任天堂のフィロソフィー

山内社長の信念  〜京都人の特質〜  独創の旗印  任天堂の哲理



    ベールに包まれた任天堂の哲理。私はそれを山内社長の言葉から解き明かしたい。 そのためにはまず、生粋の京都人、その特質を知っておく必要がある。

    伝統と革新、その二律背反を背負い、永遠を求めるものの性情を。




矛盾を一身に帯びながら・・・




【 中華思想 】


京都人とは中世以来の京都町人を指す。その先祖の多くは山背盆地に定住した古代人である。 初めてここに渡来してきた文化人が秦族、それと前後して朝鮮から続々と人々が移住してくる。 京都人には大陸の血が色濃いのである。

やがてこの地が都となると、千年以上にわたって天皇が住むことになった。 王城すなわち文華の中枢である。あらゆるものは京都に集まり、ここから全土へ発信される。 庶民にも都人としての気位(プライド)が形成されていった。

そして全国から才子佳人が集まってくる。 彼らの子孫が代々結婚し、時には没落した王朝貴族、また異国の血を加えながら 絶えず優秀な血を取り入れ伝えてきた。それが千年ほど積み重なって、今の京都人がいる。

大陸の血を引き、常に古来・最先端の文化に触れて、教養を身に付けてきた文化的エリート。 京都人には中華思想(天下万民を統率する特権意識)が染み付いている。





【 自衛心・反権力 】


京都は日本の中心としてしばしば政争のあおりを喰った。 源氏と平家、信長と義昭、幕府と尊攘派・・・、 こうした動乱のなかでも、京都をほとんど出ることなく、建て直して生き抜いてきたのが、 京都の町衆、京都人である。

抗争の時、一方に対して義理立てても、そちらが争いに負ければ破滅しかなかった。 それを知った彼らは、権力に対する"義"を捨て、如何にして自らを守るかを第一に考えた。 "小集団の親分にはなっても、大集団の親分は遠慮する"のである。

さらに応仁の乱で町が焦土と化した後、この自衛本能は強烈に働くようになった。 支配者がが誰に交代しても、我が家だけは存続させよう・・・そのためにも 彼らは世の中を舞台裏から"醒めた"意識で見るようになる。情に流されない、冷たい感情を保つ。

同時に心の奥底では、密かに権力に抵抗するレジスタンスの姿勢を崩さず、 出しゃばることをはしたないと戒めているフシがある。

強烈な自衛心、権力に対する抵抗、軽蔑、反骨精神。 京都人のこうした性格は長い治乱興亡の歴史のなかで自然に培われたものであろう。




京の町家「うなぎの寝床」。深く蔵して己を表に出さない構造。




【 表と裏 】


表と裏、建前と本音を巧みに使い分けるのも京都人の特徴である。

京都の人々は他の地方の人々をこの上なく暖かく迎えてくれるように見える。 これは彼らが都人として身につけた社交性(異国文化を吸収してきた)の表れだろう。 が、多くの場合、内心はまず歓迎していない。その自衛心ゆえにだ。(只の金蔓である)

「京都に生まれ育った者の、どうしようもない宿命だろう、 気がつくと表向きと裏向きの表情を身につけている。 どうにかせねばと思っても、そうしなければ、生きてはゆけぬ町なのだ。 誰かに足をすくわれまいとすること、それが私の処世術である。 これは生きる智恵として、体の奥までしみついている。」  〜華道の家元・池坊専永の言葉から

自衛心(自己愛)は排他性を生み、それと裏腹に異質なものを貪欲に吸収する寛容性をもつ。 "排他"と"寛容"。長く苦しい歴史の経験が、京都人の二律背反性を帯びた性格を形成することとなった。

こうした二律背反が同時に現れて、京都人特有の"曖昧さ"と"狡さ"がでてくる。 しばしば彼らは女性的と評されるが、その理由はここにある。 表に見せる仕草と裏腹に、内心何を考えているか分かったものではない。



京都弁について

京都弁は共通語に訳せない。 例えば「いけず」は、"意地悪"とは全然意味合いが違う。もう少し軽く、 高雅な教養を加えて、繊細な暖かさで包みみ、微妙な色気を含ませた京女特有の言葉である。

また、「おおきに」は意味自体が曖昧で、受け取り方が難しい。 "承知"なのか"拒絶"なのかはっきり分からないのだ。 他にも「考えときます」。 京都人に何かを依頼してこれ言われたら諦めるべし。 これはやんわりとした"拒絶"だそうです。





【 合理・個人・自由主義 】


京都人は質素、ケチである。とはいえ、名古屋や大阪のような汚らしいケチではない、 無駄の一切ない、美しく合理的なケチである。

京都は昔から食物が豊かではなかった。それ故庶民はつつましい生活を送らねばならなかった。 悪い材料に見事な加工を施したりと、知恵と教養、工夫と技術で補ってきた。 そうして普段、消耗品には消費を切りつめ質素な生活を送るが、 なにげに高級な(耐久)調度品を置く。"合理性"とともに"一点豪華主義"なのである。

また京都は政治・文化の都であるとともに、学問の中心地でもあった。 今でも京都は大学の町、学生の町だが、 その学風は、学生の自主性に任せた自由主義が多い。

他人に迷惑をかけないことを基本的な条件とした上で、個人主義を貫く。 これを基盤に、創造性・先取り精神を尊重する。これも京都の気風そのものである。






任天堂社長・山内博はこの京都で生まれ、裕福な環境で育った。 そんな彼も若かりし頃、この地特有の重苦しい伝統から逃れんと東京へ脱出した。 彼は広い世界に憧れた。そして法曹界の大物になることを夢見ていた。

しかし祖父が病に倒れ、狭い京都の一介の花札屋、その家業を継がねばならなくなる。 多くの従業員のためにも、智恵を振り絞って、その小さな世界で生きる決心をした。

そう考えると、今まで少なからず傲慢さを帯びていた山内の言葉は、 むしろ自然な達観として受け止められるようになると思う。






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