本日のお芝居「おとこ三界に家なし」

出演 三次(魁 三太郎)
和吉(えなりかずき)
お由美(野川由美子)
吾平(山田吾一)
金太(桜 金造)
お重(重田千穂子)
お洋(長山洋子)

●あらすじ●
提灯屋・山野屋の主・吾平には女将のお由美と、お重という囲い女がいる。
ある夜、ご用聞き・三次が山野屋を訪れ、「金太という極悪非道の盗人がうろついているから気をつけろ」と忠告する。
それを聞いたお由美は、吾平にお重の元へ行ってやれと奉公人の和吉と共に追い出してしまう。
また、お重の方でも、「こんな時に女将さんをひとりぼっちにしてはいけない」ということで、追い返す。
途方に暮れた二人は夜中歩き続けるが、ひょんな所で金太と出会う。
どうみても三次が言うような極悪非道の盗人には見えない金太と話す二人であったが、三次が金太を発見し追いかけっこ開始。
朝になっても帰ってこない吾平たちを心配したお由美・お重の二人だがお洋の茶店で働いている吾平を発見し、またまた口論に。
そんな中、寝不足でふらふらになりながらも無事に金太を捕まえることができた三次・・・くままで作ってご苦労様でした。
一件落着・・・と思いきや、最後には逆に三次が金太によってお縄になっちゃいました。(^^;


杉浦日向子のおもしろ講座

●本日の間違い点●
*<その一>*
・三次親分が「今晩、物騒だから気をつけなさい」と家々を見回っていましたが・・・

これは御用聞きの親分の仕事ではありません
八丁堀の同心が各町の自身番に通達します。
そうすると自身番にいる月番が町を見回るのです。

この月番の人は町人です。
ですから親分が動くようなことではないんですよね。
また、そういった権限が無いということです。
親分の仕事として、物騒な時にはさりげなく各家を回りまして、世間話をしながら聞き込みをするのです。
とても地味な仕事なわけなのです。

お芝居の中で三次親分が袖の下を要求していましたが、このような事は当時よく行われていました
(これは本日のお芝居で良かった点ですね。)
御用聞きの親分はあくまでも同心の旦那のプライベートな助手なのです。
ということで、お小遣い(プライベートマネーですね。)しかもらっていないので、こういった庶民の方からお心遣いをもらわないと生活できないのです。
それで、御用聞きの親分などは、本業で自分の店などを持っている場合が多いそうです。
こちらで稼いで食べているわけで、御用聞きの仕事だけでは食べていけません。

と、いうことでもう一つの間違い点が出てきちゃいました。(^^;
*<その二>*
・三次親分が金太を捕まえていましたが・・・

あくまでも「同心の旦那のプライベートな助手」なわけです。
お縄にすることはできません
(捕縛権がないということでした。)
御用聞きは、同心の私的な部下であり、自分だけの判断では行動できなかった。

ですから、三次親分は寝ずに金太を追っかけていたのにもかかわらず、「骨折り損」だったわけです。(^^;

大江戸照明事情

本日の舞台は提灯屋さんでしたが、提灯屋さんならでこそ提灯の使い分けができなくてはいけませんでした。(^^;
ということで、実はまたまた間違い一つ追加なのでが・・・
和吉が持っていた長〜い提灯がありましたよね。
あれはいわゆる「小田原提灯」なのですが、お芝居のために二個つないで二倍の長さにしてあったようです。
小さくすることによって携帯できるようになっています。
つまり・・・「昼間出かけまして、夜日が暮れてしまってから帰らなくてはならなかった時の臨時用」なのです。
小田原提灯は。
ゆえに、夜出かける時には、普通のぶら提灯なわけです。
あちらの方が明るいし、使い勝手も良かったので、夜出かける時に小田原提灯を渡すということはちょっと提灯屋さんとしては不自然だったということでした。


広重画 「猿わか町よるの景」
赤瀬川源平の名画探検 広重ベスト百景』より
(赤瀬川源平(文)、講談社、p14、2000/2/25)

広重の描きました「名所江戸百景」の夜景です。
満月がこうこうと出てまして、芝居町です。
芝居がはねまして、おのおの家へ帰る所なのですが、たいていの人は手ぶらですね。
(夜なのに提灯を持っていませんね。)
つまり、月明かりで提灯無しで出歩けるというわけなのです。
左下の方では、ぶら提灯を下げておられる方がいらっしゃいますが、こちらは上等なお客で、芝居茶屋の若い衆にお見送りをされているわけなのです。

絵をよく見て下さい。
影がありますよね。
これは月の影です。提灯による影ではありませんよ。
浮世絵で、影が描かれるという事は非常に珍しい描写法なのです。
それだけ、満月の月明かりを強調して描きたかったのですね。

照明に使う油、ろうそくといった物はとても高価でした。
なかなか庶民の手には届きにくく、豊かになった江戸後期でも大切に使われていました。

現在、手元に資料がありません。
見つけ次第、掲載いたします。m(_ _)m

「江戸府内 絵本風俗往来」より
夏の間は日照時間が長いので、お日様が出ている間にすませることが出来た仕事が、冬になってしまうとどうしても夜なべにまで持ち越されてしまう・・・
そのような時に行灯(あんどん)に火を入れて、縫い物をしているという絵です。

この絵には「冬の夜の縫い針」というタイトルがついています。
夏にはお日様の光によって出来た仕事が、冬にはこういった行灯の力を借りなくてはいけないということです。

もう一つの絵は「お正月の夜のかるた取り」といいます。
蝋燭(ろうそく)の燭台が立っていまして、丸行灯、遠州行灯といいますが、これは有名な小堀遠州が考案したとされている行灯です。

小堀遠州
こぼり えんしゅう
江戸前期の茶人。
三代将軍家光の茶道指南をつとめた。
行灯と蝋燭、二灯立てと言いまして、大変贅沢な事です。
これはお正月だからこそ許された華やかな夜というわけなのです。
特に中心にある蝋燭が高価なのです。
百目蝋燭と言われる、絵にあるような蝋燭のちょっと太い物が一本200文でした。
(当時、そば一杯16文ですからね〜。結構な値段です!かけそばの10倍ですよ。(^o^))
つまり、そのぐらい高価だったので、滅多に使いません。

右側の絵の中の行灯の明るさはだいたいですが、60ワット電球の百分の一だそうです。
目が慣れないと見えないそうです。
私たち現代人ですと、新聞くらいの活字だと読むことができないくらいの明るさだそうです。

照明の燃料には菜種油が一般的なのですが、それよりも安い油に魚油がありました。
鰯(いわし)鯨(くじら)なのですが、とても独特な臭いがあり、臭かったそうです。(^^;

(右の図)
おやつを食われた半兵衛のお仕置き!
名付けて・・・「魚油地獄」(笑)



行灯には菜種油の他、安価な魚の油なども使われていた。
その魚油の場合、フッと消しますと、後々まで臭いが残るので、余った方の芯を引っ張りまして、油の中に入れてしまうことによって消化したそうです。
そうすることによって、臭いも少なくするという知恵と工夫があったということでした。

蝋燭と油では、断然に蝋燭の方が高価です。
火のかかり具合が全然違いますからね。
江戸時代は照明器具、特に炉委右側は大変大事に使われていたという事でした。
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