「ら抜き言葉」を推進しよう


「ら抜き言葉」ってなに?

「書くことができる」を短く言うと「書ける」ですね。では、 「食べることができる」を短く言うと何でしょうか。 中学校の文法の教科書によると、 「食べれる」はまちがいで「食べれる」です。 「食べれる」という言い方は、「ら抜き言葉」として非難されています。 あと、「見ることができる」の意味での「見れる」も「ら抜き言葉」で、 正しくは「見れる」です。

なぜ非難されるの?

「ら抜き言葉」を非難する人は、それが「文法的に誤っている」といいます。 その文法によると、「書ける」のような「可能動詞」を作ることができるのは 「五段活用」する動詞だけです。「食べる」のような「下一段活用」する動詞や 「見る」のような「上一段活用」する動詞は、助動詞「られる」を使って 「食べられる」「見られる」としなければなりません。

でも...(1) 文法ってのは

文法ってのは、 オエライサンが勝手に決めて人々に守らせるようなものではありません。 学者はどうやって文法を決めたかというと、 人々がしゃべっている・書いている言葉を収集して、 そのなかから法則性を抽出して、まとめあげたものです。 変わろうとする言葉を文法が監視するのではなく、逆に、 言葉が変われば、文法がそれに追随して変わらなければならないのです。

だって、体系的な「文法」を学ぶ前の小学生でも日本語をしゃべりますし、 中学校の文法が苦手だった人は日本語をしゃべれないなんてことはないでしょう?

でも...(2) 通用するか

さて、だからといって好き勝手に言葉を変えるわけには行きません。 言葉は相手に意志を伝えるためにあるのですから (意志を隠すため、 という利用方法もあるけど)、 相手が聞いて (読んで) 分からなければ意味がありません。 その点、「ら抜き言葉」は広く使われているし、 それに反対する人々の間でさえ、「ら抜き言葉」なんて名前が付くぐらいですから よく知られています。

でも...(3) 合理性

助動詞「られる」には、4 つの意味があります。受け身、自発、尊敬、可能。 だから、「見られる」とか「食べられる」という言葉を聞いたり読んだりしたときは、 その 4 つの中のどの意味になるのかを文脈から判断しなければなりません。 たとえば...

「彼は熊に食べられた」→受け身
「私には、それは正しいことのように思われる」→自発
   (「食べられる」のいい例が見あたりませんでした)
「先生はそのお菓子を食べられた」→尊敬
「私は納豆を食べられる」→可能

しかし、これは聞き手・読み手にとって負担になりますし、 文脈から判断つきかねる、つまり、あいまいになってしまう恐れもあります。

「先生はその料理を全部は食べられなかった」→尊敬?可能?

どうせ尊敬の意味なんか正しく伝わらなくても用は足せる、 なんて言ってしまえばそれまでですが...。

一方、「ら抜き言葉」は、可能の意味にしか使いません。意味は明確です。 さらに、将来、可能の意味がもっぱら「ら抜き言葉」で表現されるようになれば、 「られる」から可能の意味がなくなっていくことでしょう。なぜなら、 可能を表現するためにはきちんと「ら抜き言葉」があるのに、 あえて「られる」を使うのは、可能の意味を伝えたいのではないからだ、 と聞き手は判断することができるからです。まあ、 語感というか言葉のリズムを重視する場合には、 両者をうまく使い分けることになるでしょうが。

でも...(4) 地方によると

「ら抜き言葉」非難派は、 「ら抜き言葉」の歴史が浅いことを非難するかもしれません。しかし、 現実に、「ら抜き言葉」が歴史的に使われている地方もあるそうです。

本多勝一『日本語の作文技術』によると、彼の故郷の長野県伊那谷では、 「ら抜き言葉」こそが正しい日本語で、 可能の意味での「見られる」「食べられる」は、 いわば「ら入り言葉」として非難されるといいます。

結論

「ら抜き言葉」は、このように、一般的に通用し、 助動詞「られる」のあいまいさを緩和する働きがあり、 歴史的に利用されてきた実績もあります。 「文法的におかしい」という非難は的を外しています。 さあ、「ら抜き言葉」を堂々と使いましょう。

補足

言葉は相手があってのことですから、相手がどう考えるかについても十分に考えて、 言葉を選びましょう。「ら抜き言葉」を使った結果については私は責任を持てません。

「ら入り言葉」の不合理性(意味が多義的に過ぎる)を避けたくて、 かつ、「ら抜き言葉」を使いづらいような場面では、 「〜することができる」と言い換えるのがよいかもしれません。


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