[angel]
いつも思ってた
どんなに探し続けることだろうって
僕をここから救ってくれる天使を

探してた ずっと


「盲腸だって?」
 白い病室のドアが開いた途端、いきなり好奇そうな声が飛び込んだ。
 退屈に飽きた表情の少年が弾かれたようにベッドから身を起こす。そして声の主を認めると、患者とは思えない程の明るさで破顔した。
「秀、ちょうどよかった」
 何がちょうどよいのかは、云わずと知れたことである。自分が退屈しのぎの餌食になることを察して苦笑しながら、秀と呼ばれた少年は見舞いの紙袋を差し出した。
 少年?─いや、腰程もある金髪と繊細な顔立ちはまさしく少女そのものである。ただ、さり気なく大人びた 声と、少女のわりにはスレンダーな肢体を除けば。
 中性、そんな言葉が似合う少年だ。
 見舞われた少年の方は、秀と同じく十五、六の年頃で、ビロードのような漆黒の髪と目がひどく印象的である。
 彼は嬉しそうに袋を開けると、中を覗き込んだ。
 そして次の瞬間、恨めしそうな声と共に、甘い芳香を放つ熟れた林檎を取り出した。
「…あのなぁ、俺、盲腸」
知ってか知らずか、さも惜しそうに秀がそれを取り上げる。
「残念、しばらくお預けだね」
「…いや、意地でも食べる」
 くすりと笑いながらもその言葉を予期していたように、早速秀は果物ナイフを片手に慣れた手つきで林檎の皮を剥き始めた。
 その姿を眺めながら、彼は拗ねたように云った。
「見てたぞ、窓から」
「何を?」
「さっき中庭で知らない子に薔薇の花束あげちゃっただろ。あれ俺に、じゃないの?」
 ちょっと意地悪げに眉を上げる。それに一向に構わず
「花よりこの方がいいだろ、みのるは」
と、秀は答えた。
「あ、やだなぁ、俺のこと病人と思ってないだろ。お前の作ったピラフ食べてる時ぶっ倒れたんだぞ」
「ふぅん、」
 微妙な表情で目を向けた秀に、えも云われ得ぬ気配を察してみのるは大人しく黙することにした。
 手早く皮を剥き終えた秀は、手の平の上で白い林檎を等分に切りながら、ふと思い出したように訊ねた。
「あ、何か欲しいものない?今度来る時持ってくるから」
 秀の差し出した小皿から、形よく切り揃った林檎をひとつ頂戴すると、みのるは即答した。
「ラックに入ってるMD全部」
「ok」



 あ─
「お兄ちゃん!」
 閑散とした病院のフロアを行く途中、不意に背中から呼び止められて秀は立ち止まった。
「─お花、ありがとう」
 小豆色のソファーに所在なさそうに腰掛ける小さな少年が、大きな瞳に笑みを浮かべている。
 それは、さっき中庭で彼が薔薇をあげた少年であった。
 秀はごく自然に少年の視点に身を屈すると、にっこりと微笑んだ。
「いいえ、ピート。どういたしまして」
 そして、白い柔らかな少年の頬に、軽くキスした。
 瞬間、少年の顔に驚きと嬉しさの色が広がる。
「…名前、覚えてくれたの?」
「勿論。でも、温室に入っちゃだめだよ。看護婦さんに叱られちゃうからね」
「─だって、欲しかったんだもん」
 子供っぽい言い訳に目を伏せるピートを、秀は微笑ましく見つめた。
「入院してるの?」
「うん、ずっと」
 秀はしばし思案を巡らせて、いい考えが浮かんだようにひとつ頷いた。
「それじゃ、今度お花持ってお見舞いに来ようか?」
 いいの?
 無言の少年の瞳がそう秀に訊ねていたが、嬉しさでいっぱいであることは云うまでもなかった。



 ─ ずっと前から 本当は 知ってた


「─ねえ、あの子さ」
 不意にひとりの看護婦が、傍らの同僚に目くばせした。
 その声に促されて彼女も視線を流す。
 一階の玄関口に広がるフロアにひとり、目をひく風体の少年が立ち止まっている姿が見える。
「…あの金髪の子? ハーフかしら」
「そう。さっきから、ひとりで喋ってない?」
 彼女に云われて、注意して見ると、確かにその通りだ。
「…あ、本当。目線が宙に浮いてる」
 最初に気づいた方の看護婦が考え込むように腕を組んだ。
「変ね ─」


 つかまえた


 あまり動いてはいけないと念を押されていたみのるだが、彼が素直に云うことを聞くはずもなく、秀が帰った後のしばしの退屈にもう既に飽きていた。
 白く人気のない廊下をスリッパで歩く、目的の突き当たりの公衆電話に辿り着くと早速みのるは秀の家の電話番号を押した。
「あ、ロレ?」
『何、あんた、みのる?』
 お姉言葉の男の声が応答する。それが、ごく自然に聞こえるのだから奇妙な話だ。
 秀の部屋は仲間内での溜り場で、その原因のひとつが彼の手料理目当てである。察する処、ロレも彼の帰りを待機中のようだ。
『秀ならまだ帰ってないけど』
「二時間も前に帰ったぞ、夕食つくるって」
『知るかっ  ─ あ、今帰ってきた』
 電話の向こうで二、三の会話がなされている気配がする。その間みのるは何気なく真正面に位置する窓の風景に目をやった。
 中庭の庭園が眼下に広がる。温室の中で鮮やかな色彩の薔薇が誇らしげに咲き乱れている。
 ─ あれ、立ち入り禁止のはずじゃ…
 瞬間見逃してしまう程、薔薇に同調しきっているが、ちょうど真中に人がいる。
 その者は、みのるが自分に視線を向けていることを承知の上で意図したかのようにこちらを見上げた。
 そして、涼しげに微笑した。電話の声は聞こえなくなっていた。
 あれは…!
 みのるは、その顔に見覚えがあった。
 実際彼は自分と同じくらいの年頃に、いや、それ以上に見えたが、紛れもなく昼間秀と見かけた少年であると、彼は直感的に悟った。
 彼の新しい記憶がそれと認めたその時、触発されたように突然蒼白く、そして金色の光が少年の身体を包み始めた。
 ─えっっ?

 “みのる”って云うんだね
 電話、邪魔だから切っちゃったけど…
 かまわないよね

 テレパシー?
「─なんだよ、お前…」
 みのるは、鼓動が早まるのを感じた。得体のしれない不快感が彼の足元から這い上がる。

 “お前”とは嬉しくないな
 “ピート”って呼んで欲しいんだけど
 お兄ちゃんの帰りが遅くなっちゃったから友達の君に一言謝ろうと思って

 その言葉が終わらないうちに、閉ざされた窓を越えて見えざる風がみのるの頬を鋭く打った。
「…っつぅ」
 異質な感触に、彼は自分の左頬に指を滑らせる。
 ─ 生温かい血が、まるで生き物のようにぬるりと指先を湿られた。

 君のお友達 とても気に入ったよ

 少年は、みのるの脳裏にそれだけ云い残すと、ついっときびすを返し、かき消されるように薔薇の中へ消えて行った。



続きます。
おいおい11年前の話しですよ、これ。