悲しいだけの日々(1998年4月ごろの日記より)



ある日から、私は悲しいだけの毎日を楽しむようになった。
夫とJWについて話し合おうとする毎日だったけれども、夫は怪訝な顔で私を見、質問には無視を繰り返した。

JWの話はもう真っ平ご免だ。

それは痛いほどわかる。
せっかく離れて忘れて生活しているのにこんなに毎日ぶつぶつと言われたのでは不愉快だろう。
カンベンしてくれとも思うに違いない。拷問のような日々と思うかもしれない。
仕事から帰ってきては、その話だ。

しかし、話し掛けているこちらとしてはこれでも最小限に留めて、会話する頃合を図ってみたり
また、内容を1日中検討してみたり、5000の質問がある所を3日に1回の質問回数に押さえてみたり
気のない返事が返って来たりすると黙ってみたり、引いてみたり・・・
それなのに答えてくれないとなるとこちらにも不満は溜まる。

『ああ、そう。あなたは何もかもわかっているから、そういう態度が出来るけど、こっちは何もわからないのよ?』
『そう。わかっていながらにしてそうやって黙ってるんだから、私がどうなってもいいわけね。』
『自分で選んだんろって、言うの?じゃぁ、そうさせてもらっても文句は無いわよね。』
『理解出来るはずがないなんて言いながら何も言わないなんて卑怯じゃない?』
『ああ、私なんかに理解してもらってもどうせ役にもたたないわよね。お役不足ですみません。』
『いいわよ。あなたの離れた組織の人はあなたの気持ちを理解出来るんでしょうね。私はわからないから。』
『こんなに側にいるのに、しらなくってもいいということは、私が何を慰めることも無理なのね。』
『じゃぁ、必要ないんじゃない。いいときだけ一緒にいればいいのよ。夫婦の意味なんてないわ。』

とにかく、毎日そう思っていた。
顔を見るたびに、この人にとって私は必要ないんだなって思った。そして、必要ないんだからって、言い聞かせた。

そうするうちに、一緒のベッドで眠ることも、一緒に食事をとることも虚しくなっていった。
特に私のことなんて必要とされていないのに、洗濯をすることも虚しくなっていった。
いってらっしゃいというのも、おかえりなさいというのも、虚しい。
銀行に行ってお金を振り込むことも、買い物に行って夫の好きなものを買うのも、
休日に一緒に過ごすことも、子供をしつけしていい子に育てることも、電話に出ることも、
カーテンをあけることも、なにもかも、なにもかも、なにもかも。

全部虚しい。

ある日、虚しかっただけのその思い・・・・・・・・・あることに気がついた。
「これって、虚しいんじゃないよ。私は必要ないんだから何をしても無駄なんだ。」

無駄。
素敵な響きだった。
そう、私は夫のコトなんか理解できないでいて傷つけてばかりいる存在なのだし、理解する必要もない
都合のいいときにいるだけでいい存在なのだから、こんなに何もかも夫中心にして生活を支えていくことは
『無駄』なのである。

そうわかった瞬間、またひとつ扉をあけてしまった。

昼間は、何をしていたのか全くわからない。
夕ご飯は、とにかく夫の分だけどうにか並んでいたような気がする。
夜になると・・・・・・・・・・・・・・・

それでもやっぱり、理解させて欲しい思いがあふれて虚しさでいっぱいになった。

寝てる夫の横顔を見るとますます増して、自分の無力さと偽善的言動と取られている思想に嫌気がさして
もうこのままどこかに去っていきたい、いなくなってしまいたい、消えたい衝動にかられた。

義母と上手に付き合いたい。
毎日JWとして働く義母をどうにかして欲しい。
私の子供はそんなに馬鹿なのですか?
夫の子供時代の話なんてしないで!
だったら戻っておいでと言えばいいじゃない。
あなたも戻ってあげてよ!
あなたの為にと思うことはさしでがましいのね。
だからお義母さんはあなたの気持ちがわかるのでしょう?
何もしてあげることのできない自分がはがゆい。
僭越って、どういうことですか?
もう、消えてください。
私はそんなに不品行ですか?
なにがそんなに変わって見えるのか教えてくれないの?
教える値打ちもないのですか。



まぁ、いい。
ここを出ても私には帰る家さえもないのだし
私を入れてくれるところもないのだから。



毎日、毎日、毎日、毎日、毎日。

必要とされずに飼い殺されている私の人生を虚しく思うのは悲しかったから
何の理解も求められていない、理解したいと思う気持ちも認められない自分の人生を虚しく思うのは

本当に悲しかったから。

好きだから。
愛してるから。
だれよりも大切にしたいと思ってたから。
理解できるはずがないと言われたのが悲しかったから。
理解できるようにと話すら聞かせてもらえなかったから。

わたしはこのまま無駄を省いてここで死にます。
理解しようとすることが無駄なのだから。
あなたを愛することが無駄なのだから。
あなたの側でいることが無駄なのだから。
あなたの為にとおもうことが、無駄なのだから。

すべて、すべて、すべて。

私の人生はあなたの為にあるものなのだから
あなたがあたしを無駄だというなら、あたしの命は

無駄でしかありません。

 

 

さすがに今はこんなことないですよ。
でも、当時はそう思ってました。

彼も、いいかげんうざったいと思ってたようだし、たしかにせっかく離れているものを
四六時中聞かれてもどうにもならないし、義母は確かにJWではあるけれどもそんなに悪いことをしているわけでもないのに
という考えから、めっちゃ反対者のように聞こえたのでしょうか?

私的には反対はそれなりにしましたが、悪意はなく、子供の教育の面とかに
やっぱり影響するしどうのこうのでいろいろありましたからね・・・・・

一番つらかったのだろうと思われることは
「理解できるはずなんてないのだから、もう口を出すな」でしたね。
こっちとしては少なからずともお義母さんに対し、気を使い(規制のある宗教ですからね)
子供たちもいいかげん、「エホバを信仰しないから(おりこうさんでないのは)仕方がないじゃない?」と笑顔で言われ〜の、
どこまで辛抱しても、あなたは何もする気がないのですか?
それとも、これ以上できない、言えない理由は何ですか?という感じでしたから・・・・・

もう、のさばらせとくのはいやだ!という感じでしたね。

今はそんなことにも慣れましたけど、やっぱり、いまだに子供のこと言われるとさすがのあたしでも
ぶちきれそうになります。(子供には笑顔で接して甘やかしてくれるのですけど、アトで言われますからね)

そんなことを必死に訴えかけても訴えかけても、「しかたないだろ?」というような
顔をして終わり。ひつこくいうと「どうしろっていうんだ!」と怒鳴るし、
「閉じこめてでもどうかしろって言ったらするのかよ!」としか言えませんでした。(あはは

つらかったんですね・・・
夫もどうにも出来ないとわかってながら、それでもどうにかして欲しい嫁の立場。



今でこそ夫もよく話を聞いてくれていやな顔一つしませんけど、夫は夫でいやなこともあったのでしょう。
いやならいやで、「ここがいやだ!」と最後まできちんと主張すればいいのにね。

でもこれ、過ぎ去ったことではないのです。
これからもずっと続いてくことなんです。
お宅のNON−JWさんはどうですか?
いろいろとお話したがってませんか?きっと、不安なんですよ。

あたしはこんなことしか出来ませんが、どこのご家庭でも似たことはあるはず。
ウチだけじゃないのね、と思って頂いてもかまいません。
だからうっとおしいんだよ!と叫んでくださってもかまいません。
ただ、経験を経験としてかいてるだけです。
感想、聞かせてください