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がしそふとについて

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まず、重要な事ですが、がしそふとは、

「企業ではありません」 (2005年04月現在)


がしそふとは、
「プログラマは夢を作る仕事」・・・

を念頭に、くだらないソフトからすげぇソフトまで幅広い視野でソフトを作りつづけるプロフェッショナルプログラマ集団です。

くだらないソフトを作るためにすごい技術を投入する、そんな無駄なことばっかりやってるような気がします。
金儲けはときどきしかしません。

団体名:「がしそふと / GASHISOFT
代表者:「がし / GASHI 」 30歳 野郎

関連団体:「がしそふとJAPAN / GASHISOFT JAPAN


がしそふとの歴史

といいますか、ほとんど、代表「がし」の歴史でございます(笑)。
記憶があいまいでちょっと年数がずれてる部分があるかもしれません。気にしないように(笑)。

あと、ネタをコンピュータ関係に絞ってあります。
だからバリバリのコンピュータヲタクと思われると、若干のとまどいを隠せません(笑)。

1974年9月 代表がし、出生
第2次ベビーブームによるものか?団塊Jrである。
以後自然に囲まれた山奥で育つ。
1979年11月 ドラえもん大ブーム
代表がしは父の仕事の関係でドラえもんグッズには困ることがなかった。
1980年4月 代表がし、初めて「ゲームウォッチ」というものを見る。
1982年6月 代表がし、初めて「テレビゲーム」というものを見る。
引野くんが持っていた「カセットビジョン」だ。このカセットビジョン、まさかカセットの中にCPUやら音源やらすべてが入っていて、本体は実はただのコンパネだったなんて。その事実を知ったのはこれから19年後のことである。
1983年12月 代表がし、初めて「ファミリーコンピュータ」を見る。村上君の家で見たのだが、白黒テレビだったため、印象が悪かった(笑)。
1984年10月 代表がし、初めて「パソコン」なるものを手に入れる
田舎の祖父に「セガのゲーム機が欲しい」と手紙を書いたのだが、セガのゲーム機は手に入らなかったらしく、替わりにMSX(カシオPV-7)が送られてきた。この事件がなければがしそふとは存在しなかったといっても過言ではない。
1984年12月 代表がし、近くの生協のパソコンコーナーにあしげく通い、PC-6601Mk2等をいじりまくる。おしゃべりさせるのがめちゃ楽しかった(笑)。P6をいじる私を何度か友人の福本君に目撃されている。
1985年8月 グループ団体名を「がしそふと」と命名
命名者は当時、代表がしが恋焦がれていた女の子につけてもらった(笑)。
以後変えていない。
がしそふと第1開発室を開設。
1985年10月 代表がし、コナミのシューティングゲーム「グラディウス」に出会う。
雷に打たれたような衝撃を覚える。この出会いで人生が狂う。
のちに発売されたMSX版グラディウスを購入。狂ったように遊びまくる。
1986年5月 代表がし、脳ミソ改造手術を受ける。
それまでアラビア数字の「5」の書き順が違い、父母参観日に恥をかいたこともあった代表がしであったが、この手術で改善される。
ちなみに手術が失敗していたらこの時点で死亡予定であった。
1986年8月 代表がし、コンピュータミュージックに目覚める。
当時まだPSGであったが、3和音あれば十分十分
PC-9801なんざ、16Bitの分際で単音しか出ねぇ。鼻でわらったものだ。
1986年12月 ハイドライド」が遊びたかった代表がし、しかしハイドライドはRAM32Kでないと遊べなかったのだ。PV-7は8Kなので、仕方がないので、32Kマシン所有の嶋森君のおうちに入り浸りでハイドライドをクリア。
しかし、なぜか、それ以後、嶋森君のおうちに出入り禁止になった(笑)。
1987年4月 代表がし、中学校へ進級。
1987年6月 ペーパーアドベンチャーゲームとかが流行っていた。当時のがしそふと製品もアドベンチャーゲームが多かった。「タイトルのないあどべんちゃあ」シリーズとか。今はプログラムが残っていないのが残念なのだが、非常にくだらないラブコメ調で、引野くんの「青春ストーリー」シリーズといつも競り合っていた。
1987年7月 代表がし、初めて「CDプレーヤー(据置型)」とCDを購入。
初めて買ったCDはTMNetworkのものである。
今じゃコムロが大嫌いな、代表がしである。
1987年10月 代表がし、悪友の小村君にMSX2(PanasonicFS-A1)を1万円で売ってもらう。(定価29,800円)。プログラム能力がメキメキ上がる(笑)。そのせいか知らないが、小村君は不良になってしまった。
1988年8月 がしそふと、MSX用の普及型廉価版FM音源を導入
コンピュータミュージックにどんどん入れ込む

調子に乗って校内合唱コンクールの練習用テープを作る。しかし、テンポずれ対策のためにやや速めにしていたせいで不評(笑)。
ちなみにこの曲はJ.パッヘルベルの「カノン」だ。
1988年11月 代表がし、またもや田舎の祖父に手紙を書き、MSX2(PanasonicFS-A1F)を買ってもらう。初めてのフロッピーディスクに狂喜乱舞(笑)。
プログラミングの幅が大幅に広がる。
1988年12月 がしそふと、初めてのマウスを導入。当時9,800円もした。へたくそながらCGを描き始める。
1989年1月 代表がしのお年玉でコナミの「スナッチャー」を導入。
目的はスナッチャーについている「SCCカートリッジ」(SCC音源が搭載されている)である。単純な5ch波形メモリシンセサイザであるが、のちに私が「GXSCC」を作るにいたるほどのお気に入りである。
スナッチャーはPC88版と同時発売。敵はFM音源だが、当然SCCのほうがいい(笑)。
1989年4月 がしそふと、絵がへたくそなくせにマンガ作品を発表。
とてもじゃないが今自分で見てもめっちゃ恥ずかしい仕上がりである。
ちなみにマンガまでがしそふとブランドである。
イラストも書いたりしたが、ヲタクよばわりされて自粛(笑)。
1990年4月 代表がし、某東海大学系の高等学校に入学する。
某「女の子が95%」の商業高校も受験したのだが、下心ミエミエで落とされた。
1990年6月 がしそふと、バンドブームのあおりもあり、エレキギターを導入。
代表がし、松尾くんが「聞いてみな」と言って「X」のテープを渡された。初めて聞いたXの曲は速すぎて、笑ってしまったのを覚えている。この衝撃も人生を変えてしまった。すっかりXフリークになる。(現X-JAPAN(解散))
代表がしはいつも髪の毛を逆立てて学校に行っていた。
当然いつも怒られていた(笑)。
1990年8月 代表がし、太宰治に入れ込む
当時のがしそふと製品には「テキスト文章」も多い。文章表現を積極的に学ぶ。高校生としては嫌味な作風で、先生に嫌がられた(笑)。
非常に遠まわしな表現や、華麗な隠蔽技巧はこの時に身についたものだ
1990年11月 がしそふと、コンピュータの使用用途がすっかり音楽中心になり、MIDIに手を出す。ローランドCM-32Lを導入。以後、MIDI音源はローランドのものしか買わなくなる。
1990年9月 代表がし、マッキントッシュのユーザーインターフェイス、およびその設計思想に感銘を受ける。大人になったらこんなん欲しいなーと、九十九電気で指をくわえて見ていた。
以後、ウィンドゥの概念やユーザーインターフェイスにこだわるようになる。
1991年2月 がしそふと、当時流行っていた「ファジー理論」を利用し、白黒プリンタでグラフィックを美しく印字するプログラムを開発。印刷する画像の特性を抽出し、自然に見えるように再構成し、2重打ちなどを駆使して表現する、すげぇプログラムだったのだが、ディスクがクラッシュ。気を取り直して作り直したのだが、同じ印字結果が得られない。そこがファジーたる所以か?(笑)。
1991年6月 代表がし、親友の福本くんとともに某CB社でアルバイトをはじめる。
バイキングレストランで働きがしそふとの運営資金を捻出。
1991年9月 代表がし、X68000が欲しくなる。
が、とても貧乏人の手に届くものではない。店頭デモでグラディウスが動いているのを指をくわえて見ていた。結局X68000は所有したことがない。が、その設計思想とスタイリッシュなフォルムには未だにあこがれる。ちなみにどんなに性能がよいマシンが出ている今でも、これを越えるマシンはないと思っている。
1991年11月 代表がしのアルバイト収入でMSXturboR(Panasonic FS-A1ST)を導入。約8万円。2ヶ月分の給料である。しかし、改造しようとして失敗(笑)。1週間でオダブツ。泣く泣くもう一台買うことに。
1991年12月 代表がし、初めて女の子に告白。
が、一瞬でフラれる
(笑)。撃沈記念に福本くんと酒盛り。
1992年10月 がしそふと、草の根BBS「がっしーねっと」を開局
開局当時1200bpsであった。
しかもデータはすべてフロッピーディスクに入っていた。すげぇ(笑)。
1992年11月 代表がし、BASICの遅さに嫌気が差し、C言語を独学で覚え始める。
しかし、使っていたMSX-Cはとんでもなく非標準だった。誰に薦められて始めたわけでもないが、C言語という選択はぜんぜん間違っていなかったが。
1993年1月 がしそふと、初めてのDOSマシン「PC-9801n」(NEC初代ノート)を中古で導入。
MS-DOSは売り物
だということを初めて知り、カルチャーショックを受ける。だって、MSX-DOSはタダなんだもん。
MSXに比べて、あまりにも非力なのでぐったりする。
1993年4月 代表がし、阿部という悪友とともに、札幌市某原生林の中にある某コンピュータ専門学校に入学。
そのほか、COBOLとか、役に立たん事もいっぱい習った。
原生林の中にはxx-softがあった。昔は----pyで有名だったのに、見学にいったら閑散としていた。もはや過去の栄光なのか?
他にも「x.U.G」とか「xxノ某」とか、得体の知れない会社もあった。が、後にすごいひどい会社だということを知る。
1993年5月 代表がし、初めて「MS-Windows(3.0)」というものにまともに触れる。マッキントッシュを指をくわえて眺めていた私である。「Windowsってなんかダッサいな〜」と思ったものだ。しかし、コイツがのちに業界を席巻するとは・・・。
1994年6月 代表がし、初めて女の子に告白される。顔は下だが付き合わない手はない(笑)。
しかし3年後に別の女に浮気をして別れる。が、そのまた3年後、今度はその女が浮気をして別れる。以後女性には縁がない。悪いことはできませんね(笑)。
1994年5月 代表がし、訳あってアルバイトの分際でストライキを起こす。
それまで優良アルバイターとして活躍していたのだが、即刻CB社をクビになる。
頭にきて社長を殴った事件が伝説になっている。
しかし6年後、またもや似たようなことで会社を追放されるとは・・・(笑)。
1994年7月 代表がし、阿部という悪友に紹介され某x社にアルバイトとして入る。
この時初めて「DOS/Vマシン」を見る。アバウトなガイジンの設計思想に感銘を受けるはずもなく、文句タラタラ。しかし、こんなものがのちの標準になろうとは夢にも思っていなかった。
1994年8月 代表がし、アルバイトにもかかわらず大阪へ出張。関西人パワーにカルチャーショックを受けてくる。だって、道端に人がゴロゴロ寝てるんだもん。
いや、そんなのよりめちゃくちゃ暑かったのがショック(笑)。
1994年12月 代表がし、初めてMacで、始めてPhotoshop(1.0)で、初めてフルカラーCGを描いた。レイヤーという概念がPhotoshop1.0に存在したのかうろ覚えだが、あったとしても使っていない(笑)。1枚絵でゴリゴリ描いた(笑)。
1995年3月 がしそふと、初めてDOS/Vマシンを導入。悪友の阿部が、懸賞で当てたDOS/Vマシンを前田くんに7万円で売りつけたそれを一年ほど使用したものを、代表がしが3万円で購入。486DX/66Mhzのものだ。
1995年4月 代表がし、某x社にそのまま入社。正社員となる。
1996年12月 がしそふと、メンテが行き届かず「がっしーねっと」閉局
最後にホストプログラムに手を入れたときに「ログインするとIDが消える」というとんでもない伝説のバグまで混入してしまう始末。
1997年2月 がしそふと第2開発室を開設。
1997年4月 営利団体がしそふとJAPANを発足。
1997年5月 基本的に非営利団体のがしそふとであるが、売れと言われれば売る。
がしそふと製「べた★メモ」をがしそふとJAPANを通じ、ソースコード込みで某x社に激安の所得税抜き50万円で販売。
名前も機能もパワーダウン(笑)して某Sブランドで発売される。
しかし、某x社の社員の中にはこれにねたみを感じ、以後執拗に嫌がらせをしてくる奴が現れる。代表がしは相当まいる。
1997年56月 がしそふと、初めて自作DOS/Vマシンを導入。と言っても、部品を選んだだけで、組み立ては他の人がやった。
1997年8月 某x社はどこぞと合併して某S社となる。
1997年9月 代表がしの当時付き合っていた女がイラスト系のCGを毛嫌いしていたもんだから、絵を描くのをやめてしまった。今思えばバカな行為である。もともと上手くないのに、さらに下手になった。今は気を取り直してリハビリ中である(2001年現在)。
1998年 代表がし、某S社の売上にかなり貢献。馬車馬になる
1999年1月 代表がし、某S社の経営方針に勤労意欲が激減
1999年4月 代表がし、付き合ってた女が浮気をして別れさせられた。
1999年6月 がしそふと第2開発室を閉鎖。がしそふと第3開発室を開設。
2000年8月 代表がし、馬車馬のように働くもんだから、病気になる。3ヶ月無給休暇。
2000年12月 代表がし、なぜか「一身上の都合により」某S社を追放される。
ホントは違うのにね。
2000年12月 がしそふと、Geocitiesでのweb活動を本格始動
2001年1月 代表がし、フリーランスプログラマとして大活躍だ!。(「大」は余計か(笑)。)
Photoshop5.0でリハビリもしはじめる。
しかし、自分の絵の下手クソさ加減に鬱になる始末。
2001年6月 代表がし、病状悪化。死んだら某S社を怨恨パワーで潰してやる(笑)。
2001年10月 がしそふと、フリーウェアばっかり作ってるため、経営状況がどんどん悪化。
代表がし、世捨て人になる計画を練る
2001年11月 代表がし、病状はさらに悪化。ついに入院する羽目に。
血圧40-20の大ピンチ!
2001年12月 代表がし、GXSCCの予想を越える反響にビビる。
2002年2月 がしそふと第3開発室閉鎖。がしそふと第4開発室を開設。
2002年3月 代表がし、十何回目かわからない充電期間に入る。
2002年4月 がしそふと、超広帯域ネットワークシステムを導入。ADSL1.5Mとも言う。
2002年5月 代表がしに「連チャンの神様」が降臨。しかしすぐに去っていった。
2002年6月 代表がしに「ストック放出の神様」が降臨。しかしすぐに去っていった。
2002年9月 代表がしに「GODの神様(笑)」が降臨。しかしすぐに去っていった。

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