テクノロジーを取り入れつつ、他の都市のように手工業の伝統を断ち切ることなく、 機械技術の製品より優秀な製品として高い地位を確立するに至っている。

    京都は革新を図りながら、古来の手工芸の伝統を今にも息づかせているのだ。


幕末〜明治時代

江戸中期、木版画の技術が発展し江戸で浮世絵が人気を博すと、 京都では、精密な写生派の花鳥画などがもてはやされた。 花鳥画は「カルタ」と融合して「花札」となる。

明治に入ると国際交流が盛んになり、 日本文化は、西欧文化に多大な影響を受け大きく変容する。 伝統芸術をもつ京都はそれを見事に昇華し、新しい文化創造の担い手となった。

花鳥浮世絵





京都には、千年の歴史の中で、常に各時代の最新・最高の技術の粋が集められた。 それは王朝以来の伝統技術によって最高最美「京風」のものへと作りかえられていく。 その伝統は今も研鑽・工夫が加えられ、近代工業のなかに活かされている。

京焼きの伝統から生まれた「京セラ」、西陣織からインテリアを始めた「川島織物」、 婦人下着の「ワコール」、精密機械の「島津製作所」、そして花札からでた「任天堂」―――。





【 花札とIC技術 】


明治創業の花札屋・任天堂もまた、こうした京都の伝統を受け継ぐ企業である。 三代目の山内博社長は、京都の諸産業と同じくして戦後「かるた製造」の大胆な近代化を図り、 これを見事に成功させている。

そして1980年、携帯用小型ゲーム機「Game&Watch」で大ヒットを飛ばすのだが、ここに 花札作りの伝統を電子工学に活かした好例を見ることができる。


花札の製作(裏張り)
Game&Watchの製造
*「カルタ」は平安王朝の「貝覆い」に端をみる伝統的な工芸品・京都の地場産業の1つ。
(左図)花札の製法は非常に手が込んでいる。最も精緻な手技を要求するカードである。
(右図)マイコン革命後、花札作りの伝統を精密な先端技術・電子工学(IC)に活用した。



「京都商法」の王道は、このように永年培われてきた知恵と技術の蓄積があって、 そうした伝統の上に新しい発想で先端技術を取り入れ、花を開かせるということ。

    任天堂もまた然り。





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