1998年9月。

お義母さんと私は、子供が夏休みが終わって幼稚園がはじまったら
ものみの塔の書籍を研究することを取り決めていた。

そして、9月。
それは毎週水曜日に行われる事になっており、ついにその日は来た。

義母が来る前にとにかくよく祈り、祈り、祈り続けて迎えたのだけど、
いざとなるとやはり怖い。

エホバの証人的思考になりやすいようにできてる書籍だということは
じゅうじゅう知っていたので警戒している自分に震えがきているのがわかる。
平静を装いながらも体は身の毛がよだち、頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
緊張。また、それともちがう。

はじめのその日はことなく、終わった。

第2回目。
事件はおこった。

疑問を投げかけて答えを求めていると、ついに義母は悲しみをあらわにしてきた。

書籍をテーブルに何度も何度も叩きつけながら義母は泣き叫んで
ついには振りかえりもしないで帰ってしまった。
その時にきいたその義母の思いは
私の心をすっかりと押さえこむのにはぴったりの言葉だった。

息子との想い出。
組織との葛藤。
私に対する思い。

今ここで文字にしてしまうことすらはばかられるその義母の一言ひとことは
私の胸にしっかりと染み付いて、今も、当時に資料として残すために録音してあったテープを眺める度に
私の喉元を締め付けてくる。

私の知らない所での母子の関係。
また、信仰への思い。

私だってだてに信仰をもって生きてきたわけではないので
自ら信仰の道から離れていった息子の後姿を見送った義母の気持ちが分からないわけではない。
むしろ、よくわかっているつもりだった。
しかし、私のその思いと裏腹に
義母は、もう一度愛息にたいするあきらめの念を強くしなければいけない結果になってしまった。

なにもかもは私自身のおごりと高ぶりの結果だった。
その私の行動が義母を、また、夫をも傷つける結果になってしまった。
そう思うと、悔やんでも悔やみ切れるはずもなく
ただどうとり返しもつかないという事実だけが残って私をしめつけた。




ただ、漠然と疑問を疑問としてぶつけるということが
これほどまでに難しいとは思わなかった。

ある意味、エホバの証人の人は誠実だと思っていたのできっと、問いには答えてくれる事と信じていた。
しかし、それはサタンに阻まれた。
繰り返される罵声に、私はすっかり取り乱してしまい
自分の行き場所を見失った。

もしかすると、生きてきた中で初めての挫折感をここで味わったのかも知れません