剣山  誕生の謎に迫る  

前編

 

中尾山高原より剣山を望む


2003年9月3日、かもかもは四国東部の最高峰、剣山(1955m:徳島県)へ出かけました。

本当はいっぺん走ってみたかった「剣山スーパー林道」を走破するつもりで勇んで出かけましたが、大雨による林道の土砂崩れのため、急遽行き先を剣山山頂に変更しての気まぐれで気軽な登山でした。
周囲は熊も棲息する深山幽谷ですが、登山リフトで標高1700m付近まで運び上げてもらい残りの標高250mを徒歩で登るだけのお手軽登山ですから、かなり年配グループの方々も沢山いらっしゃいました。


登山リフト

持ち物がコンパクトデジカメひとつという若いカップルに会ったときには、軽装のかもかももさすがに驚きました。確かに登山という感覚は全く有りません。

しかしこの時、得体の知れない剣山の魔力に取り憑かれ(実際、何かに取り憑かれました。詳しくは日記「2003年9月15日 」を御覧あれ)以後この場所に何回も足を運ぶことになろうとは、その時はまだ、夢にも思っていませんでした。

 


大剣神社の岩


「剣山登山リフト西島駅(上の駅)」から頂上までの登山道のそこかしこに転がっていた白い石。その混じりけの無い純白の石を見たとき、かもかもは暫く立ち尽くしてしまいました。
「剣山」という名前の元となったと言われる大剣神社脇の天を突くような大岩も、山頂の宝蔵石や次郎笈に続く登山道に点在する岩も、風化しているけれど、もともとは真っ白な岩だったに違いありません。


登山道に転がる白い石


たった今割れて道に落ちてきたばかりと思われるような平らな白い石を眺めながら、この石は一体どこからやって来たのだろうと考えました。祖谷川や吉野川の河原にある青みがかった岩とも少し様子が違うようです。
山全体がこの石と同じ純白の岩石で覆われている事を想像するだけで、いかにも霊峰に相応しく思わず身震いしました。


笹に覆われた山頂


剣山とそれに連なる一連の山々は、女性的でなだらかです。特に剣山山頂部は平たんで、平家の落ち武者が来たるべき日のためにここで馬の訓練をしていたと言う伝説にも思わず納得してしまうほど、広々とした笹原です。
グループでやって来た人たちは山頂に続く板張りの遊歩道で思い思いに敷物を広げ、広々とした笹原と向こうに続く山並を眺めながらお弁当を食べたりお昼寝をしたりと、思い思いに寛いでいました。
「剣山頂上1955m」と書かれてある標識の横に立ってさえ、四国の中でも最も奥深く最も標高の高い場所に登山して来たという実感は全くありません。


測量中の山頂

山頂のパノラマはこちら 


しかし周囲は全国有数の降水量があり、地質も脆く崩れやすく険しい谷が刻まれている四国山脈です。
そんな過酷な環境の中にあって、最高峰がなぜこのようになだらかで穏やかな山頂のまま残されているのか、どうしてもその謎を知りたいと思いました。

地学の知識など全くないかもかもですが、日頃の怠慢と老化で錆び付いた頭に鞭を入れて、およそ二か月半、PowerBook君をお供に高速道路で20分の岡山大学付属図書館に通いました。

倉敷中央図書館では、地質図など資料撮影の許可を頂きました。また倉敷博物館の学芸員さん(地学担当)からは、岩石に関するレクチャーを受けました。

最初は用語ひとつからつまずいたかもかもですが、図書館に通い本を読み進めてゆくにしたがって理解も深まり、その内容をどうしても実際に目で確かめたいという衝動に駆られ、結局ふた月の間に6回、剣山とその周辺に足を運ぶこととなりました。


国道193号線と剣山スーパー林道との分岐点


その結果、剣山は地球の大きな営みの中、いくつもの偶然と幸運が重なってそこにあることを知りました。

同時に、なぜ四国山脈が険しいか、崖が脆く崩れやすいかなど、かもかもがずっと抱き続けていた四国山脈への疑問も解決することなりました

こういう訳で、剣山と美しい石を産するその周辺の興味深い成り立ちを、皆様に是非知って頂きたいと思い、Geographic Galleryに掲載致しました。



 (1)プレートテクトニクスと付加体 

プレートテクトニクスによって誕生した剣山

紅葉の中に見える山頂


皆様も良くご存じのプレートテクトニクス。大陸側のユーラシアプレートの下に海洋プレートが沈み込む、マントル対流にともなう地殻の動きです。
近々やってくると言われている東海、東南海、南海地震の元凶とされ、すっかり私たちにもお馴染みとなっています。
最近では2003年9月26日に起こった十勝沖地震でまた注目されました。

プレートテクトニクスはドイツの気象学者ウェゲナー(1880〜1930)が1912年に提唱した「大陸移動説」が発端となっています。アフリカ西海岸線とアメリカ東海岸線がほとんど重なる事に気が付き、古代生物化石の分布を手がかりにジグソーパズルのように「古代超大陸パンゲア」を再現した彼の学説にはかなりの説得力があり、一大旋風を巻き起こしましたが、当時はそれを決定的に裏付けるマントル対流など、地球のメカニズムがまだ解明されていませんでした。そのため海底基盤に大陸隗が浮かんで移動するとした彼の説にはどうしても無理があり、「大陸移動説」熱は徐々に冷め、そのうち忘れ去られました。
しかし彼はあきらめること無くその後も学説の裏付けを探し続けましたが、グリーンランドを探検中に志半ばで亡くなってしまいました。

その後1950年代、地球物理学の世界では「古地磁気学」がブームとなり、多くの地球物理学者によって地殻に刻み込まれた地磁気の解明が進みました。
その結果、1960年代にはすでに「地球の表面は水平移動する数枚のプレートでできている」とするプレートテクトニクスの基礎が確立していました。
1973年の東宝映画「日本沈没」に、現・東大名誉教授 ・竹内均氏(地球物理学)が登場して「海洋プレートの沈み込み」について説明していた場面を見て、新しい学説にかもかもはワクワクした記憶があります。

衝突するいくつかのプレート運動で生まれた島弧である日本は地の利があり、この研究分野で世界をリードしていたにもかかわらず、にもかかわらずですよ、「プレートテクトニクス」への抵抗は根強く(なぜじゃ?)最も標準的な考えとして「プレートテクトニクス」が日本の教科書に記載されるようになったのは驚くことに、1990年以降(!!)のことです。したがって、これから述べる「付加体」は、大変新しい説ということになります。

後述しますが、私たちが学校で習うことの無かった四国の背骨を形成する「低温高圧型変成岩」は、実はこのプレートテクトニクス抜きでは説明できなかったのです。ハッキリ言って、これには大変驚きました。

晴れてお天道様の下を歩けるようになった(?)「プレートテクトニクス」は現在、地球の内部構造や環境を総合的に解明する学問「プルームテクトニクス(何と何と、プレート運動によって地球深部へ引き込まれる海水が、大陸分裂の引き金ともなる突発的大規模マントル対流:スーパープルームの原動力となっている。スーパープルームは気候・大気組成など地球環境にも多大な影響を及ぼし、生物の大量絶滅や進化の要因とも考えられている。)」へと目覚ましい発展を続けています。


付加体とは何か

海洋プレートは、マントルがわき上がる背骨のような海嶺から送り出され続ける火山性の硬い岩盤です。それは海嶺で誕生し、マントル対流に乗って移動したあと大陸プレートの下に潜り込んで、およそ一億年の一生を終えます。

つまり、日本近海まで旅をしてきたプレートは、約一億年の間に溜まった様々なモノをその上に乗せています。その堆積物の厚さは600mとも言われます。
海溝部で海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込むとき、それらの堆積物は掻き落とされて海洋プレートから大陸プレート側にこすりつけられます。このこすりつけられたものを 「付加体(付加帯ともいう)」 といいます。

その中には、

1 プレート表面に降り積もった珪藻など海中生物の死骸
(後にチャートとなる)

2 ハワイのようなホットスポットで生まれた海底火山
(玄武岩質の溶岩や火山灰、礫などの火成岩。主として緑色岩となる)

3 ホットスポットで生まれた海底火山のうち、海面まで到達した巨大海底火山の頂上に出来たサンゴ礁
(石灰岩となる)

4 古代の大陸隗そのもの
(長い間謎とされて来た、太古の年代を持つ地質)
これがぶつかって来た時に一体どんなことが起こったのか、興味津々です。

5 海洋プレートが大陸プレートに近付いたとき大陸側から運ばれてきた大量の土砂
(砂岩や泥岩、礫岩のもととなる。非常に量が多く、付加帯の中ではマトリックス<箱詰め卵の場合、卵の間にぎっしり詰められている破損防止のモミガラのようなもの>的な性格を持つため、他のモノはこの中に混在する形となる。)

6 海洋プレートのかけら
(マントル物質に由来し、地上では脆い蛇紋岩として姿を現す)

があります。

剣山はこの付加帯の一部です。
剣山だけでなく四国のほとんど、いえ西日本の南半分がこの付加体で形成されています。

それでは付加体について、もう少し詳しく見て行きましょう。


 (2)内帯(中央構造線の北)と外帯(中央構造線の南) 

外帯は付加体によって形成されている。

日本の地質

西日本の地質は中央構造線を境に南と北とで大きく変わります。中央構造線より北の部分は「内帯」、南は「外帯」と呼ばれ、はっきりと区別されています。
「領家帯」と呼ばれる「内帯」の地質は火山帯の影響を大きく受けていますが、「外帯」の地質はほとんどこの「付加体」で形成されています。しかし内帯も火山による熱変成を受ける以前は付加帯由来の岩石だったようです。

四国の場合、北部の吉野川中下流域から松山市にかけて、東西一直線に中央構造線が走っていますが、その中央構造線を境に南の部分が付加体で形成されています。
付加帯は大体年代順に行儀良く重なって、北の方に送り出されて行きます。したがって基本的には中央構造線に近い北の地層ほど古い時代のものということになります。

しかし付加された大量の岩石は、地中深くで強い圧力を受けて変成(一度溶解して再結晶する)しますし、後で付加した部分が前の付加部分の下に潜り込んで地層の年代が逆転したり(衝上)、海底雪崩などによってシャッフルされ訳の分からない状態(メランジュ)になったりと、様々な作用が日常的に発生しているため、なかなか一筋縄では行きません。
絶え間なく北へ送り出され強い圧力を受けている付加帯では、たまった堆積物はギュッと押し固められたり褶曲したり変成したり隆起したり壊れたりします。四国の大部分は、このような作用によって生まれました。その作用は現在も継続中です。


 (3)地質の種類 

しま模様を描く付加帯

四国の地質

付加帯で形成されている中央構造線以南(外帯)は、北から「三波川(さんばがわ)帯」「秩父帯」「四万十帯」と分けられています。いずれも白亜紀の地殻変動で付加帯が大きく隆起し、上部に乗っていた非変成部分が、長い間の風雨や土砂崩れによる浸食で取り除かれ、もともと地中深くで形成された変成部分が露出したと考えられています。

上部に厚く堆積していた非変成部分がほとんど取り除かれて、地中深くで作られた変成岩が完全に露出したところが「三波川帯」
三波川帯より変成が不完全な、より浅い地質で構成され、付加帯の特徴や年代を最もよく残している「秩父類帯」
変成岩がほとんど露出していない、主に大陸由来の新しい泥岩や砂岩で覆われている「四万十帯」です。

それぞれの間には構造線や断層があるため、一応はっきりと区分されています。しかし、地質を構成している元岩石の種類に顕著な違いはなく、また変成の程度もお互いに入り交じっています。
したがって中央構造線の北と南(内帯と外帯)のような、断層を隔てて際立った岩石の種類の違いがあるというわけではありません。
ほとんど変成の見られない「四万十帯」にも、地中深くには三波川帯と同様の変成岩が存在すると考えられています。

これら「三波川変成帯」「秩父類帯」「四万十帯」という地質は、日本を南北に分断する中央構造線に沿って行儀良く横縞模様を描くように分布しています。ところどころで途切れることはありますが、東は関東地方から、中部、紀伊半島、さらに海を渡り四国を縦断し九州まではるばると、中央構造線の行くところ、付き従うように細長く続いています。


 (4)付加帯の衝上断層(年代が上下で逆転している断層)の特徴 

地質が十分固まらない時に出来た付加帯の衝上断層は曲線を描く

付加帯の断面

付加帯はその成り立ちの特異性から、新しく付加する部分は前に付加したものの下に潜り込むという性質があります。前の付加帯の下に新しい付加帯が潜り込む時、古い地質が新しい地質の上に迫り上がるという衝上断層(角度が45度以下の逆断層)を形成します。つまり、付加帯の任意の部分を垂直に切り取った時、下にある地層の方が新しいと言う訳です。

また、付加帯に形成されている断層は、曲線を描いています。
硬く固まった地質に発生する直線的な断層と異なり、まだ岩石として十分固まらないうちに形成されるためだと考えられます。海底火山などが付加する時に取り込まれるまとまった大きさを持つ硬い石灰岩や玄武岩などの地質の異なる部分を、まるで縁取るかのように迂回する複雑な曲線を描いています。しかし、断層は概ね東西方向に走っていますので、付加帯はまるで斜めに包丁を入れられた刺身のような構造をしています(図を参照)。


 (5)断層による破砕帯 

登山道から眺めた御荷鉾構造線が走る谷

断層面に接する岩石は、断層活動による強い摩擦と圧力によって壊れ、細かい岩石となります。化学作用で岩石が粘土質に変わることも多いようです。このような断層面に生じた砕けた岩や粘土で出来ているもろい地層を、破砕帯といいます。

破砕帯の破砕面はもろく崩れやすく、また断層によって生じているため地中の深部まで破断面が及んでいます。そのため浸食による深く切り立った険しい谷を形成する一方、大規模な土砂崩れが発生して谷を一気に埋め、山奥にもかかわらず谷沿いに平地のような地形を形成しています。
現在は谷が土砂で埋まり、平坦な土地からいきなり3000メートル級の山脈がそびえているように見られるフォッサマグナは、本当の谷底まで9000メートルあるそうです。同様に中央構造線・吉野川中下流域の谷の本当の深さは1000メートルです。

余談ですが、そのような場所は土砂崩れによって生じた広い緩斜面があり、同時に豊富なわき水にも恵まれているため、古くから山村農業が発達しています。しかし、それらの村落は常に土砂崩れに悩まされています。

断層の両面が粘土質にも変化する破砕帯ですが、固い石灰岩やチャートは破砕作用を受けにくくなっています。

かもかもは、どうして四国山脈が東西に延々と連なっているのか、深く長い谷や大きい河川がほとんど東西方向に走っているのか不思議でした。しかし、この付加帯と断層、破砕帯が疑問のほとんどを解決してくれました。


 (6)徳島県の地質 

徳島県は中央構造線が県北部を東西に横切り、「領家帯」「三波川(さんばがわ)帯」「御荷鉾(みかぶ)帯」「秩父類帯」「四万十帯」が横一線に平行して分布しているなかなか興味深い場所です。
徳島県をバームクーヘンのように彩っている基盤岩類を、北から南へ順にもう少し詳しく見て行きましょう。

徳島県の地質


 「領家帯」 

下記の中央構造線の北に位置する、比較的広い幅を持つ地質です。
領家帯は花崗岩が広く分布していますが、徳島県の場合は吉野川の北に分布する和泉層という主に砂岩で形成されている地質です。

余談ですが、花崗岩質で形成されている地域の大部分は「マサ」と呼ばれる崩れやすい風化花崗岩で覆われています。岡山県や兵庫県など、ほとんどこの「マサ」という地質に属します。一見赤っぽい硬い岩にみえますが、削ってみると簡単にぼろぼろと脆く崩れます。
花崗岩のマサ化は表面のみの風化ではなく地中深くまで及んでいます。六甲山は山頂から900メートルの深部まで山脈全体がマサ化しているそうです。神戸市は六甲山を大規模に崩して埋め立てに使いましたが、六甲山が簡単に崩しやすいマサで形成されていたため工事が可能と成りました。もし六甲山が硬い岩盤で覆われていたなら、工事は到底不可能でした。六甲の一部に見られる「御影石」は、マサの中に残されてマサ化を運良く免れた花崗岩の固まりです。


 「中央構造線」 

社会科の教科書でお馴染み、西日本を南北に分断する大断層です。
関東地方を出発点とし、中部地方、紀伊半島を経て四国を縦断し、九州に渡り国東半島から阿蘇山に抜けてゆきます。徳島県では吉野川の中下流域がこの断層に沿って一直線に流れています。
くどいようですが、中央構造線を挟んで、北部を内帯、南部を外帯といいます。


 「三波川帯」 

中央構造線のすぐ南に位置する変成帯です。三波川帯および「阿波の銘石」と呼ばれる三波川結晶片岩については、「後編」で詳しく述べます。
白亜紀、領家帯の花崗岩が形成された火山活動と時期を同じくして、すぐ南の地中深くに形成されていた変成部が大きく隆起しました。「領家帯」「中央構造線」「三波川変成帯」の形成はお互い深い関係があると見られています。


 「御荷鉾帯」 

図にはありませんが、三波川帯と次の秩父帯に挟まれるように、ところどころレンズ状に分布しています。三波川帯の一部に分類されています。
海底火山に由来する玄武岩や超塩基性岩類などやや変成度の低い結晶片岩(御荷鉾緑色岩類)で構成されています。サンゴ礁を伴わない海底火山帯が付加したのでしょう。火成岩として固結した後、不完全な変成作用を受けています。三波川結晶片岩と同じく「阿波の青石」「伊予青石」と呼ばれている緑色の銘石を産します。秩父類帯との境にある御荷鉾構造線によって生じた破断面では細かい緑の粘土質となり、土砂崩れを容易に起こします。この御荷鉾構造線破砕帯北面は、深刻な土砂崩れ地帯を形成しています。

剣山のすぐ北にも御荷鉾帯が分布しており、秩父類帯との境界、御荷鉾構造線(活断層)が祖谷渓や剣峡などの渓谷美を作っています。

「御荷鉾構造線のパノラマ」

重複しますが、先ほどの写真のパノラマバージョンです。
御荷鉾構造線に沿って谷が東に延びている事が分かります。
国道のところどころに見える土砂崩れの跡は、ほとんど現在補修中の現場です。
パノラマの向かって谷の左が御荷鉾帯および三波川帯、右が秩父類帯となります。

剣山を眺めながらの通行止めもまた楽しい

通行止めになっている写真の道は、剣山とは剣峡を隔てた向かいにある烏帽子山中腹を走る道です。この斜面は御荷鉾構造線の断層崖で御荷鉾帯側破砕面にあたり、四国の中でも最も深刻な土砂崩れ地帯です。
道のガードレールは至るところ、落石の直撃で曲がっており(まともな部分が無いくらい)、道は直しても直しても後から崩れるようです。かもかもはここで「50分待って10分通行できる」という通行規制に二か所でひっかかりました。土砂崩れの箇所は?数えきれません。


 「秩父類帯」 

付加帯は海洋プレートに乗って運ばれて来た寄せ集めの地層です。付加した年代は順送りでも、元となる地質年代もまちまち、種類もまちまちです。極端に古い地質から新しい地質まで、さまざまな岩帯を形成しながら北へ送り出されています。

そのなかでも最も寄せ集めの性質がよく現れている場所が秩父類帯です。北の三波川変成帯は低温高圧で変成を受け元の岩石の形態がほとんど失われています。しかし秩父類帯はそれほど強い変成を受けていませんし、南にある四万十帯のような大陸プレート由来の岩石に覆われているわけでもありません。
そのため、はるばる遠洋からやって来た古大陸由来の古・中生代の地層群を複雑にはさみこんだ独特の形状が露出しており、大変興味深い所です。黒瀬川古大陸と呼ばれるその大陸隗が衝突したときに何が起こったのか、興味津々です。

剣山は、この秩父類帯の最も北縁に位置します。


 「四万十帯」 

主に砂岩・泥岩で形成されています。本当の意味での付加体はこの四万十帯のみとも言われています。地上の大部分は大陸プレートから供給された土砂で構成された付加体で作られています。しかし地下には三波川帯と同じ変成岩が存在すると考えられています。


以上が、徳島県で特異な縞模様を描いている地質たちです。

ふぅ〜〜、ちょっと休憩。

いよいよ、本題に入ります。


 剣山:後編につづく 

2003年11月29日記   撮影 Nikon D1x   

 HOME