1999年3月29日の未明。

わたしは泣き叫んでいた。といっても、声にあげてはいない。
一人、まっくらな部屋の中で暴れる衝動と、死んでしまう衝動と、殺してしまう衝動と、戦っていたらしい。
今夜やらなければ、今やらなければ、今死ななければ・・・・・・・・・

部屋の中には雑誌と新聞とがびりびりに破れて散乱していた。
数冊分のその量は半端でなく、部屋中を埋め尽すほどだった。

髪の毛は斬バラになり、体には深い無数の引っかき傷があり、あたまからは血が流れきていた。

「なにがあったのだろう・・・。」

夜明けごろ、ふっと眠りから覚めたように私は今の自分の環境に気がついた。
「いけない。夫が目覚める前にかたずけなくっちゃ・・・」
大慌てでそおっとパパの隣をすり抜けてゴミ袋に大量の紙くずを集め始めた。
間隣のふすまがないために目をあけられてしまうともう、すぐに何をしているのかわかってしまう。
せっせと、大急ぎで、でも確実に紙くずを拾い集めたあと
どかっとその場にへたり込んでしまった。

「何があったのだろう・・・。」

実は、その数週間くらい前から似たようなことが私の周りで度々あったのです。
気がつくとTVはサンドストーム。薄暗い部屋に一人座っていて、きまってそのまわりには散乱した紙くず。
髪の毛は束になって抜けて散らばり、体から血が流れ、
寝ていたと思われるのに目からは涙がごうごうと流れていた。

「何があったのだろう・・・。」
幾ら考えても全く思い出せません。どうして部屋がこんな状況になっているのかも
いつ、自分の体をこうしてしまったのかも、全く思い出せないのです。
確かに、精神的にイライラすることがあるとアトピーがひどくなって全身かきむしってしまうということはよくあります。
でも、今回は全く発作のない所を執拗に彫り込んでいるという感じだし、見える所は全く触らないで
服で隠れる部分だけがボロッボロになっているのです。
状況が全く飲みこめないのでパニックになりそうになり、とりあえず落ちつこうとして
夫のタバコに火をつけてからコタツ布団にもぐりかかった時・・・・

コタツ布団の中に、開いた電話帳があることに気がついた。

それは精神科のページでした。

そのページには私の実家の近所にある精神科の医院の名前が記されていました。
しょっちゅう側を通っていたのでよく知っている名前だから、そこが精神科だということはすぐにわかりました。
なぜか開かれておかれてあったこの電話帳は自分に対するメッセージだと感じた私は
もう一本タバコに火をつけて電話帳を手にとりながらよくよく考えてみた。

「いかなくっちゃ。今日こそ、いかなくっちゃ。私は死んでしまう。」

急にそんな感じにかられ、一瞬ですべての事態が飲みこめたわたしは・・・・・・・・・・
「いかなくっちゃ・・・明日いかなくっちゃ私は死んでしまう・・・」

散乱した雑誌も、新聞も、体の傷も、全部つじつまが合いました。
「たすけて。だれかたすけて。このままでは私、死んでしまう。」
そう思いながらひらめいたのが精神科なら!ということだったみたいです。
回想のなかで精神科ということをひらめいた自分は、電話帳を開き、調べ、明日になったら忘れてしまう自分に
「なんとかこれを見て思い出して、行ってね」とたくして残したようです。

そのまま朝になり、笑顔でいつものように夫を送り出した私は、1日中コタツの中で考えていました。

昼になると、夜に起こったような衝動はなくなって、別に普通なのです。
嫌悪感を抱いているはずの何かは消え去り、ただ、けだるさと眠気に襲われるばかりで
開放感すら感じているのに、どうしてきのうの夜は精神科が必要にまでなったのか。

そこで、電話帳に載っていた精神科に電話して聞いてみることにしてみた。

「もしもし。あの、私おかしくないんですけどおかしいような気もするんです。行った方がいいでしょうか?」
今考えるとかなりお間抜けな尋ね方だけど、こうとしか言いようがない。
すると看護婦さんかカウンセラーは、
「おかしいかどうかは、先生におはなしなさってくれれば先生が決めてくれますよ。」
なるほど。もっともだ。
変に納得してしまって、もう一軒、電話してみることにした。
こういう所は1度通いはじめると次になかなかかわることができないからです。
同じく電話して、同じく伝えると今度は「とにかく来てください」のいってんばり。
「ああ、ここはだめだな。電話してよかった。いろいろな病院もあったもんだ」とは思いつつも
考えてもきまらないのでぼうっとしていると夕方近くまで眠ってしまった。

目が覚めて時計を見るともう4時前。
ああ、夕ご飯をつくらなくっちゃと思っていると、なんだかそわそわと落ちつきがない感じがしてきた。

「あ、この感覚・・・・」
やばい、と察知した。なにかが自分の中で変わってきている。
それはまるで昔物語の中で読んだことのある狼男が月を見て狼に変身するかのように
私の心は豹変していった。

あわてて電話帳を開いた。ふっと目に止まったのは、家のすぐちかくと思われる医院の名前だった。

「ここに行かなきゃ・・・・・・・」
自転車にのり、医院を目指しました。
初めて心療内科というものにお世話になるわけだから、順序だてて何かを話さなくてはいけない。
しかし、自分には先生に何かを話さなければいけないようなことは一つもないのです。
約5分ほどで医院の側に到着した。
あとは数10mの急な坂道をのぼるだけ・・・・・・・。
自転車を押しながらゆっくりと坂道を登っていく途中で少し気が楽になった。
「これで助けてもらえる」なぜかそんな感じがしたのです。

自転車をきっちりと止めて自動ドアをくぐると、そこには緑の多い待合室と、
大きな刺繍で作られた絵が飾られてあった。

受付に保険証を差し出して「初めてなんですけど・・・」というと
奥から年配の看護婦さんが出てきて
「うちはちょっと普通の内科とはちがうんだけど・・・それでもいいのかしら?まぁ、風邪薬くらいはあるけど・・・」
と私に問い掛けてきたので、私は黙ってうつむいた。
それを察知してか、看護婦さんは
「まぁ、そこにでもかけてまっといて。ちょっとかかるかもしれないけど。」
とだけ言い残して去って行った。

待合室は静かで、誰かいたかどうかまでは記憶にない。
ただ、とても静かで、とても座りごこちのよいベンチ式のソファーが、向きを同じくしてきちんと
行儀よく並んでいるのがとても印象的にうつった。

しばらくすると、これまた年配の、今度はカウンセラーらしい女性が私の元に来て
「これに記入してもらいたいのだけど・・・・・・」と、なにやら問診表のようなものを差し出した。
奥にもう一つある待合室に案内され、書きこむ。
内容はあまり覚えていないけれど家族構成や、チャート式の問診だったような記憶がある。
(というよりも、こうして書いているうちにどんどん思い出してくる、というのが正しい)
何時間たったか・・・
医院の一番奥にある部屋に通された。
上等なソファーにかけて、待つ。
落ちつきなく外を見るとそこからは医院の裏にある山がすぐ側に見えて、なんとなく外界と近いような感じがした。

と、ノックがして扉が開いた。
入ってきたのは上品そうな白髪の、Dr.と思われる人物だった。

立ちあがって「おねがいします」私がそういうと、Dr.は「こちらこそ。」そう言ってソファーにわたしを促した。
「たばこ、すいますか?」
そう言いながら灰皿を取り出してすすめてくれたけれども、どうも一服する気にならず黙っているとDr.は
「だいぶ苦しいようですね・・・・・・・・・」
問診表を見ながらそう言った。
「私、自分が分からないんです。おかしいかどうかも分からないんです。とにかく、明日は必ず病院に行かなきゃ
死んでしまうって、明日には行かなきゃ、死んでしまうって思ったらしいんです。でも、次の日になると
全然平気で、忘れてしまってて、でも、夜になるとそう思って、昨日の夜も、そうだったらしくて、でも、朝になると
全然忘れてて、でも、電話帳が開いてあって、それに先生の病院が載ってたんです。だから・・・」

全部言えたかどうかもわからない。
とにかく堰切ったように言葉が出てきて、一緒になって、涙が滝のように流れた。

とにかく、以前の結婚のことから離婚、主人とはじめてあった日のこと、再婚するまでの気持ち、
自分の両親のこと、宗教のこと、交通事故の後遺症のこと、体が上手に動かないもどかしさ、
すべてのことを全部、全部、全部、ぶちまけた。
Dr.はひとつひとつのことにうなずきながら答え、また、私が言葉に詰まると話しやすいように導いてくれた。

すべてのことを話し終えた私は、こんなこと他人様に話して!と少し自己嫌悪を感じた。
先生はそれを察知してか、「話すのは、大変ちからのいることです。よかったです。今日来て話してくれて。」
一言私にそう言うと少しからだをおこしてから
「疲れがだいぶんたまっているのですね。大丈夫。疲れが取れるお薬を出しましょう。
お薬はたくさんの種類があるのでどれが一番あうのかためしながらやっていきましょう。
せっかく、ここに来て助かったんですから、これからどんどん気楽になっていきましょう。」とも言った。

薬の説明を受けて病院を出ると、あたりは真っ暗になっていた。
くる時はカーブが確認できた坂道が、急さを増しているように見えて怖かった。
同時に、家に帰らなければいけないと思うとブルーになって、その頃には自分がどのような所にストレスを感じて
生活していたのか、はっきりと自覚できるようにまでなっていたように思う。
もう、主人が家に帰ってきているかもしれない。そう思うとますますブルーだった。
しかし家はすぐ近所。遠回りも虚しく、帰りついてしまった。

家に戻るとため息が出た。
夫が帰ってきていたかどうかは、忘れた。いや、記憶の端の方にあるのは見えるのだけど
その中にいる私の顔があまりにも夫をにらみつけているのが見えるから、それはそれで、もう、そっとしておこう。
しかし、あまりにもイライラとそわそわとするので今病院からもらったばっかりの小さな白いお薬をさらに半分に
してあるちいさなちいさな錠剤を水も飲まずに口の中に放りこんだ。

2分経ったか、3分経ったか・・・・・・・・・・・・・・・
脳の中が、急にすぅ、っと冷たい風がふいたかのような感覚に襲われた。
それは恐ろしく脳に効き目を与えた。

いま、隣でテレビを見る夫の姿が憎らしく、テレビの機会音が耳障りにウィンウィンと鳴っていたのに
その直後にはもう笑顔で接することができるのだから。

夫は、よくみると元気のない私を少なからず心配してくれている様子だし
夕食も食べていないのに文句も言わないで待っている。
そんな様子まで察することができるようになった私。
あの小さな白い粒一つでそこまで私はかえられたのだ。

覚醒。

25年間生きてきたうえでの、初めての私の覚醒の瞬間だった。

 

現在、私は抗精神薬からは離れて生活しています。
これは、私の神経症との戦病気であり、また夫の私に対する忍耐の期間の話です。
私は、健忘という薬の副作用で当時のことはほとんど忘れ去っていました。

しかし、こう書いていることによって徐々に思い出して行っていることは確かです。

当時の間だけはほとんど日記もつけてなく、思い出されることは少ないのですが。
(先生はそんなこと忘れちゃいなさいと言いますが)


この日の出来事は私の中でも人生を左右した大きな日だったので
ほんの少しだけ記憶があります。
あとは、書いていっていると当時の自分にフラッシュバックしていくんですよね。
それで、ここまで忠実に思い出すことができたのですが、ちょっとはドクターに電話で聞きました。

今思えば、25年間、宗教家庭で生活してきた私は、もうすでにその時点で何らかの
異常な神経が病んでいて潜んでいたのでしょうね。
辛抱することだけで、押さえつけることだけで私を制してきた両親に対し、何らかの感情を持ち、
どこか壊れていたのかもしれません。

そこにきて、さびついていた個所に海水を漬して放置してしまったというか・・・

幼少の頃と同じことが目の前で起こってしまって
自己処理できなかったのでしょうか・・・?

ま、さまざまな要因がいっしょくたになったのは間違いないでしょうね。
人間は多大なストレスが間隔をあけてくることには何とか持ちこたえることができても
次々と一気集中でくることには非常に弱いかもしれません。

それに加えて自分の感情や意思を上手に発言したりというのができないで
だまりこんでしまうと、いつかコントロールできなくなるのでしょう。

会話。
すれ違ったり誤解をうんだりということが多いですけど
会話をするということの必要性をこの一件で知ることができました。
ま、今でもへたっぴですけどね。
のどもとすぎれば熱さをわすれるっていうか