発行:テックベンチャー
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シリーズ『ベンチャーキャピタリストの本質』
村口 和孝
【無断転載を禁じます】
第七話『個人投資事業組合活動報告会と、会社型VC新人研修』
5月中旬、私が業務執行組合員を務める投資事業有限責任組合(NTVPi−1号)の第一回投資活動報告会及び投資先社長激励会が開催されました。私にとっては最初の投資活動報告会となり、出資をしている有限責任組合員個人の皆さん(堀場雅夫氏等)、投資させていただき取締役・顧問に就任しているベンチャー経営者の皆さん(インフォテリア平野社長等)、サポートしていただいているスタッフの方々に一同にお集まり頂きました。プログラムは、私の方からの投資活動の報告、投資先社長からの経営戦略のプレゼンテーション、激励会とあっという間に時間が過ぎていきました。激励会では、組合員を代表して堀場雅夫氏(堀場製作所会長)が「ベンチャーにはスピードが必要」など、ベンチャー成功の要因をお話しいただき、皆さんで楽しみました。
私が去年創設を企画した投資事業組合は、個人を構成員としているユニークなベンチャーキャピタル組合として、そのコンセプトをご評価いただいている組合です。金額は3億円強と小粒なのですが、私も含め、「組合員を会社でなく個人ですべて固めた」という点が重要な点です。ですから、当然の事ながら組合の活動報告会も、出席者はすべて個人の資格でお集まりいただきました。ある人によれば、「会社の肩書きが全くなくて、居心地が良かった」と言う人もいました。現在の日本社会の中では確かに大変珍しい光景であったでしょう。日本は法人社会と言われ、肩書きがついて回り、しかるべき肩書きがないと日本では相手にされないとさえ言う人がいる中で、「組織の肩書きは不要でむしろ個人でないとだめだ」、という点を原則とした投資事業組合は、ちょっと変(ヘン)かもしれません。しかし、私は今の日本で、そこが重要だと考えています。
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そもそも事業会社というものは、株主総会が健全であれば、株主総会で承認された「定款」(会社設立時に作成を義務づけされている会社の憲法)によって会社は運営されているはずです。いわんや公開会社ともなれば、取締役の人事選任も現実に株主総会で討議されることになります。いくら現在の社長が「よっしゃ」と言ったとしても、「組織で運営されているその事業会社というものが、ベンチャー会社の長期的出資者になる」ということ自体にいろいろな問題があると私は考えています。これは、一般にコーポレートガバナンスの問題と言われるものです。
もし、ベンチャーが現在の経済社会の中で本当にユニークで新規性の高く有望であったなら、それはたいがい現在の産業から見て何らかの競合関係が発生する危険性があり、また既存の事業会社からスピンアウトする人々によるものである危険性があります。すなわち、事業会社がベンチャーに出資をすることは、信用面ではプラスになるでしょうが、ベンチャーが独自の展開という点では、ベンチャーの最高意志決定機関である株主総会を構成する構成員になる事業会社を、それ以降絶えず意識せざるを得ず、独立性を犯されると言うことになります。つまり「新規性の高いベンチャーに既存の事業会社が出資すると言うことが、ベンチャーを活性化することになるとはとても思えない」、という基本的な疑問です。また、そもそも株主から預かった事業目的の事業資本を、ベンチャー投資(いわば長期に資金が固定化する財テク)に使って良いものでしょうか?
時間的経過にも注意が必要です。あるベンチャーへの事業会社からの出資方針が、幾多の人事異動を経て、長期にわたって一定であるわけがないと思いませんか?。ベンチャー投資には、5年以上の長期の辛抱強い対応が必要です。どんな会社の役員だって任期があり、5年以上のリスクのあるベンチャー投資に大切な事業資本を使う意志決定など出来ないだろうし、もしある会社の取締役会でそのことが承認されるとしたら、それはその事業会社の事業目的に沿ったベンチャー投資であることが証明されるような、特別な場合のみでしょう。ベンチャー側からすると、事業会社から出資が出てくる場合は何らかの拘束を受ける訳であり、その事業会社に何らかの形で貢献できないと、様々なトラブルに巻き込まれることになってしかるべきでしょう。
長々と述べましたが、事業法人(上場株式会社)のベンチャーへの出資という作業は、社会的に一筋縄ではいかない事がおわかりいただけたかと思います。ですから私が運営するベンチャー投資事業組合の論理の中に、「事業組織」、という次元を注意深くはずしてあり、運営の独立性を高め、起こりうるコンフリクトを事前に避けています。株式持ち合いに代表される日本の法人社会の中にあって、個人のコンセプトを貫いているものですから、参加いただいている方々から新鮮な感じで受け取っていただいているのでしょう。(マスコミにもそこのところが結構新鮮らしくて、99年6月10日NHKの「おはよう日本」<特集:変わるベンチャーキャピタル>において、NTVPの投資活動が、インフォテリア平野社長、出資者の堀場雅夫氏とともに、数分ですが紹介されました。)
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…さて、1998年4月東京の某証券系大手株式会社型VCへ入社したところでしたね。
当時は入社した会社が浜松町に移転したところで、毎日杉並区宮前にある寮から西荻窪で中央線に乗り浜松町駅で降りて出勤していました。同期は10人位いたでしょうか。みんなそれぞれ個性的な仲間で、ベンチャーキャピタルなどと言っても15年前のこと、今みたいに言葉すら新聞にめったに掲載されることはない業界であり、当時入社したのは(私も含めて)かなり変わり者だった連中でした。 当然、新入社員は様々な人生観や思惑で入社します。必ずしもベンチャーキャピタルをやろうとして入社した人間ばかりではありません。業種はともかく親会社がしっかりしており、会社が新しいので出世が早い、などと言うことを考えて入った人もいました。そこがVC「会社」への就職という形態の難しさです。
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(しばらく日本VCの歴史を分析しますので、興味のない方は読み飛ばしてください。)
当然、組織で出世しようとして入社した人間は、会社を一流会社のように組織で固めようとします。1984年当時、私が入社した頃の大手VCは、「ゆくゆくは君らの中から日本最初のベンチャーキャピタリストが誕生して来て欲しい」などと言われておりました。ところが、特にその会社型VCは、VCでありながら1988年頃の株式公開を目指していましたので、株式公開会社に見合った管理組織をということで、急速に「VC組織分業体制」が進みました。公開会社にふさわしいように、銀行の審査体制と証券会社の法人営業体制を合体させたような、どこか従来の金融業界で見たような組織が理想とされました。すなわち、営業部隊が株式公開の支援案件をファインディングし、投資企画部隊が提案書を作成し、審査部隊が案件を審査して、投資委員会で投資の決裁を、さらに公開の支援はコンサルティング部隊が、出資者の対応は組合管理部が、というそれぞれ別々のサラリーマン専門部隊が責任を持つという体制です。株式公開は、前例があると特に保身的サラリーマンの関係者は安心します。さらに、当時その会社型VCは消費者金融等への融資残高が多く、さらに1985年からベンチャーの倒産が相次いだことから、急速に管理体制強化がうたわれ、個人の独断で投資が行われることがないように、それぞれ別々の担当による相互チェック(牽制)体制を強化していました。
投資活動を作業によって分業し、頻繁に人事異動を実施しました。入社した新卒社員に対しては、全体の作業の部分部分を担当しながら、しかも人事異動をしながら出世をしていく、というキャリアを積ませましたが、特定の案件を数年かけて完成させる作業は、ほとんど経験する人間がいません。投資先の未公開会社やベンチャーの経営者からすると、数年に一度VC会社担当者が交代し、ほとんど毎年誰かしらから人事異動や組織改正の挨拶を受けて、ベンチャーの社長の方が、VC会社の人事異動の動向に詳しい語り部のようになっているケースすらありました。また、当時親会社や幹部の経営方針の変更を受け、ベンチャー企業の経営に直接関係のない商品(例えば工業団地)の販売などの斡旋を手がけようと、営業部隊が何度も打ち合わせに時間を割く、などと言うことも当然のように行われていました。(当然、組織全体の活動に逆らうということは、サラリーマンとして失格とされました。)成功すれば俺がやったという人間が組織から多数手を挙げ、少しでも自分の人事異動に有利にしようとするし、失敗すれば自分の不利にならないように処理しようとする(多くの場合、サラリーマンが相互に傷つかないよう、投資先のベンチャー経営者のせいになりました。)のは、これまた熾烈なサラリーマンの出世競争の中で自然の成り行きでした。
新卒ながら、このベンチャーキャピタルという仕事は、果たして金融業界のような分業組織体制が相応しいのか、我々プロパーの仲間は当時みんな疑問をもっていましたが、株式公開というものは、仕事の本質が要請する体制とは違う「上場企業に前例のある古い組織」を押しつけてしまうことがあります。それ以降、私は「株式公開というものは、準備の仕方によっては事業の本質を歪めることもある」と考えるようになりました。また、株式公開が済んだ後はVCに相応しい組織に改革していくのかな、とも思っていましたが、「いったん出来てしまった管理組織を親会社から断続的に人事異動でやってくる幹部が抜本的にメスを入れると言うことは、非常に難しい」と言わざるを得ません。前例主義が大好きな金融関係業界によって、その体制がその後の「日本のVCにおける管理体制のデファクトスタンダード」になってしまったことは、後に続々と出来た日本の金融機関や事業会社系列のVC会社を見れば明らかです。また、当時株式公開が様々な規制によってハードルが高く、「日本中にとうに株式公開していてもおかしくないような会社が多数(おそらく500社程度)未公開のまま残っていた」と言う時代背景が手伝って、「VC組織分業体制」がそれなりに機能して意味があった、と言う環境面の事情があります。
この分業体制は、今日までも業界で尾を引き、世界的にも不思議な体制が存続して、今日のVC会社の独特な景色をつくりだしています。また、世界では異例なことですが、いくつかの日本のVC会社がバブルの崩壊とともに、または親会社の破綻とともに倒産・廃業の憂き目にあっております。すなわち、業界の歴史が20年も経っているのに、日本にはベンチャーキャピタリストらしい経験を積んだ人間がほとんどいない(出てきようがない)というのは、こういう事情によっております。決して能力や文化の違いでない点は、強調してもし過ぎることはないと思います。
また、一部ベンチャーキャピタル会社に改革の動きが出ていることは良いことです。(途中から、ここまで日本VCの歴史論でした。)
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話を入社した1984年頃に戻します。
まだサラリーマンの出世競争が激しくない、VCに対する純粋さが残っていたころの入社だったので、新人研修は結構熱心にアメリカのものを学び、新卒の中から将来のベンチャーキャピタリストを誕生させようと言う総合的多面的なものでした。どうすれば有望ベンチャーを発掘できるか、どう分析し、どう評価して、どう投資するか、バスを繰り出して当時のベンチャー投資先をみんなで回ったりしました。訪問先には、現在の株式公開先の日本マイクロニクスや、その後東芝に吸収されたパソコンのソードなどがありました。まだ日本で独特の分業体制が出来る前のVCの状況だったので、新人研修もそれなりに取り組みが手探りながら真摯であったと思います。それが、1986年くらいからどんどん分業体制に傾斜していき、新人研修までが分業を前提にした、部署ごとにセクショナリズムが拡大しそれぞれ担当業務の権限を主張するように変化していたように思います。例えば、審査部は権限が強化され、それ以前は投資の担当者が早く能力を磨き、投資候補先会社をよく調査分析できるように、などと言われていたのに、その頃には、「投資候補先の分析を担当する部署が審査部であり、投資担当者の分析などそのまま信じるわけにはいかない」、などということを公然と発言する幹部が出てくる始末でした。
そのすぐ後です。「アメリカのVCに学ぶことはすでにもう何もない」という発言が、社内から出るようになり、アメリカのVCへ研修旅行は中断され、その大手証券系VCがリードする日本のベンチャーキャピタル業界は、世界的にも独自のものである「会社組織分業体制による路線」を走ることになります。しかし、会社におけるアメリカ研修が中断している間も、私は現場で生じたVC投資の疑問を日本では納得することが出来ず、休暇を取ってはシリコンバレー等を訪問し、自らの日本における投資活動の是非を直接間接に確認する機会を持ちました。その活動は、アジア、ヨーロッパも含めて回数は10回を超え、休暇を取って海外に投じたお金は、サラリーマン在職中に4〜5百万円に達しました。そんな活動が出来たのも、勤めていたVC会社が株式を公開したので従業員持株会の自分の持ち株を売ったおかげです。また、1998年3月初めて訪問したイスラエル休暇旅行が、私が会社を辞めることになった直接の引き金になったことは、運命の皮肉と言えるかも知れません。この場を借りて、そういう休暇における調査活動を支持し続けてくれた家族、とくに結婚生活10周年を迎えた妻には感謝いたします。
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今回はVCの日本的景色の経過をやや詳しく見ました。そうこうしているうちに、日本版NASDAQという黒船がやってくるということで、ソフトバンクは連日のストップ高を演じています。すでに時代は、日本のベンチャーがどうの、日本のVCがどうのというローカルな事情を論じている意味すらなくなってしまいそうです。
いったい何のために証券業協会の店頭登録制度の改革を進めてきたのか、ばかみたいな事になりそうな状況が目前に迫っています。いつまで日本は、こんな事を繰り返すのか?日本の特殊論を前提にベンチャー論をいじくり回すのはもうやめませんか?談合でなく、もっと国際市場における競争を前提に考えましょうよ。オリンピックの競争に、日本の特殊論が通用するわけがない?という事実です。普遍的な議論で、世界で通用する論理で議論をしていかないと、草野球になってしまいます。(誰だ、日本人は農耕民族で起業に向かないなんて、未だに言っているのは?!)
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さて、次回第八話からは、具体的に投資活動のケースを一つ一つ見ていきましょう。まずは、平成4年に投資を実施した会社(平成9年に店頭登録しました)ですが、投資をするにあたってVC会社内で喧喧諤諤もめにもめ、とうとう私も疲労困憊して生まれて初めて1ヶ月入院することにまで発展した案件を見ていく予定です。
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP)投資事業有限責任組合
ベンチャーキャピタリスト 村口和孝(http://www.ntvp.com)
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