発行:テックベンチャー
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こらむ『ベンチャー精神を妨げるビロンガー根性』
山本 尚利
【無断転載を禁じます】

1. ビロンガーとは
 
ビロンガーとはあまり聞きなれない言葉ですが、Belong(所属する)という英語の名詞形です。集団帰属者と訳せます。ここで私が何を言いたいかというと、日本人の多くがなぜベンチャーに挑戦する気もなくベンチャーとなる自信もないかというと、日本人の多くがビロンガーであることに起因するからだというものです。

 日本人の就業者6500万人のうち、その7〜8割の人がビロンガーである。私はこう思っています。ビロンガーの語源は、VALS(Value and Lifestyles)というSRIのプログラムからきています。1980年に完成したVALSでは米国人の消費者価値観を分析し、米国人を9分類しておりますが、ビロンガーはそのうちの1分類に相当します。マズローの心理学を応用したVALSの理論は消費者の消費行動を心理学的に解明するものです。VALSでは米国人の40%はビロンガーと分析されていますが、筆者の推定では、日本人の60ないし70%がビロンガーで、特にサラリーマンの80%はビロンガーとみなしています。ビロンガーはサラリーマンになるのがもっとも性に合っています。

 日本人の特性を分析した研究として、土居健郎の「甘えの構造」と、小此木啓吾の「モラトリアム人間」が有名ですが、私のビロンガー論も日本人の特性を言い当てていると信じています。ビロンガーは組織に帰属することで限りない安心感を得るとともに、ときには組織に過剰依存し組織に「甘える」こともままあります。ビロンガーは個人に責任が及ぶことを極力回避し、リスクは所属する組織に委ねます。そこで、ビロンガーは個人に責任の及びそうな意思決定は常に先送りしようとします。これが「モラトリアム(支払い猶予)人間」です。ビロンガーは確かに、「甘えの構造」と「モラトリアム症候群」の特徴をもっています。
 一般的に、ビロンガー集団が組織に意思決定を委ねると、時間と手間がかかった末に、たいていはリスクミニマムの無難な決定に落ち着きます。つまり、ビロンガー組織がリスクのあるベンチャリングの決定を下すことは稀になるのです。

2. ビロンガーはベンチャー精神の敵である
 
以上で定義したビロンガーの特性は、西欧的自由民主主義、あるいは個人主義とは対極をなす性質といえましょう。しかしながら、ベンチャーとは、個人の責任において自由独立主義でリスクに挑戦する個人事業主を指します。つまり、ベンチャーとは西欧的自由民主主義の土壌から出現しやすいといえます。ビロンガーは個人でリスクを取り、個人で責任をとることをもっとも忌み嫌いますので、ベンチャーになることはまったく性に合わないと感じるはずです。日本人サラリーマンの8割がビロンガーだとすると、一般的日本人でベンチャーになること恐れない人は、ごく少数であると思われます。

 以上のような分析から筆者は日本でベンチャーが起きにくい原因は、日本人の多くがビロンガーであるからだと思います。日本人の優秀な人ほど、自己の所属する組織にまず関心がいきます。権威ある組織、信頼された組織、安定した組織、有能集団の組織に属することがまず優先されるわけで、組織から独立して自立する選択は最後の選択でしかありません。

 これまで、日本でベンチャーを目指した人の多くは、アンチ・エリートかアウトローです。残念ながら決してエリートではありません。この点が米国と日本の決定的な違いです。従って、日本人がビロンガーの呪縛から脱せられないかぎり、日本にベンチャー時代は到来しないと言い切っても良いと考えます。
 もう一つ私が滑稽に思うことは、「ビロンガーがベンチャー振興を主張すること」です。ビロンガーの人は、ベンチャーを自分の問題としてとらえることができません。あくまで、自分とは異人種がベンチャーを起してくれることをまじめに期待し、そのために全力で支援する気持ちでいます。ビロンガーは自分でベンチャーを起す能力も自信もないと十分自覚しています。日本人の多くがお互いをそう思っているわけであり、だから面白い国なんですね。

3. ビロンガーの歴史
 
さて、次に日本人のビロンガー根性は先天性のものか後天性のものかについて。私は、ビロンガー根性はムラ社会に関係がありそうだと考えています。ムラ社会といえば、日本人は農耕民族か狩猟民族かという議論がよくなされます。ベンチャーは冒険性がありリスクが高いので、狩猟民族に適すると思います。日本人はどちらかといえば農耕民族ですから、ビロンガー根性は農耕民族のムラ社会から生まれた根性のような気がします。
 もし、日本人の遺伝子にビロンガー根性がうめこまれているとしたら、この根性を変えるのは大変難しいことでしょう。農耕民族は歴史的に個人の利益より集団の利益を優先し、村の掟で団結力を確保したはずですから、日本的大企業の経営や官僚組織に向いているといえましょう。 一方、ベンチャーは猟師や漁師に似ており、当たれば大きいがだめなら飢え死のリスクがあります。日本人でも猟師や漁師の気質を遺伝子に持つ人々も少数派ながら存在するはずです。

 日本にも坂本龍馬のような人物が出現したことは、そのことを物語っています。しかし、坂本龍馬のような才能を村の掟で縛ったらどうなるかは、いうまでもありません。これまで、何人の坂本龍馬的人材がビロンガーによって葬られてきたことでしょう。ビロンガーは目立つ人や異分子を大変嫌います。
 米国では、日本より明らかに坂本龍馬的人材の出現率が高いと思います。だから米国では次々とベンチャーが出現するのです。米国ではこのような才能が戦争や西部開拓という極限的ハイリスクの環境で鍛えられていることが多いため、なおさら米国ベンチャーは逆境に強いといえます。
 日本人のほとんどがビロンガーで、坂本龍馬タイプの人材はごく稀にしか出現しないとすれば、日本人に米国型ベンチャーモデルを押し付けても無駄ということになります。

 さて、以上の私見について皆さんはどう思われるでしょうか。

(やまもと・ひさとし)SRIコンサルティング
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