コメットコラム: 携帯端末 (2000-03-21)

私は今時珍しい携帯電話(ここではPHSを含め携帯型の電話のこと) を持っていない人間の一人であるが, 最近,昔は決まって店の入り口あたりにあった公衆電話がなくなって, 不便を感じている。会議に遅れるのを連絡するのにも,駅の公衆電話を探して, 相手の電話番号を探して,と前ならあたりまえのことも,まわりの人たちが ひょいとカバンから携帯電話を取り出し,ちょいちょいと片手で相手先の電話番号を 探し出して電話をかけるのを見ていると,そろそろ買わなきゃだめかなと 思い始めた。

ところでこの携帯電話,数年前に香港に行った時に,街中の人が携帯電話を 持って話をしているのを見て,なんだこれは!とそのマンガチックな風景に 驚いたものだが,今は日本が同じような状況になりつつある。 あちらでピーピー,こちらでパラパラ,いたるところで携帯電話の着メロが鳴る。 電車の中で異様に大きな声で空間に向かってしゃべっている人がいるし, なんだか知らないが,頻繁に携帯の画面をチェックしたり,じーっと見つめたり, それぞれの人間が透明のシールドで覆われた個別の空間ごと街中に飛び出している かのようである。それぞれが自分の世界にいるのはいいのだが, 電車の中での通話など,個人の便利さの裏に他人の迷惑があるのはいただけないので, マナーに訴えるより,もう少し製品側でもなんとかならないものかと思う。

携帯電話は,パーソナルツールとしてはこれまでのものにない特色をもった 非常に面白い道具である。 まるで魔法の杖のようにいろんな付加価値を生み出す可能性をもっている。 すでに, Web ブラウザ,GPS,MP3 プレイヤーの機能などは商品化の段階にあるが, 電話を超えた携帯情報端末として今後どういう発展をみせるか非常に興味深い。 情報端末としては,道具そのものの機能でなく,道具を通して使う向こう側の サービスや情報に無限の広がりをもっているのである。
また,電話だけでなく,今後多くの人が外に持って出るものとして,腕時計,靴, 帽子,めがね,あらゆるものが情報機器に一役買う時代が来るかもしれない。 例えば,帽子に電話のアンテナ,靴の底に GPS, めがねは切り替え式スクリーン, などなど。
アメリカでは WorkPad などの個人情報端末側からのアプローチや, E-mail ページャのような "どこでも E-mail" のような製品が面白い。 個人的には,相手方の事情とは関係なしにダイレクトの通信を要求する電話よりも, 自分のペースが守れる E-mail の方が好きなのだが,市場の広がりからすると 電話の方が圧倒的に大きいだろう。 日本ではiモードなどの携帯電話を利用したサービスが現在の主流であり, この分野ではアメリカよりも進んでいる。これで,無線通信のインフラ整備が うまく進むと,次世代のモバイルコンピュータ市場で日本が優位に立つ可能性は 十分にある。

携帯端末の一つの特徴として,携帯しやすさを考えてサイズが小さいということが あげられる。文字を表示するスペースが小さい,入力する手段も限られている。 これまでの国際化の観点からすると,この制限の影響は大きい。 翻訳によって,メッセージの長さは変わるし,文字入力ソフトウェアが 画面の一部を占有すると不都合なこともあるだろう。 現在のPCやワークステーションは,同じハードウェアを世界共通で使うという 国際化が基本となっている。果たして同じことが携帯端末でも可能だろうか? 機能的な面の他に使い方や生活習慣などのそれぞれのマーケットの事情というのも 小型になればなるほど影響が大きくなる。 例えば,ノートPCの事情を見ると,B5 サイズのサブノートは(本当に) カバンに入れて持ち歩く日本人にとっては重宝するが,車で移動するアメリカ人 にとってはそれほど嬉しくない。しかし,ポケットに入れて持ち歩くものであれば, 日本人もアメリカ人も同じように欲しいだろう。ただし,その操作方法や形, 大きさなどは,他の普及製品とも関係し,同じものがヒットするとは限らない。 現在の携帯端末にしても,今後の市場の動向によっては,それぞれ特色ある市場が 形成される可能性は大いにある。そこで,どのようにビジネスを展開していくか。 2000年代の国際化ビジネスは,1900年代のそれよりも,もっとダイナミックで より高度なかけひきが必要とされることになると筆者は考えている。

新規市場参入という形であらゆる外国資本が新たな市場に対して投資を行い, 各市場での Localization がさかんだったのが,1980 年代から 1990 年代前半である。 そこから,あらゆる面での国際化が進み, 1990 年代では Internationalization として 多くのリソースが中央に集約されていった。そして,1990 年代終わりから, 押し寄せた波が一旦引いて再度押し寄せるように,各市場ごとのより適切な ビジネス形態への適応を目指して,またリソースが分散する傾向があるように 思われる。この背景には,作る人主導ではなく使う人主導の製品開発姿勢の 変化がある。製品が身近になればなるほど,その傾向は強い。 作る側にしても,自らが欲しいモノを製品にする,あるいは新しく会社を作って 新しい市場を作るという,本来のモノ作りのスタイルがそこにある。

ところで,私の携帯電話あるいは携帯型情報端末選び,次から次と出てくる 新製品の前になかなか踏ん切りがつかない。 E-mail は使いたい,音以外の着信通知機能も欲しい,基本料金が安いほうがよい, Web は PC から利用すればよい,クリアな音声,PC とのデータのやりとり, PC につないで高速な通信,スケジューラが欲しい,キーボード入力も可能, 辞書も使いたい,GPS はとりあえずいらない,カラーもとりあえずいらない, カメラもいらない,電源入れたらすぐに使えないとダメ, 自分でソフトを選べるといいな, メモリカードのような外部記憶のインタフェースがあると嬉しい, 赤外線とりあえずいいか,大きさどうしようか,重さどうしようか, US 出張のときも使えるといいのだが,やはり電話と PDA 別になるのか,などなど... 考えていると自分の理想の製品がそのうち出てくるようで,なかなか携帯電話ひとつ 買えないでいる今日この頃である。


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