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護良親王に関する伝承


伝承の分類

以下の通りである。

  1. 護良親王は鎌倉において害されず、足利家臣の淵邊義博らとともに逃亡し、ある場所で隠棲したというもの
    (宮城県石巻市・新潟県刈羽郡小国町・神奈川県相模原市)

    関連する地名が残るという。

  2. 護良親王は鎌倉において非業の最期を遂げたとし、その寵姫・娘・妃・子供の後日談及び遺品・親王の首の行方を語るもの

    雛鶴姫(南の方あるいは竹原滋子ともいう)・華蔵姫(親王の娘)・立花姫(北畠氏。親王の妃という)・陸良親王(護良親王の子。興良親王とも)及びその従者に関する一連の伝説。
    (山梨県都留市秋山村付近一帯、山梨県富士吉田市小室浅間神社、神奈川県津久井町青山神社、千葉県東金市、鎌倉妙法寺、栃木県佐野市、対馬、薩摩。)

    華蔵姫・立花姫は、護良親王の死後に落飾し、後生を弔って静かに暮らした。従者は土着した。
    雛鶴姫は親王の子を身ごもっており、逃げる途中で産気づいた。姫は死んだとするものと、子供とともに土着したとするものもある。子供(綴連王ともいう)がどうなったのかは伝承によって分岐する。

    ・夭折した。
    ・南朝方に加わったが、戦い敗れて隠棲した。 大塔氏を称したとも。

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小生の閲覧出来る史料の範囲では、詳しいことは分からない。

子孫の方々より、(差し支え無き範囲にて)情報の提供をお願いするのみである。

余談ながら、護良親王の遺児及び遺臣の戦いを描いた小説として『南朝盛衰記』(全五巻。評伝社)がある。とっつきやすいと思うので、興味のある読者は図書館にて参照されたい。