第5章・第3節_日本の対応の遅れ<薬害クロイツフェルト・ヤコブ病>

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1.クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)とは

1920年代にクロイツフェルトとヤコブによって最初の症例が報告されている。この病気は初老期以降に不定の異常行動をもたらし、記憶力の低下や、歩行、視力障害などの精神・神経症状が生じると共に、これらの症状が急速に悪化して、進行性痴呆ないし意識障害をもたらし、数ヶ月で無動・無言状態となり、1〜2年で死に至るものである。プリオン蛋白が脳の組織を破壊して起きる。現時点では有効な治療法が存在しない。  

ヒトのプリオン病としては孤発性プリオン病(特発性CJD、医原性CJD、異形CJD、Kuru)遺伝性プリオン病があり今回問題としているのは医原性CJDである。

2.医原性CJDについて

医原性CJDは、ヒト乾燥硬膜移植と、ヒト脳下垂体由来成長ホルモン注射によるものが多く、その他にも角膜移植や脳波の深部電極によるものもあるが世界的にもそれぞれ2、3例とされ日本での医原性CJDはヒト乾燥硬膜移植によるものと言える。

硬膜移植とは脳腫瘍や脳外傷などの脳神経外科手術で、硬膜(頭蓋骨と脳の間の保護膜)を切り取ると硬膜が縮んでしまうので何らかの材料を使って縫い合わせる、このときに他人の硬膜を移植することである。以前は脳外科手術時に太股を切開し大腿筋膜を採取して用いていたが、ヒト乾燥硬膜は筋膜の採取手術を行わずに済むため患者の身体負担もなく、迅速簡便に手術に使えるため1970年代から世界各国で使用されるようになってきた。日本でも年間2万人ほどがこの移植を受けていた。移植される硬膜は海外で死体から採取し輸入したものが使われていた。このヒト乾燥硬膜が汚染していたために移植を受けた患者が医原性CJDに感染したのである。

3.汚染されたヒト乾燥硬膜

日本ではB・ブラウン社の「ライオデュラ」とバイオダイナミクス社「テュトプラスト」この2社の製品がドイツから輸入されていた。そのうち問題となっているのは「ライオデュラ」で1973年7月に厚生省で輸入承認されて以降1997年3月に使用が停止されるまでの間に累計で推定約40〜50万枚が使用され少なくとも30万人が移植されたと考えられている。B・ブラウン社では「ライオデュラ」の原料となる硬膜を不正な闇取引で集めていたためドナーの特定やヤコブ病などの感染性疾患の排除などをしていなかった。また、病原体に汚染された硬膜も他の硬膜と一緒に処理・保存し滅菌も不十分だったため「ライオデュラ」は製造過程においてヤコブ病やエイズ、その他の病原体で汚染されている危険な製品であったといえる。

4.ヒト乾燥硬膜「ライオデュラ」の承認から使用停止までの経緯

1968年 ドイツ、B・ブラウン社がヒト乾燥硬膜「ライオデュラ」の販売を開始。
1973年7月厚生省が「ライオデュラ」を「医療用具」として輸入・販売の承認をする。
1987年2月米国疾病センター(CDC)が週報MMWRにおいて「ライオデュラ」移植歴のある
米国のCJD患者について世界で初めての症例報告を掲載。
 4月米国食品医薬品局(FDA)が全米の医療機関に安全警告を出す。
 5月B・ブラウン社が「ライオデュラ」の滅菌方法をアルカリ処理に変更する。
 8月米国医師会雑誌(JAMA)の日本語版においてJAMAに転載されたMMWRの第1症例報告の日本語訳が掲載。
 10月日本臨床ウイルス学会誌「臨床とウイルス」にMMWRの記事を掲載。
1989年1月CDCの週報MMWRにおいて「ライオデュラ」移植歴のあるニュージーランドのCJD患者について世界で2番目の症例報告を掲載。
 4月国立予防衛生研究所の月報「病原微生物検出情報」においてMMWRに掲載された第2症例の要約掲載。
1991年6月米国の神経医学の専門誌「ニューロロジー」において世界で第4番目にあたる新潟大学の症例報告が掲載。
 8月英国は「ライオデュラ」の認可を取り消す。
 10月ノルウェーは「ライオデュラ」の登録を抹消。
1996年5月英国の狂牛病との関連により厚生省で「クロイツフェルト・ヤコブ病等に関する緊急全国調査研究班」を設置。
B・ブラウン社がドナーの追跡困難な場合があることを理由に1995年以前に製造された「ライオデュラ」を自主回収。
 6月B・ブラウン社が原料の入手困難を理由に「ライオデュラ」の製造中止を発表。
1997年3月WHOがヒト乾燥硬膜の使用を差し控えるよう勧告、翌日厚生省が薬事法に基づきヒト乾燥硬膜を回収する緊急命令を行う。

5.厚生省(国)の責任

上記の年表をみても日本の対応の遅れが感じられる。まず「ライオデュラ」を医薬品ではなく医療用具として認可した点で、ドイツでは医薬品であるのに厚生省は欠損部分の整形目的で用いられるので医療用具にあたるとしている。しかしこのことによって硬膜移植によるCJDを薬害とは認めず(薬害は医薬品によって生じた被害であるとする)「医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構法」では医療用具の感染被害に対しては被害救済給付の対象としていないのである。また医療用具であるために厚生省では承認時点での原料のチェック、製造方法(滅菌方法等)の確認すらなされていなかった。また、厚生省がいつ危険性に気付いたかというのもCDCのレポートが日本の医学雑誌に記載されているのも関わらず厚生省医薬品副作用対策室は87年当時の危険性の認識について「医学雑誌は山ほどあり、どれを誰が読むか決まっていなかった。当時、感染は予想できなかった」としており“医原性クロイツフェルト・ヤコブ病に関する調査報告書”でも「患者がヒト乾燥硬膜の移植を受けた当時においては、ヒト乾燥硬膜によるCJD発症の危険性を予見し、ヒト乾燥硬膜の輸入や使用の禁止を行うべき状況には無かったものと考えている」とまとめられている。

そもそも日本でCJDが問題となったきっかけは1996年3月の英国政府諮問委員会の声明により「狂牛病(牛海綿状脳症)」とヒトの新変異型CJDとの関連が疑われ同年5月に厚生省特定疾患調査研究事業において「クロイツフェルト・ヤコブ病等に関する緊急全国調査研究班」を設置し全国規模の疫学調査を実施した。その結果最初の目的であった新変異型CJDの患者は見つからず、皮肉にも今回のヒト乾燥硬膜の移植歴のあるCJDの患者が43人確認されたのである。

このように医原性CJDの被害が広まった背景には政府の対応の遅さと認識の甘さにあると考えられる。「ライオデュラ」の危険性が警告されたのが19873年4月で5月にはB・ブラウン社がドナーの選定を厳格にするとともにCJDの原因とされるプリオンを不活性化するアルカリ処理工程を導入した。しかし、日本での輸入代理店「日本ビー・エス・エス」はそれ以前に医療機関に納入した硬膜を回収しなかった。1996年に国と「ライオデュラ」の輸入販売会社の「日本ビー・エス・エス」、大津市民病院の設置者である大津市の三者を相手取り損害賠償請求を求める裁判を起こした原告もアルカリ処理への変更後2年経過していたにもかかわらず旧処理の危険な硬膜が移植されていた。厚生省が回収を命じるのはそれから10年後のことでこの間に医原性CJD患者は増加し、1997年にWHOに報告された世界のヒト乾燥硬膜移植感染症例は50症例そのうち日本が43症例と大部分を占める結果となった。2000年9月の時点で厚生省発表の硬膜移植歴のあるCJD患者は72人、日本脳外科学会が把握している患者数は100人近い。潜伏期間が長いため今後も増加すると考えられる。

6.最後に

薬害ヤコブ病ホームページより“本訴訟の意義”ヤコブ病東京弁護団長の言葉を抜粋する。(掲載のため改行など、一部改訂あり)

「私は、スモン訴訟の弁護団員であったが、確認書締結で二度と薬害発生はないだろうと信じた。しかし、それは幻影であった。その後もクロロキン、エイズなどの薬害が相次いで発生し、そして、薬害ヤコブ病発生に至ってしまった。
わが国において、かくも薬害が多発する原因は以下の点にある。
1.製造、販売企業が、安全性を無視して利潤追求に走ること
2.厚生省が、医薬品の危険に対するチェックや規制を適切に行わないこと
3.そして、司法の対応にも責任の一端があるといわなければならない。つまり、裁判所が、国や公共団体の責任を認定することに極めて消極的であるということがあるといえる
被告国がこの確認書で確約した約束を守っていたならば、そして国以外の被告らが右趣旨を尊重していたならば、本件薬害ヤコブ病の発生はなかった」

薬害。この言葉を何回聞けば政府はわかるのだろうか?薬害エイズの時に深々と頭を下げたあの姿勢は何だったのだろうか?この意義を読んでもう一度考えさせられた気がする。

<注>
省庁名などは当時の呼称
<参考>
薬害ヤコブ病ホームページ

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