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10月29日(火) 彼の言うことをききなさい *この1週間くらい、いろんなことでとても心が騒いでいた(いつもこんなことばっか言ってるが)。 そんな中、先週の金曜日に、ある賛美の歌を通して与えられたみことばがヨハネの福音書14章1〜6節だった。 あなた方は心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。ヨハネ14章1節 それでも、うだうだいっているじゅんぽろに神さまはさらに、 これは私の愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。マタイ17章1〜8節 父なる神さまはわたしに、「とにかく、いいからイエス様がおっしゃることを聞くように」と言われたように思った。それは今のじゅんぽろには、具体的にはヨハネ14章のみことばなのだ・・・。そして、それでもまだうだうだ言っているじゅんぽろに対して 信じないものにならないで、信じるものになりなさい。ヨハネ20章27節 はしょって書いてしまっているが、これらのみことばは、金曜日から日曜日の夜にかけて段階的に与えられた。与えられたのは、すべて神さまに「あなたのことばを下さい!今の私の心に必要なみことばを、私が理解できるような形ではっきりとください!」と、祈った直後のことだった。 神さまとの対話の中で与えられたみことばは、本当に大きな力になる。特に、3つめの言葉を、あのタイミングで与えられた時(すみません、私しかわかんない書き方だけど)、神さまとの人格的な、生きた対話をひしひしと感じることができた。神さまの圧倒的な存在感を感じた。やっぱり神さまは生きているんだ。そのことを決して否定することはできない・・・。 **** えっと。沖縄旅行記が終わって間もないのですが、明日から1週間、両親と3人でネパールへ行ってきます。たかぽろが、ホームページのお留守番していてくれますので、みなさんあそびに来て下さいね。 旅の安全をお祈りいただけると感謝です。 10月26日(土) 子供向け伝道集会 *午後、子供向けの伝道集会が教会であり、お手伝いに行ってきた。30人くらい集まったかな。はじめて来た子もたくさんいて良かった。ゲームをしたり、賛美をしたり、スライム作りをやったりと、たのしい2時間だった。 中でもやっぱり今日のメダマは、「おさかな天国」の替え歌教会バージョンでしょう。それにしても、よく思いつくもんだ。子供達も珍しがって?楽しそうに歌っていた。昔、メビックのビデオを初めて見た時、「ちびまるこちゃん」の着ぐるみ着て寸劇やっててぶったまげたけど、最後にちゃんと聖書にオチがつけば、あれはあれでいいのかもね。「おさかな天国」のオリジナルバージョンをたのしそーに歌って踊った後に、教会バージョンも楽しそうに歌ってる子供の顔をみてちょっとそうおもった。 余談だけど、工作やってる時に、小学校2年生の女の子ふたりとの会話。 女の子達「お姉さん、なんさーい?」(とりあえず、ちゃんとお姉さんと呼んでくれたところで、こっちはかなり気分がいい) だって。もう頭なでまくってあげました。いいこいいこ。その後、そのうちの一人の女の子と、さらにこんな会話まで。 女の子1「子供いるのぉ?」 ・・・・あーびっくりした。まさかそう来るとは。最近妹か弟でも産まれたばっかりなんだろうか。 ま、とにもかくにも、みんな明日の教会学校もきてよーーーー。ってかんじかな。<Page頭へ> 10月24日(木) *どうしたのよ。顔は笑ってるけど心がふさいだまんまじゃないの。何か心配事でもあるの? ・・・・・そっか。とりあえず、それをそのまんま神さまのところに持っていってみれば? ・・・・・ふぅーん。でもさ、どうしてためらうのよ。神さまはちゃんと聞いてくれるから大丈夫だって。それは自分がいちばんわかってるでしょ?願っていること、心に思うことを、そのまんま持っていけばいいじゃない。 ・・・・うーん、まぁね。頭ではわかってるけど、ってことか。でも、わかってるならなおさら、神さまのところに行ってあげないと、神様だって悲しむよきっと。「どうして私のところに来ないのか?」って。 ・・・・・大丈夫だって。ちゃんと神さまが良くしてくださるから。心配するなって。 ・・・・・ほら、そうやってずっと「ぶー」って気持ちでい続けるのも、「さぁやるぞー!」って元気に動き出すのも、自分の選択しだいだよ。一日一日、一瞬一瞬の選択の積み重ねが、自分の人生を決めていくんだよ。 パウロさんも言っていたでしょ?「わたしは自分にむちうって従わせます」って。箇所はわすれたけどさ。 自分の感情と関係なく、神さまが言われる、神様が喜ばれる生き方を実行する努力してごらんよ。あ、努力する力がないと感じたら、それだって求めたらいいんだよ。そうやって、一瞬一瞬すごしていったら、神さまはちゃんと良くしてくださるよ。神さまはそういう方だって。 心配しない、心配しない!心配して「うー」ってうなってる時間を、お祈りに使ったほうがずっといいよ。 神さまは、本当に私たちに親しく、すぐそばにいてくださるんだよ。それを忘れないで。神さまは私たちのことをいつも思って、いつも愛して、いつも心配してくださってるんだから。 私たちが泣いていたら、「どうして泣いているんだ。何が悲しいんだ。泣かないで、泣かないで。私がここにいるじゃないか」って、私たちの肩を抱いて、頭をなでて、抱きしめて、一緒に泣きながら言ってくれるんだよ。 神さまは本当に優しいお方だよ。私たちの気持ちを、本当によくわかってくださる。私たちが気がついていない、心の奥にある思いまでわかってくださってるよ。その気持ちをわかったうえで、わたしたちに良くしてくださるんだよ。それを忘れないで。 一緒に祈ろう。神さまの愛が、心を包むように。
イエス様、へこんでいる中でも、あなたは愛を注いでくださることを感謝します。多くのものが与えられていることを心から感謝します。命があたえられ、あなたが養ってくださり、生活ができていることを感謝します。 あなたの愛がよくわかりますように。心配するのをやめることができますように。自分の望むところにむかって、前向きに。元気に努力していくことができますように。神さまが私に望むことをしていくことができますように。 教会を祝福してください。家族を、友達を救ってください。家族の、友達の病を癒してください。心に重荷を持っている友人を励ましてください。働いている兄弟姉妹を励ましてください。 ・・・・・そのほか、たくさんの祈りと願いとともに。 キリストの御名によって祈ります。 アーメン。<Page頭へ> 10月23日(水) * 絶望の中でも、なお主にある希望がある。私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。 「哀歌」は、エルサレム崩壊による深い悲しみを歌った詩です。神殿が崩壊し、人々がバビロンに囚われの身になってもなお、神に希望を見出した、この詩の作者。 ・・・・私がもし、同じ立場に立ったとき、この境地に立てるだろうか、と疑問に思う。 しかし、私がそれを疑問に思っても何をしても、神さまの真実は変わらないのだ。私が信じようと信じまいと、神さまのことばが真実であり真理であることには変わりがない。 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」 ヘブル13:5 ******** 10月21日(月) *毎回こればっかですみません。沖縄旅行記アップです。<Page頭へ> 10月20日(日) *10月17日(木) *10月16日(水) *日曜日から昨日まで、沖縄に行ってきました。例のごとく、また書きます旅行記。例のごとく、ぼちぼちやりますので、気長にお待ちくださいませ。<Page頭へ> 10月12日(土) *”満足”について、思い巡らしていて。 「衣食があれば満足すべき」と聖書にあるものの、満足できないことがたくさんあることが現実。一体どうすれば満足を得られるのか・・・。 ・・・結局のところ、満足は、主に信頼することによってしか得られないのではないか。 神さまは、私の全ての必要を備え、私にとって最も良いことを最も良いタイミングで行って下さる。この、聖書の約束に思いを根ざす以外に、真の満足を得る道はないのかもしれない。 結局やっぱりここにいきつくのか。「主を恐れ、主を信頼する」 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとって全てである。伝道者の書12:13 ********************************* 明日から火曜日まで旅行に行ってきます。帰ったらまた写真でものっけますね。<Page頭へ> 10月8日(火) 明日でなく *明日でなく、今日 イエス様は 明日でなく、今日 ******************************** 昨日行ったユーオーディアのコンサートで聞いた、「あなたに」という曲。その曲を聞きながら、私の心の中ではこんな思いが広がりました。<Page頭へ> 10月4日(金) 祈り *神さま、私に満ち足りることを教えてください。私自身の心が満ち足りていることが、「御霊の実」の全ての始まりのような気がします。 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。 ガラテヤ4章22節 自分の思い通りにならないことはたくさんありますが、その中でも心は満ち足りていたいと願います。 今、手に入れたいと熱望するものが手に入れば、それで本当に満足するか、満足した状態が続くか、と考えるとそんなことはないように思います。 今の状態で私の心が満ち足りないなら、たとえ何を手に入れようと、私の心はきっと満ち足りないと思います。 感謝することを教えてください。感謝し続けることを教えてください。 イエス様の御名によって祈ります。アーメン<Page頭へ> 10月3日(木) 満足を伴う敬虔/否定的な思いとの戦い *昨日の祈祷会で、第一テモテ6章を読んだ。 満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。 第一テモテ6章6節 敬虔なキリスト者を目指そうとして、「敬虔」に見えるいろんな態度や行動を行おうとすることは悪いことではない。しかし、自分の内側にいつも満足がなければ、言い換えれば感謝の思いが満ち溢れていなければ、その「敬虔」はなんの意味もない。一生懸命敬虔に振舞おうとするより、心の満足を求めるべきなのだ。心の満足があれば、敬虔というのはそこにおのずとついてくるのだろう。 この箇所の続きには、「衣食住があればそれで満足しなさい」と書かれている。なんと単純なことか。衣食住以外のことで、なんと不平不満が多い者であるかを、改めて思わされた。 さらにその先の箇所には、「信仰の戦いを勇敢に戦い」ともある。信じれるだけで、もちろん救われるし、永遠の命もいただける。しかし、この世での生活をより豊かに生きて行こうとするなら、信仰は戦いである。何との戦いか、否定的な思いとの戦いである。 「神さまが自分に最善のことをなしてくださる」と信じない思いとの戦い、「神さまは祈りに必ず答えを下さる」ことを疑う思いとの戦い、ねたみの思いとの戦い、怠け心との戦い、仕えることを拒む心との戦い、感謝することを拒む思いとの戦い・・・・、祈りや賛美を拒む思いとの戦い。 上げればきりがないが、日常的なプチバトルから、大きなバトルまで、いろいろある。でも、こういう戦いに勝利した時には、なんともいえない嬉しい気持ち、平安な気持ちを神さまが与えて下さるのも事実だ。戦いの後のその心地よさを知ると、戦いが楽しくもなるのかもしれないな。そんな境地には全く達していないが。 このことが、最近私のテーマになっている。そしてこのテーマを行うことを励ましてくれる素晴らしい賛美がある。かの有名な"Oh Happy Day"である。歌詞をきちんと味わう機会がつい最近与えられ、それ以来私の日々の生活を支える歌になっている。特に、次の歌詞が私の今のこころにぴったりくる。 He taught me how to watch ,fight and pray. イエス様は私たちに、生きるための正しいものの見方、闘い方、祈り方までも教えてくださっているんだ、 と改めて気づかされたときに、 神さまは、なんと私たちにきめ細かく愛情を注ごうと しておられるんだろうか・・・と、感激してしまった。 私たち自身や周りにいろんな事が起こったときに、 それをどのように捉えて見るか。 神の愛と力、最善を信じて平安の心で見るか。それとも神さま以外のもの(環境や、自分自身)を見て落ち込み、心を滅ぼしてゆくか。 イエス様は聖書を通して、前者のものの見方をすることを教えて下さっているのだ! そして、後者とどのように闘うかも! イエス様が教えてくださるんだから、まさしく百人力である。勝利は約束されている。それを信じるか、信じないか。それは私自身に選択権が100%委ねられている。ただ、信じればいいのだ、イエスさまを信じれば。 そんな風に思ってあの歌を力いっぱい歌った時に、言いようもない力がこみ上げてくる。 だから、Everyday is a happy day!! なのか! そうだよな、そうだよな、Amen! Hallelujah!! って叫びたくなるのはそういうことなのだ!ただの能天気ソングなんかではない(byはちこさん)のだ、この歌は! 今も、CDのスピーカから流れている。この文章を書く前、どうもこころに雲がかかっていたが、この賛美を聞いて、やっぱり元気が出た。ハレルヤ!<Page頭へ> |