目次

朝鮮総督府編纂教科書


日本が朝鮮において訓民正音の普及に努めたことは、よく知られている。

『朝鮮教育要覧』(朝鮮総督府/大正八年)を見ると、各学校のカリキュラムが明記されていて、半島在住の内地人(?)にも朝鮮語教育がなされていることが分かる。

とはいえ、当初の教育普及は困難を極めた。ほんの少し前、李氏朝鮮時代には、義務教育など及びもつかないことだったからだ。

「義務教育はなくとも李氏朝鮮の万民は教育熱心で、文武ともに盛んだった」という方もおられよう。
その方々に、以下のことを聞いてみるといい。
・初等教科書には、どんなものがあるか/その流通数・現存数・秀吉が焼いた数
・初等教科書の内容/時代による内容の推移/箕子朝鮮など古朝鮮建国の部分/檀君神話は掲載されているか?
・営利目的の書店・貸本屋・版元ができたのはいつか?/普及したのはいつか?
・金属活字による印刷本は少数しか刷られず、したがって政府や一部上流階級の独占物であったか?
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日本における初等教育の普及を知ろうと思えば、教科書の代表『庭訓往来』の写本をたどるだけでいい。
当初は素っ気ない文面であったものに、フリガナがつき、挿絵がつき、本文の前に筆の使い方の解説までつくようになる。
また、「往来物」と呼ばれるもののうち、初等教育に用いられた書籍の種類も多岐にわたる。
・日常生活や生産活動に関係深い語彙の学習を目的とするもの……『童学萬用字尽』など。『庭訓往来』にも、この傾向がある。
・教訓もの……『実語教』『今川状』など
・職業別の需要に応じた教科書。
 都市の寺子屋向け→『商売往来』『問屋往来』『八百屋往来』『本屋往来』『大工番匠往来』
 農漁村の寺子屋向け→『農業往来』

但し、「併合直前、国内に教育を急速普及させようとする『愛国救国運動』が湧き起こった」と主張する、韓国人留学生の論文を見たことも付記しておく。
活動家は存在したらしいが、実効性は不明。

以下、同書より引用。スキャナ取り込みを手直しした部分は新字体。容赦されたし。

『旧韓国政府が内地人参画の下に新制度を立て、官公立学校を設置するや、種々の誤解は地方民間に生じたり。其の著しきもの二三を挙ぐれば大要左の如し。

一、官公立學校に封する誤解
旧政府に於て新に学校を経営し授業を開始するや、
「是れ官學なり。政府の利益の爲に設くる學校なり。我等の子弟は私學に於て學ばしむべく、官學に於て學ばしむべきものにあらず」
となし、試に、地方學校経営者に対し、其の校舎を提供せしめ、補充拡張して設備を整へ教員を派遣し完全なる教育を施さしめんとするも、彼等は
「美名を借りて自己の學校を掠奪せんとするものなり」
など唱へて容易に応ずるものなかりしが如き。
亦以て地方人民が從來悪政の結果、如何に政府を誤解したるかを知るに足るべし。

二、内地人に対する誤解
學校経営の主脳たる内地人教員に対しても、當初は一般内地人に対すると同一なる嫌悪の念を抱き、内地人教員に子弟を託するを良しとせざるものあり。然るに、各教員が生徒に対する懇篤を極め、熱誠職務に忠實なるを見るや、寧ろ奇異の感を抱き歳月と共に漸次尊敬と信頼とを払ふに至れり。

三、教科目特に国語に対する誤解 
官公立學校の教科目が從來書堂其の他に於けるものと著しく異り、読書算術、國語を始めとし日常必須の教科を授くるや、漢文の時間少きを難し教授時数少なりと評し、特に國語を以て主要なる一教科目となすや、
「是れ韓国の言語を変更せんとするものなり。卒業後日本に拉致して兵卒たらしめ、若くは從僕奴隷たらしむるものなり」
などの風説流布し、民心の帰向を得ること頗る困難の状況を呈したり。

以上の如き誤解は、庶政刷新の際、固より免れざる所。
特に日韓當時の關係を喜ばざるものの如きは、力めて此等の訛伝を流布し、民心の帰趨を誤らしめんとするもの少らず。
此等の誤解の為、地方公立普通学校にありては生徒の募集上著しく困難を來し、書籍器具を給与し、授業料を徴収せざるに拘らず、中流以上の子弟は容易に入學せず。
却て設備整はず、教養の實なき私立學校に入學するもの多く、
「公立普通學校は貧民学校なり」との悪評を受くるに至れり。』

以上。

不評の理由「漢文の授業時間が少ない」というのが注意を引く。

前後の文脈としては、「現在、学制が軌道に乗っているのは先人の苦労のおかげ」である。なお、旧韓国政府というのは、併合前のことを示す。

まあ、「朝鮮人の証言こそが真実であり、朝鮮総督府の資料は信用できない」と主張する人は多そうだ。


1930年代末、教育科目から朝鮮語は外れるが、使用そのものは禁止されなかった。だから、朝鮮放送協会は第一放送を日本語で、第二放送を朝鮮語でおこなっていた(第二次大戦中、一時休止期間あり)。
また、梁柱東氏は『朝鮮古歌研究』を1942年に発表できたのだし、小倉進平氏も『朝鮮語方言の研究』を1944年に発表できたわけだね。

しかし、実際の教科書を見た人は少ないだろう。

よって、朝鮮総督府編纂朝鮮語教科書を掲載する次第である。正確には、あゆみ出版による復刻版。

「なんだ、ごく一部ではないか。都合の良い部分だけ抜き出したのではないか」という方もおられよう。

個人的には、ぜひ一般書店店頭で入手できる状況にして欲しいと思う。

植民地支配云々を語りたがる先生方の需要が見込まれる。

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はじめに断っておくが、以下は半島人向けの朝鮮語教科書である。

「訓民正音を学ぶ内地人向けの参考書だろう」と曲解する人間を見かけたので、注記しておく。

表紙

一覧表その1

一覧表その2

見れば分かるとおり、現在の訓民正音とは異なる。

表音文字なので、使われなくなった音は消えていく運命にあるわけだ。

平仮名で言うと「ゐ」みたいな感じ。

巻末

高学年用教科書では、漢文と訓民正音の混交文になる。

高学年向け教科書

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先生用の参考資料

科目は修身。日朝両語で併記されている。
だいたいの科目は日本語だけなんだけどね。

修身の教科書

低学年用の教科書では、一部日朝両語併記。
あと、 服装に注目。

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地理の教科書(おまけ)

朝鮮地方だそうです。


よくある質問

Q.「奈良」は古代朝鮮語で「クニ」「都」という意味だと聞きましたが、本当なんでしょうか。

A.古代朝鮮語って、新羅語でしょうか。それとも百済語?

もしかして、古代朝鮮語とやらの新史料発見でしょうか?!
こりゃすごい。

『韓国語の歴史』(李基文/大修館書店)では、「国」という意味を持つ単語として"narah"が挙げられています。
けど、これは「中世朝鮮語」。高麗〜李氏朝鮮初期の頃ですね。
万が一、"narah"が日本語に借用された場合でも、「なら」と発音されるかどうかは分かりません。おそらく語尾に母音が補われ(挿入母音という)、「ならは」のようになります。
急(原音は"kip")が「きゅう」="kyuu"となったようにね。

新羅語で「国」を何といっていたのかは不明です。同書によると"nuri"が「世」という意味であったらしい。けど、「都」とは意味の差違が大きいな。

この種の説を唱える方々は、こう考えるでしょう。「"nuri"と"nara"は極めて近い。」
小生は、こう考えるでしょう。「だったら、 『なら』じゃなくて最初から『なり』だか『ぬり』って書けよ。」

小生からの反論をまとめておきましょう。

  • 朝鮮語の"nara"が「国」という意味を持つのは、中世より後である。
  • そもそも、古代朝鮮語とやらで、「国」「都」って何ていうの?
  • この説が事実なら、古代において栄えた各地域に"nara""nuri"という地名がつけられているはず。特に西日本または帰化人が移住した地区。

素朴な疑問なんですが、百済新羅高句麗から帰化した人々は故郷の地名を持ち込まなかったんでしょうかねえ。
例えば、「新丸都」「新熊津」みたいに。
もちろん、「高麗」「百済」といった地名はありますが、移民が自発的に持ち込んだ地名ではありません。天皇が高句麗・百済から帰化した人々に土地を与えて住まわせた場所ですね。

『日本の中の朝鮮文化』(金達寿/講談社)は、話半分で読みましょう。

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Q.「飛鳥」の語源は古代朝鮮語の「安宿」、つまり「安らかな場所」だって本当ですか。

A.「安宿」って……朝鮮語ではなく漢語じゃないですか。反則ですよ。

古代朝鮮語とやらで、「安らかな」って何ていうんです?

私は「アショカ王」が語源だと思いますよ。「アスキー」かもしれないけど。

音が似てれば、何とでもこじつけられますし。


朝鮮人への反論を考えている方々へ

朝鮮人・朝鮮寄りの日本人は、一つの物語を守ることに必死である。

それは「平和を愛する韓民族が、外敵に抵抗しながら、独力で近代化を成し遂げて現代に至る」という壮大な物語である(明石書店の邦訳教科書をご覧になるといい)。

だから、彼らの反応はこういう感じになるだろう。

  • 善政の水準を意図的に引き上げた上で、「悪政だった」と主張する
  • 「李朝末期、もともと近代化の萌芽があった。いずれ独力で近代化できただろう」と主張する
  • 「峻烈なる民族抵抗への譲歩であり、本意ではない」と主張する
  • 独立運動への制限を提示し、「日本の支配化では、完全完璧な自由は存在しなかった。だから駄目だ」と普遍化する
  • 「一部の功績をもって、全体を善とするのは軽率」と主張する。但し、自身は「一部の悪をもって、全体を悪とするのは軽率」だと思わない。立場が半島寄りだから
  • 「一部の功績はあるかもしれないが、それによって日韓合邦が正当化されるわけではない」と主張する。流れとしては、「合邦そのものが不当と考えられるので、結果的に半島発展につながったとしても、全て駄目」

ともかく、「話にならない」のを覚悟すること。そういうものだ。

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ついでだから、半島で忘却されていた郷歌を日本人が発掘解読したと言うことも書いておこう。

郷歌の解読は、鮎貝房之進氏などによって行われたことがあった。しかし、現存25首全ての解読を試みたのは、京城帝国大学=現ソウル大学・小倉進平教授が最初である。
古代朝鮮語の文献は、研究材料としては非常に少ない。そこで、小倉氏は朝鮮語の方言から中世・近世の文献(訓民正音による表記)までを参考として、解読を行った。これが『郷歌及び吏読の研究』(1929)である。
韓国人としては梁柱東氏が初めてである(『朝鮮古歌研究』1942……まあ、当時の彼は日本人だったわけだが)。
なお、朝鮮文学の専門書によっては、「梁柱東」の名前しか出てこないものもある。ソウル大学のwebページ(英語版)でも、1945年以前の歴史は、意図的に抹殺されている。
注意が必要だ。

郷歌というのは古代新羅の歌謡である。

『郷歌及び吏読の研究』(京城帝国大学=現ソウル大学・小倉進平教授)に、彼が均如上人の郷歌11首を発見した経緯を記している。

有賀啓太郎氏が、当時現存していた47ヶ所の書院(李朝時代の学校)の歴史を記すため、『四十七祠院』という本を刊行したの中に『均如伝』が紛れ込んでいた。それを見た小倉進平氏が探索した結果、朝鮮総督府学務課に保存されていた(!)、より完全に近い『大華厳首座円通両重大師均如伝』が確認されたのだ。

なお、この郷歌25首は、現在に至っても完全には解読されていない。口承で伝えられたり、また漢文に訳された状態のものもあるから、概要が分かるものもある。
三国時代の詩歌のなかには、確かに意味が分かっているものもある。原文は残っていないが、「井邑詞」「黄鳥歌」のように、漢文に訳されたものである。百済語がどのようなものか判明していない。しかし漢文は読めるから、意味が分かるのである。決して百済語自体か解読されているわけではない。
これらのなかには、訓民正音に書き換えられたものもある。しかし、それは中世以降の朝鮮語であって、残念ながら三国時代の百済語・高句麗語ではない。

史料がほとんど現存していないため、古代朝鮮語というものがほとんど解明できていないからだ(『韓国語の歴史』李基文/大修館書店)。

なお、この郷歌の表記には、郷札という表音的な方法を用いる。
このようなことを書くと、「万葉仮名は郷札が起源ではないか」と想像する読者もいるだろう。事実、用字を比較して、そのように主張する研究者もいる。

借音による表記については、漢訳仏典という大先輩があるので、郷札と万葉仮名の双方が範を求めていたとしても、別に驚くことではない。とはいえ、「日本の文化は朝鮮起源である。支那の文明も、全て朝鮮半島が伝授した」という前提の前では、取るに足りないことなのであろう。

もちろん、両者には大きな違いがある。
例えば、郷札は単なる表音だけではなく、文法的な記号が加わる。例えば、「馬」「米」「毛」は動詞の語幹について名詞形を作る……という具合に。
これは、朝鮮語(この場合は新羅語)と日本語が、古代から大きく異なっていたことを意味する。もし両者が類似していれば、郷札も万葉仮名と同等の手法で解読できそうなものである。
ともかく郷札は複雑なため、誰でも書けるものではなかった。およそ、僧侶の活動によるところが大きかった。

以下、『郷歌及び吏読の研究』より、郷歌「得烏谷慕郎歌」を引用する。専門家によって、現代語訳は異なる。
「古代において、朝鮮人と日本人は、会話に通訳を必要としなかった」と信じている方は、是非『万葉集』片手に解読して欲しい。

去隱春皆理米。毛冬居叱沙哭屋尸以憂音。
阿冬音乃叱好支賜烏隱。貌史年數就。
音墮支行齊。目煙迴於尸七史伊衣。
逢鳥支惡知作乎下是。郎也慕理尸心未。
行乎尸道尸。蓬次叱巷中宿尸夜音有叱下是。

万葉仮名は「梨壺の五人」など朝廷が自主的に保存研究に努め、そして現在まで残っている。対する郷歌は高麗初期までに廃れ、やがて読める者は居なくなってしまった。

郷歌の現存数が少ないことについて、小倉博士は「朝鮮の支那崇拝」を挙げている。事実、『三国史記』は、「詞俚不載」として、こういう歌謡を収録していない(『日本書紀』とは違うね)。また、高麗は自らを支那の一部と考えていたらしく、『三国史記』『三国遺事』では自国語を「方言」「俗訓」とも記している(『郷歌及び吏読の研究』)。

『三国史記』楽志には、新羅時代の歌楽が既にほとんど散逸してしまっていることを記しており、「秀吉が焼いた」「日帝が抹殺した」ということはない。朝鮮人の皆さんは、安心して欲しい。

最後に、万葉仮名と郷歌の優劣を競うのは無意味である、と付記しておく。


韓国の歴史教科書を見て、思ったことがある。

「なぜ日本領時代の餓死者数/乳児死亡率推移を掲載しないのか?」

苛烈なる支配下において、独立運動家は民衆の支持を受けつつ活発に活動していただろうから、そこら辺の史料には事欠かないと思う。

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私は百済の鬼室集斯の子孫であるが、日本に帰化した先祖の選択は間違っていなかったと思う。

もし韓国にいたら、三別抄について、かなり嘘を書かなければならなかったからだ。

「故人への名誉毀損」で訴えられるのは嫌だしね。