Epilogue

〜京都に咲いた華〜





任天堂は、京都に咲いた花である、私はそう捉えました。 でも結局のところ、その理念が何かは、分かりませんでした。

ただ、茶や能のように、厳しく定められた型にがんじがらめにされながら、 その中で本当に自由な個性が生きてくることがある。 その型は、四百年五百年といった歳月の中で、無駄が一切ないほど洗練されています。

私は「任天堂」に、その"型"と同じものを感じるのです。

また、よく見ればそこに、人が天地を背負う姿が抽象化されている。 だから、社章も社歌もない、企業理念も掲げない、なぜか、 宇宙意識を象徴する社名がそれ自体であると。

では「天」とは何か、その土台「京都」とは何か、ということになると、 それはもう、宇宙か底なし沼に足を踏み入れるようなものでしょう。




山内社長の座右の銘は「得意冷然、失意泰然」だそうです。言い換えれば平常心、自然体を保つこと。 無駄を嫌い、京都にもこだわらず、奇人と呼ばれる彼は、 「頑迷固陋はいけない」と言って自分の考えすら捨ててしまいます。

そして、「成功したのは、運。」と言い切る。

禅堂に張られても不思議ではない社訓、 「人生一寸先は闇。運は天に任せて、与えられた仕事に一生懸命に取り組む」。 この諦観と楽天性、精進の心構えの奥に、 任天堂の思想が見えるような気がします。

天に任せることで、しがらみや小さなエゴを取り除き、 相対的に自由になって努力を続けることで、未知の世界を拓く創造ができるのだと。 それはまるで、天に向かって精一杯生きる花になれ、と訴えているように映らないでしょうか?

だから任天堂は、いつも未来へ種を蒔く。 いつかきっと芽が出て、新しい花が咲くようにと……。




任天堂の出すゲームを見ていると、 老若男女、初心者から玄人まで、多人数で楽しく遊べるものが多いですよね。そこから団欒を生み、社会に貢献する、というのが任天堂の理念の一つと言えるかもしれません。

先日、ゲームショップで小さな子が3人、わいわい64のオールスターゲームで遊んでいました。 画面を見ると、ドンキーコングがハンマーを振り回して他の2人を追っかけています。 コミカルな音と動き、それをお母さんが後ろで見守っている光景、 それを見たとき、ああこういうのを作れるのはやっぱり任天堂しかいないなあと、 ほのかな暖かみを覚えました。

任天堂には"家族で遊べる"という安心の暖簾があるんです。 新しい創造はもちろんですが、それをこれからも大事にしていってほしい、と思います。



2000/10/28
Written by farthest

〜「任天堂とは何か」という問い掛けがその回答になる〜


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