ベンチャー革命2005619

                           山本尚利

タイトル:大村益次郎:MOTの祖

 

1.大村益次郎とは?

 大村益次郎(1824年生〜1869年死)は筆者と同じ山口県生まれの長州人です。司馬遼太郎の小説「花神」の主人公で、1977年にNHKの大河ドラマにもなりました。ところで今、話題の靖国神社に彼の巨大な銅像が立っています。長州官軍に逆らった彰義隊墓所のある上野の西郷隆盛の銅像の方向を見ていると言われています。なぜ、靖国神社唯一の銅像(明治18年建立)が明治天皇ではなく大村益次郎なのかは靖国神社の最大の謎です。なぜ彼の銅像が立っているのかの公式的理由は、彼が靖国神社建立の祖であったからとのこと。しかし、だからといって、こんな大げさな銅像を境内のど真ん中に据える必要があるのか、実に不思議です。大村益次郎が死んだのは明治二年(1869年)で、靖国神社創建も同じく明治二年です。明治時代から1945年の敗戦まで、靖国神社は陸軍省と海軍省の管轄であったそうです。大村益次郎は明治初頭の陸軍創始者と言われていますから、後に初代陸軍卿となった山縣有朋や初代総理大臣の伊藤博文が、長州藩奇兵隊時代の元上司であった大村益次郎の銅像を靖国神社に建立することを決定したと考えて間違いないでしょう。ちなみに、筆者の父方祖先は奇兵隊の隊員であったと父から聞いています。筆者が靖国神社を訪問して感じたことは、この神社は、世田谷に建立された松陰神社(吉田松陰を祀る神社で、明治15年建立)と並び、江戸の支配権を握った長州藩出身者の神社ではないか、というものです。ところで、当時の帝国陸海軍の最高責任者は明治天皇でした。その考えに従えば、帝国陸海軍の管轄する靖国神社の銅像は明治天皇であるのが自然です。江戸城に居住した明治天皇はどういうわけか、靖国神社に大村益次郎の銅像を立てることに賛成したということです。

 

2.大村益次郎はMOT人材の元祖

官軍の英雄、大村益次郎と戊辰戦争(官軍と旧幕府軍の内戦)における官軍戦没者を祀る目的で建立された靖国神社には、遊就館という戦争歴史博物館があります。遊就館は明治15年に開館しています。明治18年の大村益次郎銅像建立とほぼ同時期です。ここに展示されている軍艦模型や実物戦闘機を眺めていて、大村益次郎こそ、日本の歴史における初のMOT(技術経営)人材ではないかと思いました。帝国陸海軍は、開国以来、極めて短期間に、世界トップレベルの軍事技術を極めたことがよくわかります。

 徳川幕府時代は260余年におよぶ鎖国政策によって一般の技術も軍事技術もほとんど進歩せず、その間にもたらされた西欧との技術力格差は想像を絶するほど大きかったに違いありません。大村益次郎は江戸末期、緒方洪庵の経営する適塾などで蘭学を修得し、オランダの書物から技術ナレッジを獲得、天才的な西欧ナレッジエキスパートとなった。そして西欧で発達した軍事技術を他藩に先駆けて長州藩に導入した人物です。MOT的な表現を使えば、彼はTKMTechnology Knowledge Management)に優れる人物であった。彼の生まれは武士階級ではなく医者の家系でしたが、周布政之助や高杉晋作など長州藩の幹部は、MOT的才能に恵まれた彼を長州藩のCTOChief Technology Officer)に登用した。

 明治維新の前年、1866年、徳川幕府は、第二次長州征伐を決行し、小倉に5万、大島沖に2万、広島に5万、山陰に3万、合計15万の兵を進め、長州藩を東西南北から完全包囲しました。一方、長州奇兵隊はわずか3千でした。常識的には長州にまったく勝ち目のない戦争でしたが、大村益次郎がいち早く導入した西欧式兵器によって、3千の長州奇兵隊は15万の幕府軍を完全撃破しました。長州藩はCTO大村益次郎によって実践された軍事的MOTによって、奇跡の勝利をものにしたと結論付けられます。大村益次郎によって確立された奇兵隊の西欧式軍事力は、明治になって創設された帝国陸海軍に引き継がれるのです。

 この帝国陸海軍は、1894年(明治27年)には朝鮮半島の領土権を巡って、中国清朝と戦争して勝利するほどのアジア最強の軍事力を、極めて短期間に確立したのです。

 

3.奇跡の日本:有能な職人の存在

 大村益次郎は1850年代、四国の宇和島藩の伊達宗城に雇用され、軍艦製造責任者となりました。このとき、大村益次郎は先手として前原巧山(嘉蔵)という地元の提灯職人をリクルートしたそうです。そして大村益次郎は嘉蔵の力を借りて、日本初の国産蒸気船を建造したそうです。嘉蔵は低身分で学歴がなく文盲に近かったのに、生まれつき頭脳明晰で、手先が器用で緻密なからくり模型を作る名手であったそうです。大村益次郎がオランダから輸入した技術書を解読して、蒸気機関や蒸気船の基本設計図を作成する。嘉蔵は、その図面を瞬く間に理解して、アイデアや改善案を多発した。こうして、国産の蒸気機関と蒸気船が完成したそうです。ここに、今日、世界的なブランドとなったトヨタ生産システムの原点と もいうべき日本型MOTの素地が生まれていたといえます。

 嘉蔵に代表される日本型職人は、明治以降に突然生まれたのではなく、2000年の歴史で生まれた才能です。日本の製造業を支えてきたのは、まさに嘉蔵型現場力に他ならない。石川島播磨重工(IHI)出身の筆者は、日本製造業における大村益次郎型MOT人材と嘉蔵型現場力のコンビのMOT事例をリアルに実感できます。このMOTコンビネーションは日本全国の製造現場のいたるところで観察できます。日本の中小企業の強みの源泉でもあります。

 明治時代、極めて短期間に世界トップレベルの軍事力を修得した帝国陸海軍の奇跡、および1980年代末に日本を世界第二位の経済大国に押し上げた日本製造業の奇跡は日本伝統の「益次郎・嘉蔵」型コンビによる「ものづくり」現場力にあると断言できます。

 

4.大村益次郎:フォロアー型MOT人材

 益次郎・嘉蔵コンビに代表される日本型ものづくりモデルが明治時代と戦後高成長時代の二度に渡り、奇跡の技術大国日本を実現したのは事実です。しかしながら、愛国主義的なものづくり礼賛論者のように、両手を挙げて、日本型ものづくり万歳を唱えて自画自賛するわけにはいきません。大村益次郎は、現代であれば、欧米から知財権侵害で国際裁判にかけられるかもしれません。大村益次郎が貢献した技術移転とは、悪く言えば西欧で生まれた知財・技術の模倣です。彼の建造した蒸気船は、現在の中国で蔓延しているのと同レベルのコピー製品にすぎません。その意味で、靖国の軍神、大村益次郎は残念ながら、フォロアー型MOT人材であったにすぎません。ただし伝統日本のすごさは、嘉蔵型職人の「カイゼン」パワーにあります。家電や車のように、本家よりも高品質の製品をつくってしまうのです。

 ただ、フォロアー型MOTで満足していては、米国のリーダー型MOTに勝つことは絶対にできません。案の定、帝国陸海軍は、結局1945年、米国の陸海空軍に完膚なきまで叩きのめされました。80年代末に世界第二位の経済大国に成就した日本も90年代以降、米国覇権主義者に完膚なきまでたたきのめされつつあります。

 現代日本のMOTの課題は、大村益次郎を原点とするフォロアー型MOTを乗り越えることではないかと筆者は考えます。益次郎・嘉蔵型コンビネーションは、アップルコンピュータ創業者のスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアクのコンビネーションと対比できます。すなわち、後者はいわゆるシリコンバレー型MOTモデルであり、リーダー型MOTモデルです。模倣ではなく、オリジナル技術のイノベーションに挑戦するMOTモデルです。大村益次郎がもし現代に生まれていれば、当然のごとく、このリーダー型MOTに挑戦していたでしょう。そのような視点から靖国神社の大村益次郎像を眺めると、靖国神社を、これまでの常識とはまったく違った見方で捉えることができます。

 

山本尚利(ヤマモトヒサトシ)

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