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その四 二人椀久(ににんわんきゅう)

椀久さんはキチガイです
気が狂ったまま巷をフラフラと歩いております
椀久さんは何故狂ってしまったのでしょうか

椀久さんの人生について当時の人が書いた物に
「椀久末松山(わんきゅうすえのまつやま)」
という浄瑠璃と
「椀久一世の物語(わんきゅういっせのものがたり)」
という浮世草紙があります

「椀久末松山」によりますと
椀久さんというのは大坂の豪商「椀屋」の一人息子で
久兵衛という名前だったんだそうです
椀屋久兵衛・・・略して「椀久」です

豪商
・・・スゴイ言葉ですね
イマドキは誰も使わない死語ですが
「豪商」というからにはよっぽどの大金持ちだったんでしょうね
その
豪商「椀屋」の一人息子・・・

お金のある男が、一体何にそのお金を使うかといえば
大体は「女」に使ってしまいます
自分が苦労して、汗して稼いだお金でなければ尚更です
この
「椀屋」の一人息子も御多分に漏れず
店の従業員の苦労も考えず
新町という廓の
松山太夫という花魁に入れ揚げて
カッコつけて節分の豆の代わりに金を撒いたりして
ムダというかアホというか・・・なお金を蕩尽します

そこへ
椀久さんのお父さんがやって来ます
お父さんは久右衛門さんといいまして
豪商「椀屋」のあるじです

なんで父親の久右衛門さんがこんな所へやって来たかと言いますと
実は息子の
久兵衛さん
店の売上金五十両をチョロマカしてまして

それがバレて親が説教に来たワケです
父親の久右衛門さんは怒って
その場で息子の
久兵衛さんを勘当してしまいます
う〜ん、なんかセコイというかミミッチイ話ですね
五十両といえば確かに大金です
ですが、
「椀屋」は豪商です
その豪商の跡継ぎが五十両の金で勘当・・・

なんだかスケールの小さな話ですね

話は反れますが
「豪商・・・といえば紀文(きぶん)」と相場が決まっています
一応お断りしておきますが「紀文」というのは
カマボコ屋さんではありません
「紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)」
という江戸の材木商でして
蜜柑船で大儲けして豪商と呼ばれる様になりました
この紀文、なんで有名なのかと言いますと
江戸の吉原を総揚げにした・・・
という後にも先にも例の無い事をしたからです

江戸時代、吉原には最盛期で
約七千人
紀文の当時でも
二千人程度の遊女が居りました
ところが、吉原に居る人ってのは
遊女だけではありません
遣り手、禿、男衆などを含めますと
それこそ途方も無い人数になります
その吉原を一日全て買い占めたんですから
その代金たるや如何ほどか・・・
紀文・・・まさに大尽遊びここに極まれり!
といった感じですね
「大騒ぎ 五丁(吉原の事)に客が 一人なり」
という川柳は、この紀文の事です

豪商といいますと、他にも
「奈良茂(ならも)」と言う人がいます
「奈良屋茂左衛門(ならやもざえもん)」です
この人は、吉原で遊んでいる友人に蕎麦を贈ったんですが
何で蕎麦なのかと不思議に思って調べさせてみたら
吉原の全ての蕎麦屋を買い占めて
店を閉めさせており
実を言うと蕎麦一杯が非常に高価な贈り物だった・・・
という話の持ち主です

紀文や奈良茂の大尽遊びには
どこかスケールの大きさや粋さが感じられます
(アホな話には変わりありませんが・・・)
それに比べて椀久の
「節分の金撒き」「五十両での勘当」・・・
なんだかシミッタレた話だと思いませんか?

その後、この
椀久さん
親に勘当されたにも拘わらず
妻の実家の
座敷牢に監禁されてしまいます
普通、勘当といいますと
親は勿論、親類一族からも絶縁されてしまうのですから
妻の実家に監禁される・・・
というのはおかしな話なんですが
もっと驚いた事に
この座敷牢に、
椀久の恋人の松山太夫が
廓を抜け出して
、しかも家の塀を乗り越えて
椀久さんに会いにやって来ます
そして、そこで
椀久の妻と鉢合わせになりまして
お互いに喧嘩するでもなく
涙ながらにお互いの
椀久に対する情を
褒め称え合いまして
「私の愛は、貴女にはかなわない・・・私は身を引きます」
ってな事で
椀久さんを譲り合いまして
一人オロオロする
椀久さんをよそに
妻は死のうとしますし
松山太夫は、田舎の客の身請け話を承知する事にして
去って行くのです

・・・リアリティーの無いお話ですネェ
どう考えてもヘンな話だと皆さんも思いますでしょ?

そして、この事がショックで
椀久さんは気が狂い
死のうとする妻を尻目に
松山太夫を追いかけて座敷牢を抜け出して
巷をフラフラと歩き廻る事になるのです

・・・って椀久さん!
ナンボナンデモ貴方、ひ弱過ぎます!!


この作品は、紀海音(きのかいおん)という浄瑠璃作者が書いたものでして
あくまでも
人形浄瑠璃の舞台用に書き下ろしていますので
短い上演時間内につじつまを合わせようとして
かえってこんなヘンテコリンなお話になってしまったんでしょう
不条理な所は、浄瑠璃語りの歌や
人形遣いの腕でカバーしてもらって、
最終的に
椀久さんが狂ってしまった事に関しては
「椀久さんはそれほど松山太夫の事を愛していたんだ!」
の一言で押し通してしまったんですね
・・・ちなみにこのお話、最後はハッピーエンドで終わります

一方、
椀久さんについて書かれたものに
「椀久一世の物語」というものがあります
これは浮世草子という、いわば昔の小説でして
井原西鶴(いはらさいかく)さんの初期の作品です
この
「椀久一世の物語」によりますと・・・

椀久さんというのは、大坂の堺筋の
「椀屋」のあるじ、久右衛門さん
・・・先程のお話のお父さんの方・・・でして
椀屋久右衛門、略して椀久という事になっています
ただし、年齢はこの時
29歳の若者でして、子供は居ません
そして、この「椀屋」も、決して豪商なんかではありません
普通の商家です

なんだか随分
「椀久末松山」とは趣が違いますね

親が死んで、店を継いだ
久右衛門さん
蔵の中に
親が貯め込んだ財産を発見します
ここから
椀久さんの廓通いが始まるのですが
親の遺言がありまして
「我が家は決して大金持ちではないのだから、贅沢をしてはいけないよ」
と、キツク言い渡されておりました

ですが、大金の発見に気を良くした
椀久さん
親の遺言なんか綺麗さっぱり忘れてしまって
始めは手近な遊女から、そして、ついには
新町という大坂一の高級遊廓に毎晩のように繰り出して
金を湯水の如く使うようになるのです

「椀久一世の物語」
には、先程の金撒きのお話や、他にも
「今日は正月にしよう」と急に言い出して
店や遊女達に正月支度をさせた話
鷲の尾山という桜の名所に
多勢の禿達を男装させて御輿にかつがれて登った話など
椀久さんの贅沢振りを語るエピソードが
いくつも載せられています

高野山の奥の院では急に「アリガタイ気持ち」になって
「あぁ、俺は今まで、何という馬鹿な事をしていたんだろう・・・
よし!今日限りこんな馬鹿な遊びはやめて
真面目に商売にとりくもう!!」
などと改心したりもしますが
帰り道に綺麗な遊女を見つけて
そのまま
三日間ドンチャン騒ぎをしてしまったりと
ナントナク憎めない一面も見せてくれます
アホな事をしているのに変わりはないのですが
この
「椀久一世の物語」の椀久さん
どこか人間性を感じさせてくれます
派手に遊ぶ癖がついてしまったら、周囲の手前
引くに引けなくなってしまった心情も
なんとなく感じさせてくれます

やがて・・・
こんな遊びを続けていては家が傾くのも当然です
椀屋は、段々経営不振におちいり始めます
そして、その頃に出会ったのが
松山太夫だったのです

松山太夫に入れ揚げる椀久を見て、妻は
「このまま廓で遊び続けるより
松山一人を身請けした方がずっと安上がりだ」
と判断しまして、
椀久さんに身請けの金を渡しますが
これもアッという間に使ってしまって
もう身請けの金も工面出来ない・・・
妻は心労が募って病気になり死んでしまう・・・
店は倒産・・・
と、立て続けに椀久さんに不幸がのしかかるのです

(自業自得ですが・・・)

それでもまだ
椀久さんは狂いません
しぶとく家や家財を売り払って
安女郎と所帯を持ったりしますが
ついにその安女郎にも愛想を尽かされて
一人惨めな
乞食にまで身を落とします

ある日昔の友人が、
見るも無惨な椀久を見つけて同情し
「何かしたい事はないか?」
と尋ねてやりますと
、椀久さん
「新町に行きたい」
と言い出します
そこで、友人は「よし来た!」とばかりに
椀久を新町廓に連れて行ってやりますが・・・

昔、お大尽遊びをした
椀久は、今ではすっかり落ちぶれて
昔の馴染みの遊女達の前で
まるで見世物の様に座敷の隅に畏まって座って
一人ブツブツと
「来るのではなかった・・・来るのではなかった・・・」
と、つぶやき続けています
すると、ある遊女が
松山さんは貴方の事を随分心配していたんですよ・・・
身請けされるギリギリまでね・・・」
という様な事を言うのです
それを聞いた
椀久さん
急に立ち上がり座敷を飛び出して
そのまま気が狂って、どこかへ行ってしまうのです
この時、初めて
椀久さん
松山が身請けされてしまった事を知ったんですね

その後椀久さんは
大坂の名物乞食になります

なんで名物なのかと言いますと
この乞食、めぐんでもらった金で
、ワケのわからない無駄遣い
(例えば駕籠を三丁も止めて、空駕籠を引き連れて
意味も無く住吉詣でに行ったり・・・)をしたり
すぐ、他の乞食達にお金を配ってしまったりするので
この人の周りには、オコボレ目当ての乞食達が
ゾロゾロとついて来ていたんだそうです

「椀久一世の物語」
の最後は
狂ってしまった椀久さんが川で溺れて
ワケのわからない事を叫びながら沈んでしまう所で終わっています


いかがですか?
同じ
椀久さんのお話でも
「椀久末松山」「椀久一世の物語」では
随分と違います
私は個人的には
「椀久一世の物語」の方が好きです
ですが、どちらの話が実際の
椀久さんに近いかは
私にはわかりません

ちなみに後世有名になったのは
「椀久末松山」の方です

これは何故かといいますと
「椀久末松山」は人形浄瑠璃用に作られたものでしたので
構成が芝居形式になっておりまして
歌舞伎に転用するのがとても簡単だったからです

それと、もう一つ忘れてはならないのは
当時の人たちの好みです
「椀久一世の物語」では、椀久さんが狂うまでに
条件はイヤと言うほど揃っています

妻の死・店の倒産・新町での生き恥・・・
ここには書ききれませんでしたが、
「椀久一世の物語」では
乞食になってから
椀久さん
相当惨めな思いを沢山しています
つまり、いつ狂ってもおかしくない状況だったのです
そこに
松山の身請け話が出てきて
最終的な引き金を引いてしまったワケです
この様に、
「椀久一世の物語」
非常に理路整然としていて解かりやすいです
ですが、そこに
「一途な想い」というものがありません
それに対して、
「椀久末松山」は
作品としては未熟というか
非常に不完全な物語なんですが
そこに
椀久の松山に対する「一途な想い」
入り込む余地があったワケです
江戸時代の人達は、そういった「一途さ」に感動し
アホでひ弱な椀久さんに
愛情深い眼差しをそそいだのです


この時代は人形浄瑠璃の全盛時代ですが
この後、歌舞伎がそれを凌ぐ勢いで大人気になる時代がやって来ます
そして、やがてその歌舞伎の派生作品として
色々な作品が作られる様になります
長唄の「二人椀久」も、そのうちの一つです

この曲は
、椀久さんが狂ってしまってから
松山太夫を追い求めて彷徨う姿をクローズアップした作品でして
椀久さんの夢幻の中に松山太夫が現れて
二人で仲睦まじく舞い戯れる・・・

といった内容になっています

では、何故「
二人・・・」なのかと言いますと
どうやらこの曲が出来た時には
一人の役者さんが
椀久と松山の両方を
一人で演じ分けた踊だったようです
その後、踊り手は二人になり
椀久と松山の相舞いになりますが
この時でも二人は、似たような姿をして同じ振りを踊る・・・
という事になっていまして
そんな事からこの曲は
「二人椀久」と呼ばれた様です

ちなみに、私の所属する西川流では
先代の御家元、
西川鯉三郎先生が
フラメンコでしたかタンゴでしたか・・・を観ていて
ひらめいて振りを付けた・・・
といった様な話を、私は聞いております

さて、ここまで長々と読んで下さった方
随分お疲れになりましたでしょう
有難う御座います
私も少々疲れてきました・・・
そこで、ちょっと強引ですが・・・
今回の結論!!

「贅沢はホドホドにしましょう!!(?)」

「二人椀久」
でした!