What is
”BACK-UP TEAM”?




広告  1990年(平成2年)4月1日。
 この日発売になった、今は亡き月刊GAMESTの54ページ。 SCITRONの広告ページでS.S.T.BAND BACK-UP TEAM(以下、BUT)は初めてその存在を示しました。
 BUTの創設者は当時セガ本社内の社員食堂「すえひろ」で働いていたTRY-HAT氏。まだ17歳の少年でした。 (わたしは更に年下でしたが)彼は「First STAFF」と呼ばれる彼を含む3人でBUTの企画を立ち上げ、SCITRONに 話を持って行ったそうです。それからどういう経緯を踏んだのか、詳しいことはわかりませんが、GAMESTの同社 広告ページにて初めてメンバーを募ったのです。

 BUTはファンクラブというよりも親衛隊といった意味合いが強く、主にライブで騒ぐのが活動のメイン だったと言えるかもしれません。しかし、そこはSCITRON公認チーム。ライブ当日や前日は会場時間が例え夕方で あったとしても朝の8時や9時から集合し、機材の搬入やパンフレット折り込みの手伝いなどをしたものでした。 今になって考えてみると、ただの使いっ走りだったのかもしれませんが。(笑)
 しかしタダでこき使われていただけではなくそれだけの見返りはありました。
(以下ここから自慢話兼想い出話です)


日本青年館  最も想い出深いのは、初のGMフェスであった90年のライブです。日本青年館には早朝より集まり、 リハーサル機材を運び込みました。
 この時はロビーにセガとタイトーの最新アーケードマシンが並べられてライブの観客は休憩時間にフリープレイに なるということでした。一仕事を終えてゲームで遊んでいいと言われた我々がセガの「マイケルジャクソンズ  ムーンウォーカー」で遊んでいると、リハーサルを終えたS.S.T.のメンバーがロビーに集まってきたのです。 そして彼らもムーンウォーカーをプレイ。最もハマっていたのは当時、新メンバーのターボ君。S.S.T.メンバーと 一緒にプレイすることができたのには最高に感激しました。 ターボ君は「アオゥ!」と叫びまくり、周りの人間もそれにつられて全員マイケル化。「S.S.T.BAND LIVE!」 のCDを持っている人は是非解説書を今一度開いて戴きたいのですが、最後のページでやまざき 拓氏(誰だ?) が
「その不思議なノリは周囲を包み、しまいにはそこらじゅうにM.ジャクソンがいたのだった。」
と書いているのは正にその時の様子なのです。

サインですー  また、ライブ前に会場に入って各種手伝いをする為、メンバーともお話させてもらえる上にサインを直筆で 書いてもらえる特典付き。わたしは当時ライブに持って行っていたセガバックの裏面にBURNER氏を除く全員の サインを書いてもらいました。(ただし、本名を名乗るようになる前なので、全てライブネーム(?)ですが)
 その他、ライブチケットの優先購入もできましたし、マルゲ屋でのみ販売されたプライベートライブの チケットも購入できました。(しかもHARRIER氏から直筆メッセージ付きで直接リーダーの家に届けられ、 ミーティングの時に配られる)



 BUTの活動の中心であったS.S.T.BANDのライブも、不定期のミーティングも東京で行われていた為に地方の メンバーは活動に参加し辛いという欠点はありました。しかしそれでも遠くは鹿児島から来たファンもいました。 (当時宣伝部副部長をお願いした藤原N製菓(蘭華)ちゃん、元気ですか?)彼女はTHUNDER氏の大ファンで あり、92年のライブの時、急病で脱退してしまったTHUNDER氏に東京を案内してもらったそうです。そして GALAXY氏の実家(床屋)やターボ君の実家(薬局)に連れて行ってもらうという大変貴重な体験をしたそうです。 (わたしは受験勉強の為、それには参加できませんでした。残念!)

 参加し辛い地方メンバーにも参加してもらえるように「Magical Sound Shower」という会報もありましたが、 これも不定期で、中心STAFFが全員埼玉県人ということで内輪ウケのようなイメージがあったことは否めません でした。彼らと何度も会っていてライブの時には行動を共にしていた私などには理解できても、面識もない 地方の人には全くわからないだけの会報だったかもしれません。これは残念です。

 そんなBUTも、リーダーのTRY-HAT氏とSCITRON・他のメンバーとの不和が原因とも言われていますが次第に 中心人物不在の状態に陥り、ライブで仲間が集まって楽しむだけのようなそんな存在になっていきました。 そしてS.S.T.BAND解散と共にBUTも解散(?)。現在に至ります。当時のBUTメンバーの消息について色々と 調査した所、秋葉原の某店にて楽器コーナーで働いているという情報もありましたので、そのうち連絡が 取れるかもしれません。私が新たにホームページという形で復活させたBUTの存在を当時のメンバーが知った ら喜んでくれるでしょうか。そんなことを考えながらページを作っています。






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