「悪への想像力」  筒井康隆・相倉久人・山下洋輔対談から抜粋 火のないところに煙を立てた ・・・・ 筒井  (「大いなる助走」に関して)別に今までの作品と対して変わっ    ていないですよ。最後に猟銃でポンポン撃ち殺していくやつだって、    昔からしょっちゅう書いてますものねえ。例の世田谷のおばあちゃ    ん殺しの少年が、あれを読んで悪い影響を受けた、なんて騒いでい    る人がいますけども、あれはおかしいですね。あの子は以前からぼ    くのを読んでるんだから。 相倉  それよりも、あとの5人の審査員をどうやって殺すかってほうが    面白いんじゃないか(笑)。 筒井  梅川の事件があったけども、ああいう大事件をみんな待ちかねて    いるわけですからね、自分の中にもしたいという願望があるし・・・。    だから逆に、僕のああいった小説が、そういうことをしたいと思っ    ている人のカタルシスになっているんだったら、それでいいと思い    ます。あれで影響を受けて人を殺すっていうことはないと思います    ね。 現実は虚構を反映する 相倉  おかしいのは、この四、五年ぐらいかな、現実とパロディとの関    係というのがひっくり返っちゃっているようなところがあるでしょ    う。なぜ四、五年というかというと、たとえば具体的にあらわれた    のはウォーターゲート事件あたりからじゃないかと思うんです。あ    れはなんか、現実の政治のほうがスパイ小説のパロディを演じてい    るような感じになってきた。あのへんでワン・クツションあって、    普通の感覚をもった何でもない人が、平気でパロディを受け入れる    ような状態ができてきたですね。 筒井  ウォーターゲートにしても、あれ以前にニクソンのことをフィリ    ップ・ロスが書いたですね、『アワ・ギャング』で。あれはフィリ    ップ・ロス、損しましたね。ウォーターゲート事件があってからあ    れを読んだんじゃ、効果半減でね。 相倉  その前だと思うんですが、ローレンス・サンダースが『盗聴』っ    ていう小説を書いた。今や、ひっくり返っているんじゃないですか、    現実のほうが(笑)。 筒井  梅川の事件を見ても、現実というものは、なんとまあ、まざまざ    と虚構を反映するものであろうかという気になりますね(笑)。僕    が書いたことであり、映画でやられたことであり、あの事件で被害    を受けた人とか、その家族なんかがかわいそうだからといって新聞    が伏せた部分がありますね。今、虚構というのは、伏せた部分を書    くためのものでしかなくなっているような感じがするんです。 相倉  現実の事件のほうが先へいっちゃっているから、いちばん困るの    はニュース関係のジャーナリズムでしょう。それをそのまま書くわ    けにいかないという分だけ、後ろへ何歩か引込んじゃったような感    じがしますね。 筒井  作家だって因っているんじゃないですか。あそこまでいっちゃっ    たら、あれ以上のことは、ちょいとした想像力でだれにでも想像で    きるわけだから。小説でエスカレートすると、あとは量的な問題と    か、悪逆さの質の問題とか、それも大してエスカレートできないで    すわね。 相倉  どっちが右だか左だかわからないけどもこっちの方向には大藪春    彦が、こっちの方向には筒井康隆がやっちゃっている(笑)。 筒井  西村寿行さんとかね、今いっぱい出てきてますね。 相倉  そういう意味では、現実のパロディをどうこうするというような    時代は、もしかすると終っているかもしれない。だから、それを違    か前から先取りしていた筒井さんの小説は、昔はSFファンとか、    パロディファンだとかに読まれていたのが、普通のこどもから何か    ら、ワーつと広がったという感じがしますね。 筒井  こどもに広がったというのが、今僕にとって問題なんです。例の    おばあちゃん殺しにしても、すぐ僕の作品の影響だというふうに言    ってくるわけです。そんな人たちは、僕の本を読んでそれを真似し    たというふうに言いたいわけだろうけれども(笑)、そうじゃない    と思うんです。ただ、それと別の意味で、ぼくの小説、明らかに毒    はあるんです。 相倉  そうですよ。ひそかにもっている彼らの毒を筒井さんが言い当て    ちゃっている。だからそれを影響というふうにとられれば、それは    確かに影響といえないことはないけれども、直接的な引き金になっ    たとか、そういうことじゃないですよね。 筒井  ええ、確かに今、一般社会に対して覆い隠されているものの真相    というのは、たいてい悪です、良識人にとっては。それを想像でき    ない人間に対して、僕は特に想像力豊じゃないけれども、ただ僕は    人間が悪いですからね(笑)。悪い人間だから極端に悪いところま    で想像するわけです。で、それを書く。だけど僕程度の悪人という    のはたかが知れているわけで、僕より悪いやつはいっぱいいる。僕    が考えた程度の悪いことは、すでに実際にやってるやつはいっぱい    いるわけです。それがたまたま表に出てきた場合に、言い当ててい    ると言うことになるわけだし、前もって書いてしまった場合は、そ    れはやっぱり真実の一部でもあるわけだから、こどもが読めば「あ    あ世の中の真相はこうか」と思っちゃいますよ。だから、何も知ら    ない人間が、そういった一部の真相を知ったために悪くなったり、    ひねくれたり、小利口になったりということはあるわけです。 一八歳末満読むな 筒井  僕はほんとうは若い連中が読んでくれることを、あまり喜んでば    かりはいられない。はっきり言って僕は、若いやつって嫌いなんで    す。年のせいか、だんだん嫌いになってきてあまり読んでほしくな    いですね。しかし、読むっていうものはしかたがないですからねえ。    いやあ、若者のグループとか集団というのは実にいいんですよね。    赤軍派だってある意味じゃさわやかだしね、だけども若いやつと個    人個人で会ってますと、なんか抑圧されたもの、恨みつらみみたい    なものが甘えの形で出てきて、自分にも覚えがあるものだから、な    おさら耐えられないということがありますわね。     中年の場合は逆です。中年の人は個人で会うとみないい入なんで    す。組織になると、なんかいやらしい組織になる(笑)。 相倉  それはあるな。 筒井  なんでしょうな、あれは。 相倉  ウーン、なんだかわからない。 筒井  お母さん方が、自分のこどもが筒井康隆の本を読んだ為にどうこ    うと言うくらいであれば、僕ははっきり読ませないでくれと言いた    いです。ほかの作家なら、いや、俺の小説は読ませてもいいんだ、    と言いますよ。森村誠一氏もそうですね。だけど僕の場合ははっき    り、読ませないでほしい、と言いたいですね。「十八歳未満読むな」    という但し書がつけられるものならつけたいですね、本に。 相倉  それは帯にうたったほうがいいんじゃないですか(笑)、「十八歳    末満お断り」と。 筒井  それが強制力がないから、かえってキャッチフレーズになっちゃ    うんですよ。こどもは毒に喜んで飛びつきますからね。たばこ吸い    たい、酒飲みたい、マリファナやりたいいう年頃ですもん。 相倉  そのへんの現実と、その現実のパロディの位置関係が逆転したと    いうことからくる筒井さん自身の体質の変化というのは、完全に起    こっちゃったからね。  筒井  それはもう起こらざるを得ない。だから虚構で、現実が絶対に真    似できないものを書こうという方向へきてます。だから言語実験的    なものと、虚構性の強調とかになってきます。現実に真似されたん    じゃ仕方ないし、いくら現実を先取りしたなんて言われたって、何    十年か経てば、どっちが先だかわからないわけだし。 相倉  二十世妃の後半に活躍した筒井康隆という作家のこういう小説と、    70何年に起こったこういう事件といっても、どっちが前後だかわ    からないだろうな。 ・・・・ 筒井  さっきのこどもの話になるんですけど、サルトルが言っている、    「飢えて死ぬ子の前で文学に何ができるか、効力があるか」。明ら    かに効力はあるんです、もっと早く死んじゃう(笑)。少なくとも    僕のを読めば。毒というものをいちばん出しやすいのがSFじゃな    いかと思うんです。むろんSFに限らないわけで、今、僕のやって    いる言語実験であるとか、こんど書いているわけのわからんものと    か。ああいうのは、僕は超虚構性というんだけども、読む前から虚    構だとわかっている小説でしょう。自然主義リアリズムでもなきゃ、    私小説でもない。 相倉  そっちのほうが、毒は見えないわけだから、ただ言葉遊びをはや    らせるくらいで、そうなると害はないですけど。 筒井  ところがやっぱり潜在している毒を触発したり、まだ世の中をよ    く知らないこどもを、現実とはこういうものかと、ズル賢くする効    果というのは明らかにある。僕自身だってほかの作家と同じように、    あまり世の中のことを知らないです、裏の裏なんてことは。ただ違    う点は、悪いことをいくらでも想像できるという想像力の問題です。    いっそのこと、トコトン悪いほうへ悪いほうへ想像力を働かしてし    まえば、どんな本を読んでも、それは本人にとって毒にならないわ    けです。要するに想像力さえ翔ばせば、こどもだって悪くはならん    と僕は思います。ただ、今、こどもの心理が教育問題やなんかでだ    いぶ歪められているから、そこへ変な方向へ想像力もっていかれた    ら絶望しちゃいますよ、世の中こんなものだというふうに。それが    かわいそうなんです。 相倉  事実それのあらわれみたいなものが多いですまね。例のおばあさ    ん殺しにしても、自殺の問題にしても。 筒井  あれは同じ「飢えたこども」でも、愛情に飢えたこどもでしょう、    愛情に飢えたこどもに対して僕の文学は効きめがあったわけです。    人殺ししちゃつた(笑)。 悪の狂気と想像力 相倉  イメージするほうの想像力のスパースターとして筒井康隆がいる    っていう感じになっているのに、読者のほうは、情けない、だらし    がないっていう感じはありますね。 筒井  僕にしてみれば、もっと想像力を飛翔させてほしい40代あたり    の世代の人があんまり読んでくれない。それでもこのごろ、そろそ    ろ読んでくれるようになりましたけども。結局、変なほうに想像力    を伸ばしたらいびつになっちゃうような年代の子供たちが、わりと    読んでいるわけだから、それが非常に気になる。 相倉  想像力に責任を負わなくていい世代が読んでいるといいますかね    (笑)、「想像力の責任」というのもおかしいけど、要するに想像    力というのは自分に返ってくるでしょう。返ってくるということを    知らない世代に受けちゃうっていうのは、筒井さんとしては気に入    らないでしょう。 筒井  ええ。たとえば官憲の弾圧を知っている世代が、これはいくら想    像力を飛翔させても弾圧を受ける心配はない、愉快愉快と思って読    んでくれるのは非常にありがたい。それを望んでいるわけです。 相倉  そのへんは、去年3年目にして全冷中(全日本冷やし中華愛好会)    が葬式を迎えなければならなかった原因にもなっているかな。 筒井  そうですね。このあいだ、山下洋輔氏に読んでもらった追悼文に    書いたとおりなんです。あれはちょっとめちゃくちゃだったけど。 山下  みんな、深く静かに潜行するわけです。思想は残るわけだ(笑)。 相倉  なんの思想が残るのかな(笑)。 山下  そこがわからない。 筒井  なぜいない筈の人の声がする(笑)。なんの思想かを考えて、あれ    書いたんです。「冷やし中華」に対して、たとえ三年間でも世人の    注目が集まったのは何故であったか。これはやはり狂気を求めてい    るのだ。ところが「彼ら愚銃なる大衆」(笑)とわれわれの考えて    いる狂気とは違うわけで、彼らの狂気というのは、つまり梅川の事    件なんかを見て「狂気の沙汰だ」というわけです。われわれにとっ    て梅川の事件てのは、わりとハイクラスなエンターテインメントで    ある(笑)。してみると、愚鈍なる大衆(笑)にとって狂気という    のは、つまり「悪いこと」なんです。そうすると連中われわれに     「悪いこと」を求めたとしか思えんわけです。つまり連中は悪いこ    とをすら自分で考える想像力もないということです。悪いこととい    ったらすぐ人殺しに飛んじゃうでしょう。人殺しなんていうのは、    悪いことだけども、いちばん駄目な(笑)、人殺しなんかしたって、    なんにもならんわけですね。その途中で、いっぱい悪いことがある。    その方が楽しいわけですよ(笑)。 相倉  「人間が成長する」なんてのはいやらしい言葉だけど、自分で自    分を組織していくわけでしょう、長い時間かけて。その過程で、性    善説でも性悪説でもない、もともと両方あるわけだから、そのなか    の狂気だとか悪だとかをどういうふうに組織できるか。その過程が    面白いわけですね。ところがそれを組織できないでヘマにやるやつ    が、たまたま犯罪者になったりする。それはこっちから見ればエン    ターテインメントなんだけど。俺はみごとに、悪でも狂気でも全部    組織できるぞというその結果がこういう作品になり行動になりとい    う楽しみがある。そういうものが、僕らをつくっていると思うんだ    けれど、それが組織できない人は、そういうことをやっている人に    それを預けちゃうから、自分の狂気や悪は、育ちもしなければ解消    もできないわけでょう。解消できなきゃ、どこか破ってウミをぶす    っと・・・・。 筒井  今回われれわれ「冷や心中華」をやめちゃったのも、お前ら、狂    気だ悪だなんて憧れていながら、われわれを見にきているだけだっ    たじゃないかということとはありますね 相倉  それは大いにありますよ。てめえら勝手にやれと、そこまで楽し    ませるつもりはないぞ。 筒井  やるならわれわれだけでやる。人に見せる必要はちっともない。    人に見せる、その観客が多ければ多いほど、そのなかに良識派だの    PTAだのの比率が多くなるわけで、そうなってくると、われわれ    がやりたい悪いこともできなくなる。そこで密室で悪いことをする    のが当然だということになってきます。悪に限らず狂気にしても。 相倉  ただ70年代というのは一見静かな感じだったでしょう。ごく最    近まで。そのへんのだましがそろそろ去年あたりから利かなくなっ    てきたんです。それが事件の続発みたいになって出てきている。 筒井  たとえば、いままで悪いとされていたことはほんとに悪いことだ    ったのかということを考えるやつがいなかった。われわれにとって    は当たりまえのことなんですけどね。それはいままでの良識派いわ    ゆる女性社会のために、そういったことで抑圧されていたのが、ち    ょっとずつ目覚めて、めちゃくちゃするやつが出てきたということ    なんですね。 相倉  それを組繊していく楽しさというのがなぜわからないかな(笑)。 筒井  われわれ「冷やし中華」のほうに何か責任があったとしたら、わ    れわれ内部の人間が楽しむだけで、集まってくる観客連中の狂気な    り悪なりの想像力を解放してやる努力を怠ったということくらいで    すね。だけどそれは、別にしてやることはない(笑)。 相倉  それをやれば過保護ですな。                   (「カイエ」 54年8月号) ================================================================= 「意識と無意識」        筒井康隆・岸田秀対談から抜粋 犯罪は共同幻想にかかわるということ 岸田  伊丹十三氏と対談して、お祖母ちゃんを殺した孫の話になったん    ですが、あれ、殺したのは当然だといったら、ちょっと穏当じゃな    い、なんとか直してくれないかって(笑)。だから、ぼくの発言が殺    される理由があったというふうに、非常に穏かな表現に変ったんで    すよ。 筒井  あの子どもはなかなか頭のいい子で、ノートに書いているのだっ    て振り返ってみりゃ、われわれだってあの年代のときは誰でもあん    なことを考えてますよね。 岸田  あのお母さんは、筒井康隆の『家族八景』なんか読んで、かぶれ    ちゃって、家族のありもしない裏を見てああなってしまったなんて    言ってますね。 筒井  ぼくははっきり自分の影響だと思ってます。そう思ったほうが、    ナルシシズムも満足するし、そういう常識を作ったほうが楽ですよ    ね。 岸田  そうですね、自分の小説が原因で人殺しが起こるなんて、大した    影響力ですよ。あのお祖母さんには、孫を立派な学者にするために    一生懸命やってるんだ、家族みんな仲よく愛し合って、というひと    つの家族の共同幻想があったわけですよね。その共同幻想に彼はつ    いていけなかったんで、そこで筒井さんの『家族八景』なんか読ん    で、人の心が見える七瀬の、ああいう見方から自分の足場ができた    ってことじやないかな。 筒井  ぼくの小説と彼の私的幻想とが合ったわけだ。 岸田  ええ、彼の私的幻想の裏づけをしたわけですよ、筒井さん。 筒井  だから、ぼくはころされたお祖母さんよりは、あの少年との共同    幻想のほうに可能性を感じますね。 岸田  一方で、いまの子どもは孫を思うお祖母さんの愛情を理解できな    くなってる、という見方もあるわけですよ。 筒井  それは言葉だけのものであって、じっさいに子どもに感情移入で    きる人と、お祖母さんに感情移入できる人とどっちが多いかってい    うと、子どもに感情移入しますよね。お祖母さんにはちょっとでき    ないな。 岸田  ぼくなんか、全然できない。それにしても筒井さんの作品がもっ    と強い毒を含んでれば、あの子は、お祖母さんを殺したからって、    自殺なんかしなかったかもしれない。こんなばばあを殺したからと    言って、自殺することはないと。もっと進めば、こんなばばあとお    れの一生を引き換えにするのはアホらしい、殺すにも値しないと自    信を持って無視できたかもしれない。あの年ではなかなかそこまで    いけなかったと思いますが。 筒井  毒が不足だったんだな。『大いなる助走』で、主人公を死ぬ気で    行動させたのがいけなかった。 岸田  あの『大いなる助走』は面白かった。なんとか賞の選考委員を次    から次へと殺していってしまうんですからね。 人間はすべて思い込みで生きているということ ・・・・・ 筒井  まあ、これも幻想かもしれないけれども、子どもだから自殺して    当然というふうに考えるほうがむしろ正しいんじゃないかと思いま    すね。おとなならなんとか誤魔化しちゃうけど、子どものほうが哀    しみの方は純粋であるし、逃げ場がない。ぼくの記憶でも、子ども    のときの方が哀しみが大きかった。 岸田  うん、そういうことをたいていのおとなは、もう忘れてるんです    よね。 筒井  現実に今は子どもの苦しみのほうが、今のおとなより大きいです    よ。当たりまえなんですね、子どもが自殺するのは。自殺しないで    おこうと思えば、ほかの子どもみたいにシラケるよりしかたない。    あのシラケるっていうのは一体なんですか。 岸田  自意識ですかね・・。 筒井  やっぱり分かっちゃった、ってことですかね。                 (「現代思想」昭和54年10月号) ==================================================================