発行:テックベンチャー
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285

シリーズ『ベンチャーキャピタリストの本質』

村口 和孝
【無断転載を禁じます】

第六話『ベンチャーキャピタリスト候補生、フリーウェイ101を走る』

ベンチャーキャピタリストを目指して、大学四年生の時に嵐の日、サンフランシスコへ到着したところからでした。空港のハーツでレンタカーを借り、風雨がフロントガラスをたたきつける中、サンメテオ橋を渡って友人宅の主人ディックの車と合流しました。ディックは、シリコンバレーから車で20分程度北に行ったフリモントに家を持っていました。家の裏には小さなプールがついていて、朝は小さな蜜鳥がやって来る、東京の喧騒からは信じられないのどかな家でした。まだ東京にいる娘さんと会って何週間もたっていないのに、アメリカの実家の受け入れ方は開放的で、万事「Help yourself!」と見ず知らずの日本の大学生を快く受け入れてくれました。主人のディックはポルトガル系、婦人のジョアンはドイツ系で金髪、本当に親切にしてくれました。子供は東京のテリー、エレキギターを弾くジェイ、美人のキムの3人でした。その後シリコンバレーには十回ほど訪問しましたが、その都度私の拠点になり、自らアメリカンファミリーと言って私を家族のように迎えてくれました。心より感謝しています。特にジョアンは何度訪問しても実の息子のように扱ってくれました。

残念な事に、ディックは10年ほど前にジョアンと離婚、5年ほど前に病死しました。その後ジョアンは、フリモントの資産家アートと再婚しましたが、1998年10月、数年前にわずらったガンが再発して、連絡があって一月もしないうちに突然62歳の生涯を閉じました。お見舞いに駈け付けるため準備した飛行機のチケットは、葬儀のためのチケットになりました。もうすぐ40歳を迎えようとしていた大の大人の私は、行っている間中、ジョアンの事を思い出しては嗚咽がこみ上げてどうしようもありませんでした。ジョアンが死ぬ半年前に、私は独立を実現し、準備の為にアメリカを立て続けに2回訪問し、ジョアンとあれこれ話をしたのがせめてもの慰めでした。投資事業組合設立に関し、アートが大丈夫かと理性的に心配してくれているそばで、ジョアンは私に「あなたならきっと成功する。私はいつもあなたを誇りにしています。」と励ましてくれました。成功したらジョアンとアートを日本に客船で招待すると約束していた私は、こんなことになってしまって、もっと早く独立してれば良かったか、とも思いました。「思い立ったが吉日」とか、「後悔先にたたず」とはこれらの事を言っているのでしょうか。ちなみに小企業の秘書業をしていたジョアンがNTVPのアメリカの連絡役になってくれることになっていて、初期の私の事務所案内には、シリコンバレー連絡事務所としてジョアンの名とともに記載してありました。従って、NTVPアメリカの最初のメンバーは、今は無きジョアンだということです。彼女は、ガーデニングとエレクトーンが趣味でした。ご冥福をお祈りいたします。
…………………………

さて、人生という長い時間と、ベンチャーを起業するという作業とは、全く無関係ではあり得ません。無関係どころか、ベンチャーを起業するという作業は人生そのものだと言って過言ではありません。そのくらい様々なことがありますし、第五話でお話した通りそもそも成功には人生をかけねばなりません(ただし何度も主張しますが、借金はしません)。
今から10年ほど前に、一世を風靡しそうであったとあるベンチャーのN社長に会いました。株式公開に向けて作業を進めようとしていました。N社長は当時49才でバリバリでした。また腹心のT専務は管理畑で52才、非常に有能でした。ベンチャーを発展させ公開を準備するには十分な陣営のように思いましたが、大胆との世評の割にN社長は非常に慎重で、あれこれ手を打とうとしているうちに、とうとう10年たってしまいました。致命的だったのは、相続対策を先行させた事でした。発展後の相続を考え、持ち株会社を作ったり銀行の指導を受けて借金で本社ビルを建設したりしました。口で言っている事と、実行する順番が違っていました。結果どうなったかと言うと、T専務は副社長に昇格したあと、ついこないだ62才で引退してしまいました。ということは、時代は既にN社長の時代ではなくなってしまいました。いかに優れた経営者でも年齢には勝てません。また別の事例ですが、書きにくい事をあえて書くと、株式公開すると言って業績好調だった経営者がまだ五十歳を超えたばかりの若さというのに、心筋梗塞で突然他界した事例にも出くわしたことがあります。誰も書きませんが、これが現実と言うものです。第六話は、ジョアンの死から、あえてこれまでのベンチャー論にない人の死と言うものを真正面から捉える事から、ベンチャーを考えてみたいと思います。
……………………………

残念ながら、人である以上、どこかで人生を終わらねばなりません。しかし、考えようによっては人生、いつか終わる事を認識して、はじめてすばらしい人生を送れるとも言えます。「あなたは、なぜ毎日一生懸命仕事をしているのでしょうか?」また、「人生をかけてベンチャーをやろうと言うことをどう納得すれば良いのか?」そもそも「どういう人生を生きるべきか?」肉親に不幸が起こるときぐらいしか考えないという人も多いかもしれません。しかし、いったん独立した企業家となるとき、この人生の根本問題に何らかの回答を持っていないと、「人生をかける」などといっても、肝心な点で弱いように思います。人間にとっては、「芯の問題」、「死生観」というような、従来宗教とか哲学が担ってきた議論です。オリンピックに参加した選手が、全人生をかけてメダルを獲得しようとして競技する瞬間の集中力にも関係が深いと考えています。柔道にしても水泳にしても日本人選手は近年オリンピックにおいて実力が発揮できない、という問題に悩まされてきたという話を聞いたことがありますが、同根の問題といってよいでしょう。日の丸がはためいていようが、応援団が大騒ぎしようが、競技の瞬間選手は孤独です。日本人である、どこかの組織に属して規則がこうなっている、資産の有り無し、がんばる義務がある、上司がこう言っている、というような表層的なことは、スタート台に立った選手にとっては全く無意味です。全く助けのない素っ裸の立場に立たされた選手は、何を根拠に競技に集中し、他の選手を打ち負かし、勝利しなければならないのか、まさに地(ヂ)の人間の「生きる動機」が問われています。そこに通用する論理は、人生の根本問題に対する答えを自分でどう持っているか、という現実のみです。そこには死にどう対峙するか、という問題と、同次元の問題が横たわっています。この音も色もないあなたの心の深淵世界、ここがいわゆる混沌とした混乱世界になっているのか、静かで清らかで豊かで創造性にあふれた世界になっているか、の違いです。

日本人は、ながらく組織に属するということに慣らされてきました。特に高度成長期つまり1970年代以降、我々は偏差値教育から受験戦争、就職戦争においてあらゆる独立個人の生き方よりも、「長いものには巻かれろ」が人生必勝の方程式のように信じられた不幸な時代を過ごしてきたともいえます。いわゆる大企業サラリーマンが日本人の中で一番安定した高収入の職業になった数十年であったのではないでしょうか。サラリーマンの世界は、テレビゲームの世界に近く、そこでは社会生活のルール(日本国憲法や地域のルール)よりも、ゲームのルール(冠婚葬祭まで介入する大会社の就業規則)の方に現実感がある、いわばサラリーマンバーチャルリアリティの閉じた人工的世界です。だから長銀問題のように、「集団の常識、社会の非常識」という事が言われます。今、日本はビッグバンの真っ最中。ゆっくりとサラリーマンパラダイムが根本的に崩壊しつつあると言ってよいでしょう。

このサラリーマンパラダイムは、人間存在の根底を深く問われることなく、人事異動があったり昇級昇格があったり、塀の中の悲喜劇がさも世界全体であるかのように時間が過ぎていく世界です。今、日本人は一刻も早くサラリーマンパラダイムから脱却し、それぞれ一人一人、自己存在の深淵に問いかけ、しっかりした人生の動機を確立しておくべき時期が来ているのでしょう。そうでなければ、やれベンチャーの起業だなどと言ってみたところで、混沌の中に身を投げ出すような不安感にさいなまれることになるのではないでしょうか?実際には、塀の中だけが世界だと思いこんでいただけのことだったと、独立したらすぐ気がつくことですが…。事実、私の場合は独立するとまわりが非常によく見えるようになりました。

以上の考察から、ベンチャー起業の根底には、人生の動機、これから人生に対する考え方、心構えの基礎が出来る青少年に対する家庭、学校における教育の問題が横たわっている点も指摘できましょう。(国歌・国旗の問題も絡む問題でしょう。どう絡むかは読者でそれぞれお考えになってみていただきたいですが、人生の動機の確認に関連が深い行動と思われます。)
…………………………………・

さて、大学四年と時に初めてシリコンバレーのサンドヒルロードを訪問して、用意した質問は、どうすればよいベンチャーキャピタリストたりえるか?何をすればよいか?という受験英語の疑問文です。何のアポイントメントもなく、サンドヒルロードの3000番地のパーキングにレンタカーで単独乗りつけて、VC事務所のドアからドアへノックして歩きました。受付で日本の学生で日本から来たのでベンチャーキャピタリストと会いたい、といって歩き、数人のベンチャーキャピタリストから話を聞くことが出来ましたが、英語がだめで話の一部しか理解できなくて苦労しました。返ってきた答えで、その後何度も頭の中に去来し、参考になったキーワードが二つあります。ひとつは、「アーリーバード」です。早起き鳥で、情報通という意味でしょうか。もう一つは「ヒューマン・アンダスタンディング(人間理解)」です。私はシェイクスピアの演出をやっていた、と言うと「ザッツイット!」と即座に返事。MBAは必要か、と問うと「ナットネセサリー」とのことで、日本で和製ベンチャーキャピタリストを目指す腹が固まったと言うことです。会ってくれたベンチャーキャピタリストの中には、見るからに変な人もいて、ベンチャーキャピタリストとは、概ね有能な人が多いが必ずしも能力のある人ばかりではないという印象が残りました。

その後、何度となくシリコンバレーをディスカウントチケットで休暇を取っては訪問しました。フリーウェイ101、ダンバートンブリッジ、ユニバーシティアベニュー、ミドルフィールド、エルカミノなどは、よくレンタカーで走った道路の名前です。それにしてもスタンフォード大学は、のびやかで開放的な明るい雰囲気の大好きな大学です。一度みなさんも訪問してみてください。今なら7万円程度で往復チケットがとれるはずです。ある時、ちょうど構内を散歩して考え事をしていると、急にサイレンが鳴り響いたかと思うと、構内の垣根が燃えていて、消防車が駆けつけるという小さな事件にちょうど遭遇したこともあります。今から思うと、まだ15年前のあのころはマイクロソフトもベンチャーで、インターネットという世界も話すらなく、マックという先進的なPCが登場したばかりで、インテルはメモリーで日本勢に打撃を受けており、ベンチャーキャピタル産業も厳しい見通しなどという時期でした。時代はいつでも変わります。投資のチャンスはいつの世でも、ないないと言うときほど、本当はあると言うことでしょう。暗いのは、見えない人にとって暗いのであって、いつの時代も客観的にみればそんなに暗くもないのかもしれません(今の日本もですが)。
………………………・・

1984年4月、アメリカのVCとは全く違う雰囲気の中で、証券系のベンチャーキャピタル会社の日本的入社式において、私は新人の代表か何かにされられて挨拶文を読みました。その後、すぐ新人研修が始まりましたが、その話題は次回にお話ししましょう。第六話は、想い出のジョアンの死とベンチャー起業の心構えの本質をお話ししました。少しシリアスな話題だったでしょうか?

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP)投資事業有限責任組合
ベンチャーキャピタリスト 村口和孝(http://www.ntvp.com)
(禁無断転載。全ての著作権は著者に属します。)