〜マネー敗戦に寄せて〜

いちおうこれがマニフェスト。堕落論ではなく「自堕落論」ね。


10年のうちに世相は変わった。国敗れてサンガリア。企業戦士たちはゴミと散ったが、同じ彼らが生き残ってネット詐欺師とな
る。けなげな心情で毎朝企業戦士たちを見送った女たちが過労死または自殺した夫君の位牌にぬかずくことも事務的になる
一方だし、やがて新たな金づるの子を孕むのも遠い日のことではない。人間が変わったのではない。人間は元来そういうもの
であり、変わったのは世相の包皮だけのことだ。

まったく美しいものを美しいままで終わらせたいなどとと希うことはセコい偽善で、自殺などせず他人を殺してでも生きぬき、
そして生きながら地獄に堕ちて暗黒の荒野をさまようことを希うべきであるかもしれぬ。現に私自身が自分に課した”意味と
いう病”を全うすることとはかかる荒野の流浪であるが、それにもかかわらず美しいものを美しいままで終わらせたいという小
さな希いを消し去ることができなくて腹が立つので、つい自虐に走ってしまう。未完の美は美ではない。その当然堕ちるべき
地獄での遍歴に没落自体が美でありうる時に初めて美と呼びうるのかもしれないが、18歳の女子高生をわざわざ30過ぎの
オバさんの姿の上で常に見つめなければならぬのか。これは私には分からない。私は18の女子高生を好む。

死んでしまえば身もフタもないというが、はたしてどういうものであろうか。バブルが崩壊して、結局気の毒なのは過労死した
企業戦士たちだ、という考え方も私は素直に肯定することができない。けれども、還暦を過ぎた年金暮らしの連中がなお生に
恋々として病気でもないのに医者の待合室や某文化会館などで集会を開いていることを思うと、何が人生の魅力であるか、
私には皆目分からず、しかしおそらく私自身も、もしも私が年金暮らしであったならやはり生に恋々としてゲートボール場や風俗
などに通うであろうと想像せざるを得ないので、生という盲目的な意志にただ茫然たるばかりである。私は18の女子高生を好
むが、老人たちもまた女子高生を好んでいるのか。そして過労死した企業戦士たちが気の毒なのも18の美女を好む意味にお
いてであるか。そのように姿の明確なものなら、私は安心することもできるし、そこから一途に18の美女を追っかける信念すら
も持ちうるのだが、生き長らえることはもっとわけの分からぬものだ。

”社員の墓”の思想は過労死した企業戦士を祀ることによって永遠の忠犬たらしめようとしたのだが、企業戦士の自堕落は防
ぎ得たにしたところで、人間自体が常に忠犬から銭ゲバへ、また共産主義者へ転落しつづけていることを防ぎうる由もない。
節婦はニ夫に見えず、忠臣はニ君に仕えず、と規約を制定してみても人間の転落は防ぎ得ず、よしんば処女を刺し殺して
その純潔を保たしめることに成功しても、自堕落の平凡な足音、ただ打ち寄せる外圧の波のようなその当然な足音に気付
くとき、人為の卑小さ、人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは泡沫のごとき虚しい幻想にすぎないことを見出さ
ずにいられない。人為の卑小さ、それは惰性でやるオナニーと同じだ。

企業戦士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史はネット詐欺師やアムウェイのディストリビューターとなるところから始まる
のではないか。未亡人が貞淑であることも幻影にすぎず、新たな恋の予感に身悶えするところから人間の歴史が始まるの
ではないか。そしてあるいは”誇らしい日本”もただ幻影であるにすぎず、ただの有象無象の集まりになるところから真実の歴
史が始まるのかもしれない。私は”声に出して読みたい日本語”より”女の声に出された卑語”を好む。

歴史という生き物の巨大さと同様に、人間自体も驚くほど巨大だ。特にアンドレ・ザ・ジャイアントやジャイアント馬場は。
”生き長らえる”ということは実に唯一の不思議である。そういえば生長の家やクロード・ボリロン・ラエルもなかなかに不思議
ではある。70、80の年金生活者どもが食うに困っているわけでもないのに嬉々として年金を貯蓄に回すなどとはマネー敗戦
によって発見された最も恥かしくあさましい人間図であり、巨漢プロレスラー達は死に、大蔵省は解体され、そして企業戦
士は滅びたが、自堕落という真実の母胎によって初めて”ケダモノ”が誕生したのだ。生きよ堕ちよサバイバルせよ。その
正当な手順のほかに、真に人間を救いうる便利な近道がありうるだろうか。

人間。マネー敗戦がどんなすさまじい変化と運命をもたらしても、人間自体をどうなしうるものでもない。バブルは弾けた。
企業戦士の生き残りはすでにマネーの虎や犯罪者予備軍となり、未亡人はすでに不倫相手とのデートの想像に性器を
濡らしているではないか。人間は変わりはしない。ただケダモノに戻ってきたのだ。人間は堕落する。国士も聖女も奥菜恵も
堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによってその魂を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと
以外の中に人間を救う道はない。

マネー敗戦だから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕
ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は快感や安定した生活に対して鋼鉄のごとくではあり得ない。特に女は。人
間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずには
いられず、”国家”や”尊師”、”人権”や”正義”などの主義主張を持たずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女では
なしに自分自身の中の処女を刺殺し、”自分真理教”をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
そして人のごとくに日本もまたディアスポラなどで堕ちきることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を
発見し救わなければならない。宇宙人や霊的存在、御本尊、大川隆法、そして政治による救いなどは包皮だけの愚にも
つかない物である。


(以上は坂口安吾「堕落論」のパロディーです)





ここまで七面倒くさいことをだらだらと書いてきたが、簡単に言うと、老人を騙して金を巻き上げろ、少女を陵辱して逃げ
ろ、友達は利用価値がなくなったら裏切っちゃえ、恋人には貢がせろ、親は生命保険を掛けたうえで風邪薬などを大量に
飲ませろ、兄弟には洗剤とかを売りつけろ、必要なものは盗め、っつうことです。・・・ちょっと違うかも?

まあなんでもいいからとにかくパ〜ッとやりまショウ! 


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