アメリカ語学留学


<きっかけ>

1994年のイギリス語学研修で、海外での生活や外国人とのつきあいがさほどむずかしくないような 印象を受け、自信をつけた私は、調子にのって、このままアメリカに留学してもなんとかなるのではな いかと思い始めた。大学にはアメリカ・イギリス・ドイツ・台湾・タイなどに少ないながらも提携校があっ た。もともと、行け、行け主義の大学で、留学に必要なTOEFLのスコアが挙げられるよう、入学したそ の年から専門科目として外国人講師による文法・会話の講義と日本人講師によるTOEFLと購読の 講義があった。そうして、2-3年次で学生の半分以上が最低1学期間留学するのだ。留学している間 は奨学金なしで、日本の大学と海外の大学両方に授業料を払わなければいけないかわりに、現地で 取った単位を換算してくれ、留年や休学をせずに卒業できるというシステムだった。当時は円高で、1ド ル90円で、一時期は1ドル90円を切ることもあった。今は、大学生活もマンネリし、そろそろ刺激がほ しくなってきた二年次後半、レートも安いし、留学するなら今だと思った。親に言ったら怒られるにちが いない。しかし、折角の機会を無駄にしてはもったいないし、4年で卒業できるのだし、私は県立高校 出身・現役で大学に合格したので、費用をもらうにせよ、借りるにせよ、頼んでみるだけならいいだろう と思った。親は、「最初から留学する人が多い大学だとは知っていた。でも、おまえが留学するなんて 一言もきいてなかったし、しないもんだと思って来た。だめだ。」と言われた。よくよく聞いてみると、一番 大きい問題は費用のことだった。3つ下の弟が大学受験の年で、これからお金がかかる時期であった から。親の気持ちはわかるけど、私もその事情をわかっていたから、高校も県立、大学も現役で入れる ところしか受験しなかったし、もちろん親元から通えるところしか受験しなかった。だから、今回だけは あきらめきれない。こうなったら、外堀から固めていくしかない。


<水面下で準備>

まず、どこの大学へ留学するにせよ、必要になる、TOEFLを受けよう。語学留学のプログラムが主体 で、帰国子女で、英語ができればアメリカ人と同じ講義もとれるというシステムだったので、留学先から 来るTOEFLのスコアの条件はそんなに高くない。もちろん、学校によって要求するスコアは違うのだ けれど、最低450点、最高550点だ。一度の受験でスコアがとれないかもしれないし、何度か受けたう ちの一番いいスコアが提出できるよう、今から受けておいた方がいい。当時、私のTOEFLのスコア は430点くらいだったから、多少勉強すれば、ぎりぎりなんとかなるだろう。2回目の受験で478点がと れた。このころはもう申し込みが近づいていたので、このスコアを使うことになる。ここで、478点以上 を要求する大学へは申し込めなくなり、私の選択肢は3校にしぼられた。一つはワシントン州にある、セントマーチンズ大学。ここはキリスト教の学校で、要求するTOEFLのスコアが450点と低めの為に 毎年うちの大学から多くの学生が留学するところだ。日本人が多いと、アメリカ気分がでないから、却 下。二つ目はカリフォルニアにある、フットヒル大学。ここは職業訓練なども行っているいい大学なのだ が、問題は西海岸という場所である。日本人は西海岸が好き=いっぱいいる。更に、日系人もいっぱ い。サンフランシスコ、パロ・アルトなど、地名からもわかるように、ラテン系もいっぱい。日本人が多い のもやだし、みんなが行くところもいやだから却下。最後に残ったのは首都ワシントンDCにある、アメ リカン大学。東海岸は日本人もわりと少ないし、うちの大学からも、毎年5人行くか、行かないかだ。ホ ームステイではなくて、学内の寮に住めるのも魅力。TOEFLの要求スコアは470点。私ぎりぎりセー フ。ということで、TOEFLのスコアが用意でき、留学先も首都ワシントンDCにある、アメリカン大学 に決めた。


<資金繰り>

最後の難問は資金繰りである。銀行などから学費ローンの資料を取寄せて、比較。どうしても利息 がついてしまうのは仕方ない。学費は1学期間(約3ヶ月半)で80万円程。借金までして留学する なら、貧乏暮らしはごめんだ。どうせ、バイトができないビザなんだし、多めに借りておこう、と150万 借りることに決めた。みるにみかねた親が、どうせ借りるなら、親の名前で借りる。それで、私が就職 するのを待たずに、親が借金を返し始めれば、利息はほとんどつかないうちに返済できる。150万円 だけを就職してから返してくれればいい、と言い出した。私は無性に腹が立った。自分の名前で借金 させようとしないところが特に気に入らなかった。最初から、あてつけで、ローンの資料を取寄せたの ではない。なにがなんでも行く為に、そして、できるだけ、親に負担をかけない形で行きたかったから だ。何度も自分で借りるから、そんなことはしてくれるなと何度も頼んだが、父親が強引にお金を借りて きてしまった。20過ぎた成人でありながら、学生として親元にいる自分の無力さが情けなく、くやし涙が 出た。コドモのことを思ってのことだったのはわかるけれど、結構きずついた。(卒業後、早く借金を返し たいという意地で、150万を2年以内で返すとかってに決め、払い終わるまでの1年と3ヶ月はマジで つらかった。これにたとえ10万でも利息がついていたら、もっとツラかったにちがいない。社会人にな って、借金を返し終わった今になって、親に感謝している。)これで、私は留学できることになった。期間 は1995年5月から8月半ばまでの約3ヶ月半だ。そのあとから日本の大学がはじまる9月下旬まで が夏休みだ。(もちろん、学校が始まるぎりぎりまで帰国しないつもりだ。フッフッフッ。)


<申込>

この大学留学の担当教員は、オカマっぽくて、歌手ミカワケンイチに声が似ている超個性派講師だっ た。授業はとっていたけれど、当てられた時しか口をきいたことのない先生である。留学の意志を告げ ると、案内書をくれ、現時点での申込者は私を含め、3人(全員女)であること告げられた。やった、やっ た、期待通り。これ以上申込者が増えないことを祈った。1学年130人弱のアットホームな学科である から、同じ学年にいて、知らない人はほとんどいない。残り2人って誰だろう。先生に聞くと、1人は昔 購読の授業で英文解釈をペアーですることになったことがある、H。(つきあいはこの時だけだった。)も う1人は、Hの友達Pであった。実は、Pとはサークルが同じだったが、仲がいいわけでも、悪いわけ でもなかった。HとPは友達。HとPにとって私はビミョーに顔見知り以上という感じだ。Pは個性強 烈なかわいらしいお嬢様タイプ。そのPのツッコミ役でもある、聡明で積極的だけど、ちょっと天然ボケ も入っているH。仲良くなれるだろうか。



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