目次


桜雲記

  1. 幕府討滅
  2. 南朝創業
  3. 有力武将の死
  4. 正平一統
  5. 幕府内部抗争
  6. 南風衰う
  7. 終章
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桜雲記・目次

筆者が勝手に七部構成にした。原文は、ひたすら編年体である。

所々に出てくる和歌は、雰囲気を出すために原作者があちこちから借用して挿入した、という程度のものが大部分であり、大した意味は無い(宗良親王等、有名歌人のものを除く)。


はじめに

『桜雲記』について


第一部 鎌倉幕府討滅
〜世を聖代に復す〜
 

(元徳三年まで。未完)

  • 後醍醐天皇即位
  • 天皇と幕府
  • 正中の変

第二部 南朝創業 

(建武二年)
中先代の乱。鎌倉は落ち、護良親王は弑せられる。尊氏は勅許を待たずに進発し、凶徒を追討する。
(建武二年〜延元元年)
尊氏、朝敵となる。義貞以下東征軍は敗北し、天皇は比叡山に臨幸する。奥州からの援軍も加わった官軍は再度の合戦に勝利し、尊氏を兵庫に追う。尊氏は筑紫へ逃れる。
(延元元年)
尊氏の筑紫落ちを聞いた菊池武敏は、兵を催して尊氏を迎撃する。尊氏はこれを多田羅ヶ浜(多々良ヶ浜)に破り、九州は悉く尊氏に靡いた。尊氏は、大軍を率いて再度上洛する。このとき、尊氏は持明院統の上皇より院宣を賜り、朝敵の汚名を免れる。両軍は湊川に合戦する。新田義貞以下、官軍は必死に戦ったが、激戦の後に官軍は敗退し、楠木正成は敗死する。
(延元元年)
敗報を聞き、後醍醐天皇は比叡山へ臨幸して守りを固める。入れ替わって入洛した尊氏は比叡山を包囲し、都では連日のように合戦が繰り返される。当初の形成は互角であったが、千種忠顕・名和長年といった天皇方の主な武将が相次いで戦死し、戦況は尊氏に傾いていった。後醍醐天皇は和睦に応じて下山し、軟禁された。義貞は恒良親王・尊良親王を奉じて北陸に脱出し、後醍醐天皇もまた吉野に潜幸して朝廷を開く。一方の尊氏も持明院統より光明天皇を擁立する。以下、後世にいう「南北朝時代」となる。

第三部 一進一退の攻防
〜有力武将、相次いで死す〜 

(延元二年)
公家の中に、南朝へ参ずる者が現れ始める。また、新田義貞の嫡男・義顕が立て籠る金ヶ崎城が陥落し、尊良親王もまた自害する。
(延元二年〜延元三年)
奥州に引き揚げていた北畠顕家が、京都奪還を目指し、大軍を率いて上洛を開始する。鎌倉を落とした顕家は奈良にまで迫ったが、和泉堺ヶ浦の合戦に敗れて戦死を遂げた。その直後、新田義貞もまた越前灯明寺畷の合戦で流れ矢にあたって討死した。
(延元三年)
南朝は、北畠親房以下主な者を地方に派遣して味方を募ろうとしたが、暴風雨に遭って船団は四散する。しかし、親房は常陸に、宗良親王は遠州に、懐良親王は四国に流れ着き、それぞれ活動を開始する。
(延元三年〜興国元年)
足利尊氏、征夷大将軍の宣下を受ける。その翌年、後醍醐天皇崩御して後村上天皇が即位する。
(興国二年)
親房は常陸小田城で、宗良親王は信州大河原で味方を集める。また、四国経略にあたっていた脇屋義助が病死する。
(興国四年〜正平二年)
高師冬が常陸に至り、親房以下の宮方と合戦する。宮方は幾度かの勝利を収めたが、小田治久が武家方に転じ、期待していた結城親朝の援軍も来ず、戦況は次第に苦しいものとなっていく。
(正平三年〜正平四年)
楠木正行起つ。各地に敵を破る。しかし、高師直の大軍と戦い、四條畷に死す。師直は吉野の内裏を焼く。

第四部 正平一統 
〜南朝、一瞬の光芒〜 

(正平四年〜正平六年)
正行亡き後、楠木正儀が後を継ぐ。足利幕府が勢力争いに揺れる(観応の擾乱の始まり)。直義と師直が不和になり、直義は政務を辞して出家しする。後に脱出して南朝に帰順し、軍勢を集めて反撃に乗り出する。尊氏・師直は直義によって各地で敗れ、松岡城に籠る。直義と尊氏・師直は和睦するが、師直・師泰は殺される。
(正平六年〜正平七年)
尊氏・直義兄弟の不和は止まず、各地の武士が両派に分かれて戦う。尊氏は直義を薩タ山に破り、これを降伏させる。その直後に直義が急死する。この頃、京都に残っている軍勢が少なかったので、義詮は南朝に和議を申し入れた。後村上天皇はこれをお受けになったが、当初より守るつもりはなかった。
(正平七年)
後村上天皇は吉野から住吉へとお移りになる。ここにおいて和議は破られ、北畠顕能・楠木正儀らが都に進撃する。義詮は近江へ逃れる。南朝は光厳上皇・光明上皇・崇光天皇・直仁親王(東宮)を捕えて吉野へ押し込めた。一時、朝廷は南朝によって統一される(正平一統)。
(正平七年)
宗良親王は征夷大将軍の宣下を受ける。親王は新田義宗・義興・義治に奉ぜられて軍を起こし、鎌倉へ進撃する。尊氏は金井原・小手指原にてこれを迎撃する。新田軍は敗れたが、矛先を転じて鎌倉へ乱入し、足利基氏を追う。しかし、義宗は臼井峠の戦いに敗れて越後へ逃れ、鎌倉は尊氏の手に帰した。
(正平七年)
名和長年の残党が船上山に挙兵したが、すぐに鎮圧される。後村上天皇は、洛中から八幡山に退いて守りを固めたが、二ヶ月に渡る戦いの後に陥落した。足利軍の包囲を破って逃れる途中、四条隆資等多くの犠牲者を出した。

第五部 か弱き幕府 
〜内部抗争止まず〜 

(正平七年〜正平九年)
後村上天皇、再び吉野へ遷幸する。京都においては後光厳天皇が即位する。山名時氏・師氏が南朝に帰順する。宮方は山名勢と呼応して都を占領したが、やがて軍を引く。足利直冬が南朝に帰順し、旧直義派がこれに属す。
(正平十年〜正平十三年)
南軍が再び都に迫り、尊氏は天皇を奉じて近江へ退く。幾度もの合戦の後、南軍は食糧が尽きて引き上げる。数年後、尊氏が死に、義詮が将軍を継ぐ。
(正平十三年〜正平十四年)
肥後の豪族・菊池武光、懐良親王を奉じて転戦し、九州を従える。新田・名和等の残党が菊池を頼って九州に来る。新田義興謀殺される。北畠親房死す。
(正平十四年〜正平十五年)
足利義詮、大軍をもって南朝を追討する。後村上天皇は河内国観心寺に逃れる。赤坂城も落城し、楠木和田は金剛山に隠れる。畠山・仁木の不和によって、北軍は陣を解いて帰洛する。
(正平十六年〜正平十八年)
菊池武光、少弐・大友を破る。細川清氏、南朝へ帰参する。南軍、再び都を占領するが、支えきれず軍を引く。細川頼之、清氏を破り四国を平らげる。菊池武光、九州探題・斯波氏経を破る。
(正平十九年〜正平二十三年)
大内弘世・山名時氏・仁木義長、相次いで幕府に降る。佐々木道誉、斯波高経を讒言して越前に追う。細川頼之が執事となる。足利義詮死し、義満が将軍となる。

第六部 北闕の空は遠く 
〜南風日々に衰う〜
 

(正平二十三年-明徳三年)

1,両朝合一への道

  • 後村上天皇の崩御
  • 和平交渉の中断
  • 楠木正儀の北朝帰順
  • 南朝、摂津南三郡を失う
  • 天野山合戦-四條隆俊戦死
  • 足利直冬、幕府に降伏
  • 南朝最後の攻勢-幕府軍が諸城を陥れ、南軍の攻勢止む
  • 和平派、細川頼之・楠木正儀の苦難
  • 山名氏清、紀州に南軍を破る
  • 幕府軍、和泉国諸城を陥れる
  • 楠木正儀、南朝へ帰参
  • 後小松天皇即位
  • 懐良親王、北畠顕能が相次いで死去-抗戦派の勢力弱まり、長慶天皇退位して後亀山天皇即位
  • 楠木正儀、参議に任ぜられる
  • 宗良親王死去
  • 楠木正儀、紀伊に挙兵
  • 元中六年における南軍の勢力
  • 細川頼元、伊予を平定する
  • 千早城落城
  • 両朝合一

2,征西将軍府の最期

  • 今川了俊の九州上陸
  • 菊池武光死去
  • 太宰府陥落
  • 高良山撤退
  • 背振山合戦に敗北
  • 水島の変
  • 千布蜷打合戦に大敗-幕府軍、肥後に迫る
  • 菊池武朝、託麻原合戦に勝利
  • 菊池本城陥落
  • 菊池氏の抵抗続く-肥後天草の合戦
  • 肥後八代城落ち、征西将軍府降伏

3,将軍専制

  • 康暦の政変、細川頼之失脚
  • 美濃の乱
  • 明徳の乱

終章 それぞれの末路

(明徳四年〜応永五年)
北畠親能、足利義満の諱を賜り満泰と改める。小山若犬丸、鎌倉を攻めて敗れ、奥州に走る。田村庄司、これを受けて軍を起こす。氏満、これを滅ぼす。少弐・菊池、九州に蜂起する。大内義弘、これを破る。
(応永六年〜応永十四年)
大内義弘、堺に挙兵して敗れる(応永の乱)。伊達大膳大夫、兵を起こすが上杉氏憲に敗れる。新田義隆、底倉にて誅殺される。
(応永十五年〜応永二十九年)
足利義満死す。義持後を継ぐ。新田貞方、捕らえられて七里ヶ浜に斬られる。後小松天皇譲位し、称光天皇が即位する。後亀山天皇の太子・寛成親王(原文ママ)が差し置かれたため、北畠満雅が幕府に背き、大いに戦う。義持、南朝の皇子を帝位に即けると約し、乱は静まる。
(応永三十年〜永享六年)
義持、義量に将軍を譲る。後亀山上皇崩御する。将軍義量、義持相次いで死す。足利義教、将軍となる。称光天皇崩御し、後花園天皇が即位する。寛成親王、約を違えられたことを憤り、北畠満雅に出兵を命じる。仁木・一色・土岐等がこれを討つ。寛成親王、力尽きて降る。和泉・紀伊の南軍も降参する。
(永享七年〜永享十年)
越智伊予守、和泉高鳥城に蜂起する。遊佐兵庫助、これを囲んで敗れ、越智に与同する者が現れる。幕府、大軍を送って多武峰寺を焼き、凶徒を討ち取る。
(永享十一年〜永享十二年)
義教、一色氏を討つ。北畠満雅死し、以後北畠氏は幕府に属する。
(永享十二年〜嘉吉元年)
寛成親王、足利義昭と義教失脚の密議をこらす。事露れて、義昭逐電するが逃れられず自害する。
(嘉吉元年〜文安二年)
義教、赤松満祐に害される。義勝将軍となるが、翌年に死す。足利義成後を継ぐ。日野・楠木・越智、御所に乱入して神器を奪還する。南朝の残党吉野に籠り、高福院宮践祚する。八幡山に義兵起こり、源承法親王を奉じてしばしば畠山を破るが、細川出羽守に敗れる。
(文安三年〜宝徳元年)
遊佐・宇都宮、南軍を攻めて破り、源承法親王・楠木等を討ち取る。赤松教祐、伊勢で捕われ誅伐される。足利義成、征夷大将軍となる。
(長禄二年〜長禄三年{原文ママ})
南朝の新帝、十津川より吉野に移る。赤松遺臣等、南朝に偽って帰参する。翌年、新帝を害し奉り、神器を奪って逃れる。南朝の皇統遂に亡ぶ。