山東省の旅


青島海岸にて

山東省は古代から栄えた所。魯、斉の国、孔子、孟子の郷、豊かな農産物果物で 知られている。また青島の気候は過ごしやすい、海も美しく景色も良い。すっかり 気に入ったので、これからの中国旅行の基地は、蒸し暑い埃っぽい上海から青島 に変へようと思っている。どんな所でどんな旅をしたか紹介しよう。

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=青島へ船で=

昨年は一年間に四回も長崎〜上海を往復したが、今年に入って「長崎上海号」が 休航になり、エコノミーな旅が大好きな私は少しがっかりしていたが、ひと月に 2便ながら(現在週1便)下関〜青島を往復する航路があり、船賃も殆ど同額である ことを知り利用することにした。

本来はエコノミー片道で18000円のところを、北九州のある旅行社が宿泊も 観光案内もなし、ただ船に乗るだけということで、往復18000円に特別割引 してくれた。 船はオリエントフェリー社のユートピア号、15000トン、立派な客船で快適、 2泊、40時間の旅、船に強い、暇はあるが小遣銭の少ない私はますます船旅が 好きになっていく。

船に乗るといろいろな人と出会う。今回はキップを世話した旅行社主催の団体 さんが乗っていたが、昔中国に住んでいた人、戦争で行ったことのある人など 年配の人が多かった。 それでなくとも中国に興味のある人が乗り合わせ共通の話題をお話するのは楽しい。

朝飯は船賃に含まれている。定食。和食洋食とあり、健たん家なら両方とっても よい。なかなかのもの、ビジネスホテルの朝飯よりずっとうまい。昼夜は自動 販売機で食券を買って食べる。日本食、中華食とあるが味付けは日本人向け。 缶入ビールが公海上ということで無税150円と安いのが嬉しい。


ユートピア号

乗組員は全員中国人だが、すっかり日本人と同じ働きぶり、事務長は日本語も 上手で、お客さんから頼りにされており、人気が良い。 船内の案内、夜のカラオケ大会も旅行スケジュールに組み込まれ楽しめる。操舵室 の見学では船長から装備の説明、宇宙衛星からの船の現在位置の確認、レーダーに よる海上障害物の確認、船の自動操舵の状況をつぶさに見学できた。

土曜日午後5時に下関を出航した船は、べた凪、好天気の対馬海峡、済州海峡 を通り大黒山群島を抜け、黄海に入る。途中何度か定点で僅かに向きを変えるが 殆ど直線航海である。 長崎から上海に行くときは、まだ大陸も見えない東シナ海が、数時間も前から 海の色は茶色に濁るが、青島に行くときの黄海はどうだろうか?名前から察する に黄色に濁った海かと想像していたが、さにあらず、なんと綺麗な青い海。青島 の港に入っても綺麗なこと。

青島は昔ドイツがビール工場を作った中国一のビール産地、貿易港だ、くらい の生半可な知識で訪れてごめんなさい。港の、そして街の大きさにまず驚く。

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=街の歴史縮影=

なぜ青島というのか?青い海に青い島だから青島と・・・予備知識なしで訪れた私が、 なるほど青島だと痛感したので紹介しよう。

黄海に突き出た山東半島の南側の中ほどに「こう州湾」という大きな入り海があり、 その湾の出入口を両側から陸地がせり出し、東が青島、西を黄島という。現在黄島は 青島市に属し黄島区とよばれ、広大な経済開発地域を造成中、その先の海辺に添って 長く横たわる島の砂浜は、金沙灘とよばれ湘南の海を思わせる金色、即ち黄色の 海岸線で目下リゾート開発の真っ最中である。とある一日この地方を散策して読んだ 短文を紹介しよう。

昔昔舟人が、海上遥かからこのあたり、眺めて景色の美しさ、まこと対なす面白さ、 西の海辺は、黄色い浜が、島に映えて「黄島」、それにひきかえ東の陸地、小高い丘が 連なって、緑したたる青い島、それで決まった「青島」だ! ついでに蛇足よ「紅島」、 こう州湾の奥深く、岸辺の小高い所が紅の丘!

話を戻そう。私は中国を旅行するときは、まず街に着いたら最初にその街の交通旅遊図 を買う。たいてい五元足らず、青島では3元(50円)だった。この地図には街の概要、 主要観光地、公共施設、交通路線など掲載されて便利なことこのうえない。 これを抜粋しよう。中文日文混合。

青島:地処太平洋西岸、黄海之浜、こう州湾畔、東経120度、北緯36度、 三面環海、一面接陸、市内は七つの区、回りに五つの市、一万平方キロ米、 人口700万人、主要産業:ビール・紡績・ゴムなど年間工業生産:全国第11位、 中国五大港の一つ。

小さな漁村であった青島が街になって、まだ100年にも満たない。アヘン戦争の後、 ドイツ、ロシア、英国、日本が清政府に租借の要求したことでこの街の歴史が始まる。 市内の小高い丘に展望台がある。いくつもの起伏のある丘の斜面に赤茶色の瓦屋根の 洋館建てが緑の木々の間にひろがり、見渡す限りの紺青の空と、南の青い海と調和した エキゾチックな風景は中国では珍しい。いい所に来たなあと感動を覚えた。


青島植民地時代の風景(ドイツ総督官邸)


ここに30万人住めるヨーロッパ風の街を建設した


          西方の第六海水浴場を望む                   東部の新市街開発区を望む

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=避暑地に最適な気候=

青島交通旅遊図からの引用をもう少し続けよう。
青島山光水色秀麗、気候宜人、冬無厳寒、夏無酷暑、最熱的8月平均気温 摂氏25度、最冷的1月平均気温摂氏1.3度、年間平均気温12.5度。 年間平均降雨量775ミリ。是馳名中外的旅遊避暑勝地。

少しつけ加えよう。下関を出るときの気候は、五月の薫風も海辺の湿気を帯びた 風で半袖シャツじゃないと汗ばむ感じだったが、青島に着くとひんやりと爽快な 風で、長袖シャツに着替えた。

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歴史に残る記録的な暑さは1939年7月31日それでも36度で、西へ400 キロ内陸へ入った済南市(ここは中国四大かまどといわれる。ほかの三つは重慶、 武漢、南京。)では42度に達したという。これは極めて稀なことではあるが、 黄河流域が酷暑であえいでいても、下流海辺の青島は凌ぎやすいということで ある。さらに続けると気象台の標準からいう夏日は、済南市が年間126日、 青島市はわずか70日という。

青島の一番良い気候は7月で、ほかの大都市が30度を越えるときここは20度 から26度、次によい時期は9月下旬から10月にかけてで、金風送爽、天高海碧 という。早い話が、夏から秋にかけて避暑にでかけるには、中国では青島に限ると いうことである。これらの快適な季節を実感した私は、中国旅行の基地として長い間 上海を利用してきたが、これからは青島に換えようと思っている。

物価も安い。例としてタクシー料金を上海と比較しよう。初乗10元が7元、 他の物価もおしなべてこの割合が適用できよう。それだけに給料も安い。

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=市南区=

始めから良い所ばかり並べてきたが、それは黄海に面した市南区に限っての話 です。市南区には中央、省、市の行政機関が集中しており、また多数の旅遊景 点、文化、体育、教育施設もある。

ドイツ人がこの街を30万人のヨーロッパ風の都市として設計したので、旧市内は狭くなり、 新たに北東に位置する農村を開発区として素晴らしい都心を建設中である。
内陸につながる市の北部に行くにしたがって、工業地帯がひろがり煙も道路 の埃も増してくる。中国のどの大都市もが抱える公害の問題と無縁ではなさそ うだ。しかし物好きな私だからこそ、あちこちぶらついて感じたのであって、 一般観光客は行きもしないし気もつかないだろう。

租界の街として発展をしてきた市南区には海抜百米余程度の小高い丘がいく つかあり、いずこも美しい緑の公園になっている。なかでも「信号山公園」は かってドイツが欧州式豪華宮殿の総督官邸を建設したところで、今は迎賓館と なっている。この山の上から港を出入りする船に信号を送ったことから、この 名前がつけられたが、現在は回転ラウンジの展望台があり、旧市内の素晴らし い展望を楽しむことができる。青島に行ったら是非ここに行くことをお薦めす る。

市南区には他にも、海に突き出た「桟橋」のプロムナード、
岬の先端の灯台の「小青島」
大きな通りのすぐそばで海水浴のできる「海浜公園」
その東の岩場の湾曲起伏の小径も素敵な「魯迅公園」
楓樹山を染め”望夜賞月魚山秋月”と謡われ頂上の
中国風建築の覧潮閣も美しい「小魚山公園」
更に西に進めば広大な敷地の中に植物園・動物園・
テレビ塔に空中索道(リフト)とそろった「中山公園」
まだまだ枚挙にいとまなし。


更に東に進むと、先ほどふれた近代的な新開発地区、大きな通りに二三十階建 の高層建築が次々に建てられている。中でも市政府の庁舎の凄いこと。こんな にでかくて立派なものはアメリカでしか見たことがない。

更に進む昔の村の名残りをとどめたその名も「辛家庄」界隈、そして向こうに 見えだす峨峨たる山容の「ラオ山」の山並み、その山並みを背に、広大な キャンバス、これまたモダンで巨大な「青島大学」の建物。お粗末な日本の大 学を思い出して、これだけのことができる国にどうして援助を続けなければな らないの?と考えさせられた。

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=小姐たち=

青島市は下関市と友好姉妹都市だそうだ。両方とも港街だがあまり有名な観光ポスト もないことだし、まあマイナーだと思っていたが、なんと青島は人口七百万の大都会、 二十万足らず?の下関とはけた違い。大きいことばかりが自慢になるわけではないが、 オフイスも学校も公園も素晴らしい。

爽快な気候の中で連日出歩いたが、上海のようにネットリと汗ばんで顔が脂ぎり 埃りっぽくならないので気持ちが良い。しかも毎日若い小姐と一緒なので楽しい。 小姐(最近の中国では若い娘さんをこう呼ぶ)と聞いたら皆さんはなんでまた・ ・・と疑問に思うでしょう? そこでその経緯を話そう。

私の泊まった**賓館は国営、とてもホテルとは言い難い三流の宿。この賓館は 地方から出張で来た人達の宿のようだった。おかげで1泊120元と安い。立派 ではないがお湯がいつもよく出るし、掃除もキチンとしている。また4階の部屋 だったので、窓から青い海が見えるのが嬉しかった。

日本人が泊まったのは初めてだという。誰にでも笑顔で話しかける私は一日も経た ないうちに全部の従業員と仲良くなった。特に2階にある餐庁の小姐達は私を気に 入り、なんだかんだと話し相手になってくれる。中国語学習が旅行の主要目的なの で願ったりかなったり・・・

彼女らの勤務は、朝は7時15分から9時まで、昼は11時から〜14時まで、 夜は17時から20時までと一日を三回にわけて勤務している。全部で五人、いつも 一人が交代で休み。うち三人は賓館に住み込み、二人は市内の親戚の家から通って いる。みんな20歳前後、山東省の田舎から青島に働きにきているという。よく働く せいかスマートで、全くお化粧なしだがつやつやしている。

みんなそれぞれに特徴があって可愛いい、気立てが良い。みんなに握手した手が小さ いが少し荒れた働く人の手であったのに心を打たれた。今時日本ではこんな素朴な娘 さん達には見当たらない。月給600元(9000円たらず)の半分は家に仕送りし ているという。今でも一人一人の名前も、故郷の名前も覚えている。

始めのうちは私が臆面もなく下手な中国語を並べたて喋るので皆さんから笑われて いたが、(中国語は四声:声調を間違えると通じない。)やむを得ず筆談のときに 書く中国文の正確さや、新しい話を次々に記憶していく私の能力を見直したの か、しばらくすると「カンカン先生、カンカン先生。」と態度が変わってきた。 「カンカン先生は日本人らしくない。格式ばらずに朗らかで、私大好き。」 ときたね。注:広光即ちカンカン。

彼女ら青島に来てまだ2年くらい。休みの日にぶらつくといっても、入場料を払って までして公園に行ったり、展望台やリフトには乗ったことはないという。私が 「一緒に出かけよう。」と言ったら、初めの小姐は少し遠慮がちに同意してくれた。 ところがよっぽど楽しかったとみえて帰ってからみんなに自慢げに吹聴する。

それからとというものは、「今日はCさんが休みだが、明日は私の番ですよ。」 と念押しされる始末。公園に行く、博物館に行く、映画に行く、カラオケに行く。 入場料は私が払う。一ケ月600元の彼女らにとっては10元20元は大金、私に とってはたかだか150円300円、たいしたことではない。昼飯も一緒に食べる。 彼女達はいつも自分がサービスする方だから、街の食堂で他人のサービスで食事を するのが、とりわけ楽しいとみえる。私は一人で食べるときは幾品も注文したら 沢山残るので困って遠慮していた食べてみたい料理を注文する。二人で食べると 無駄が少ないので嬉しい。いろいろと注文、贅沢をしてビールを飲んでも1000円 以下ですむ。

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=小巴=マイクロバス=

**賓館は青島市で最も観光客の集まる海浜公園の近くにあり便利が良い。他の観光 ポストに出かけるにもバス停が近い。おまけにバスが上海のように汚くない。混んで いない、たいてい座れる。乗っている人もあくせくしていない、こざっぱりしている。 上海のように、金持ちもいないが極貧の人も見かけない。目抜き通りや、大百貨店、 駅などに行ってみるとよく分かる。上海ではお洒落な人をよく見かけるが、ここでは あまり見かけなかった。

最近の中国ではどこの都市でも小巴(マイクロバス)の発達が著しい。従来から ある公営の大巴(大型バス)は、ただ決められた路を走るだけ、お客が乗ろうが 乗るまいが、お構いなし、車掌さんも乗せてやるという態度で、ぐずぐずしてい るお客を叱り上げる。まだ乗れるのに、ドアを閉めて発車する。

それにくらべて小巴はサービスが良い。速い。綺麗。座れる。公営の路線に平行 して、私営が競争で走っている。公営バスの停留所で待っているお客を勧誘する。 満席以上に客を乗せない。値段はだいたい公営の2〜3倍だが、利用者の評判は 良い。開放経済の見本だ。

初日、市内を一通り見物をしてみようと公営のバス停に行く。そこに私営の小巴 が来る。「5路、5路」と叫んで手招きする。つられて乗り込む、5路は北の方 に行くのだ。分っているのはただそれけ、座った席は運転手の斜め後、中のお客 さん達と向かい合わせ。動き出すやいなや、年増の車掌さんが「どこまで行くのか?」 と尋ねる。

「うーん?」、「どこまで?」、「ちょっと待って」、「何処に行きたいの?」、 乗ったのに何処に行くのか分からぬ筈はなかろうとせきたてる。どうやら行き先 によって値段が違うらしい。小巴はキップを買うのではなくて、乗ったらすぐお 金を徴収するのだ。早く片づけてスッキリしたいらしい。

何処まで?」とまた聞かれる。「分からぬ。ちょっと待って、今研究中だ。」と地図を 眺める。みんながどっと笑う。「何処まで?」「何処でもよいのだ、市内観光だ。」、 「あんた何処から来た?」「あててごらん?」、お客さん達も興味いっぱいの顔で注目 する。「広東人か?」と言われる。いつも広東人か新彊人に間違えられる。

「我は日本人、初めて青島に来た、どこがどこやらさっぱり分からぬ、どうぞよろしく」 というと、車掌さんもお客さんも、「なんだ。そうだったのか」、また笑う。背中のやり 取りを聞いていた運転手が車掌さんに言う。「お金はこの人が降りるときに貰え!」「謝謝」。

そのうち運転手の横の席があいたので、そこに移る。「この通りは中山路、ここは蒙古路、 あそこはビール工場だ」と、私が大きなフロントガラスに広がる風景と地図を見比べながら 運転手に話しかけると、ちっとも嫌がらずに「あんたなかなか中国語うまいね」とお世辞を 言いながら受け答えする。調子がいいので1時間も乗って終点まで行った。折り返しの帰り道 では、私が停留所につく度に「歓迎光臨、歓迎光臨、この車5路、この車5路」と客引きまで やってしまった。

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=青島海水浴場=

青島の旅游指南書には次のように書いている。青島では海水浴や遊泳のことを「洗海澡」という。 青島人はみんな「洗海澡」が大好きで、これは人生の一大楽趣である。もし青島に来て「洗海澡」をしないと いうことは、最も遺憾なことである。朋友よ!大海の恩恵を享受せざることなかれ。 世界海水浴場旅游事業の三Sといえば「太陽」「海水」「砂浜」だが、青島ではそれを全部享受できる。

市の南の黄海に面して100キロは道路もよく、まず砂浜があり、次に岩場の岬があり、また砂浜があり、 また岬があり、これが四つ五つと続き、順序不同だが第一海水浴場から第六海水浴場まで名前をつけている。 さらに海浜公園、海洋公園、奇岩の形から名づけられた石老人海水浴場、さらに更に東に行けば漁場が続き、 ラオ山景勝区の断崖絶壁の青い海が続く。

まず「第一海水浴場」だが、ドイツ占領時代の水上飛行場のあった所で、当時は「ビクトリア浴場」 といわれた。欧州人の浜と中国人の浜とに別れていたという。現在は東西500米、沖まで350米、 遠浅の海に防鮫網を張ってあり、同時に10万人を収容できる。ここは砂が細やかで波穏やか、 水も清く東亜第一の海水浴場である。正面入り口には壁画の回廊を巡らし、入場すれば噴水池、 望楼、童話の世界の色彩豊かな更衣室、コヒーショップ、舞庁と設備も整っている。


           第一海水浴場                             八大関
この浜の西は八大関といわれる青島市の高級別荘地帯で欧州スタイルの別荘があり、十数カ国の建築博物館 と呼ばれるにふさわしく、映画のロケ地としても名高い。八大関(中国古来の関所)とは八つの通の名前から きている。即ち山海関路、居庸関路、正陽関路、函谷関路、嘉峪関路、武勝関路、韶関路、寧武関路。

次に「第二海水浴場」、「第一」の東で岬越となる。「第一」ほど広くはないが第一以上に美しい、毛沢東 が愛用した浜として有名。 更に東、太平岬を越えて「第三」、ここは各大保養院の指定の浜。

市内の繁華街に最も近い所が「第六」、夏の夜、夕涼みに出かけるに最適、もちろん泳ぎもできる。近くに 夜市も立って賑やか、アベックも多い。青島市からこう州湾を渡った向かいの黄島区にロングビーチの大海水 浴場、「金沙灘」があることは、すでに紹介した。私は中国のあちこちの海水浴場や湖水浴場を見て、 「聞いて極楽、見て地獄」、いささかガッカリしていたのだが、青島だけは宣伝にいつわりなし、なるほどと 感じた次第です。

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=朝市=

賓館のすぐ近くに朝市が立つ。毎朝5時から8時まで。安徽路という広い長い通りで、道の中央に植え込みの ある長い公園があ。両側の道にそれぞれ敷石をした歩道があり、そこに店を出すので2条の露店市場ができあがる。 だらだら坂。200米くらい、中ほどに湖北路という通りが横ぎっているので、都合四つの区画ができ、 雑貨衣服通り、生鮮野菜通り、小吃(軽食)通りができる。

公園の中では、太極拳、気功、社交ダンス、念仏踊り、剣舞、と思い思いのグループが集まって朝のエキササイス (演習)をやっている。西側の朝市をぶらぶらと見物し、途中公園に入って太極拳のグループにまじってちょっと 演習、小吃の市で露店番台のテーブルで油条(小麦粉を練ってネジリ棒風にして油で揚げた長いパン)と新鮮 な豆乳の朝飯、次の日はワンタン、また次の日は刀削麺(熱湯の中に練った小麦粉をナイフで削り込む)など を食べる。中国式の朝飯と運動で、すっかり中国生活になじめば、中国語の上達も速かろうと思い込む?  すっかり日課になり、朝起きるのが6時の時もあれば7時の時もあるが、毎日出かける。

中国の露店市場の状況については、何度かふれたので、ここの特徴のみを少し書いてみる。いずこの市場もみな同じ、 活気あふれる雰囲気が、こちらにも伝播して元気がでてくる。中国の市場は一回りすれば、日常生活に必要なものが 全て調達できる。手ぶら同然で青島にきたので、ここで洗面器、衣紋掛け、半袖シャツ、スリッパ、靴下など 揃えたが500円足らず。これらは帰国の際、小姐たちに渡して喜ばれた。

買物だけではない。ミシンを持ち込んで衣服の繕い仕立て直し、アイロンかけ、靴、傘の修理、も来ている。 長袖シャツを半袖にして貰ったり、ズボンの裾あげをやってもらった。裾あげは日本なら800円もするだろうが、 ここでは70円くらいだった。床屋さんも路地の陰で店開き、按摩さんが公園の空いた所に折り畳みのパイプ 式ベッドを置いて店開き、うす汚れた白っぽいコートを着た小母さんの前に身長測定器具と体重計がセット にして置いてある。1回5円くらい、ここ中国でもお客はスタイルが気になる年ごろの小姐が多かった。 血圧測定もあったので私も計ってみたが異常なし。好了、好了。

何でも商売になるもんだわい!たった一つの自転車の空気入れを前に座って客待ちの人、「家庭教師」、 「テレビ・電気製品の出張修理」と書いた紙を足元にして立っている人。ピンからキリまで、いろんな人が 織りなす生活の断片が垣間見えるのが市場である。

中国の市場についてもう少し話を続けよう。朝市があれば、夜市というのもある。夜になって通りの車の通行 を遮断し、露店が並び、大きな市が立つ。香港の男人街、女人街など有名である。地方、場所によって衣類 専門市、雑貨専門市、骨董専門市、小吃(食物)専門市がある。また何でもありの市もある。当然ながら全日 開放の市場もある。

農貿市場と呼ばれ、生鮮の野菜、肉類、魚類、鳥類、卵類、蛇,蛙などのゲテもの、などが並べられる市は 大都市にもあるが、最近は衛生管理が煩くなって昔ほどの迫力が薄れつつある。地方都市に行くほどに強烈で 面白い。ところで青島市は市場が多い。そして広い。中国南方の市場の様に蛇、蛙類のゲテモノは少ないが、 その代わり海産物が豊富である。朝市のある通りから少し進めば、海産物の露店が並んでいる。ここは朝も 昼もやっている。長さ100米くらいの通りの両側に、戸板の台に大小の魚をならべて売る人、道路の上に 浅蜊貝を薄い箱に入れて並べて売る人達が肩を接するように連なって延々と続く。道路面は溢した海水でビシャ ビシャ、用心して歩かないと靴やズボンの裾に跳ね返る。

一人で小さいバケツ1杯にもならない浅蜊を売って、商売になるのだろうかと、海水の染み込んだ服を着て 座り込んでいる人達の前を通りながら、人ごととはいえ心配する。その先には、風呂敷き1杯の干した魚、 するめ、など売る人の群れがある。顔が合うと、「買って、買って」と訴えられる、「不要、不要」と断って 歩くのも、始めはつらかったが、あとになると慣れざるをえない。

それから先は・・・まだまだ続く。高層ビルと近代的な商店街の並ぶ目抜き通りの裏に入ると、通りが合成樹脂 トタン張りの屋根付きとなり、延々と続く。比較的短い路地通りだったが、両側すべて豚の肉、皮、骨、内臓 、足、捨てるところはありませんとばかりに店が並ぶ。大体見れば分かるが、小姐店員だと、「これなあに?」 と尋ねる。おおむね愛想よく答えてくれるが、中にはこれも知らないのかと剣もほろろにあしらわれる。

一つの商品区画が終わると、次は別の商品、食べ物から日常雑貨、それも鞄、袋物から帽子、小間物、と続く。 更に衣類、とくに女物が多い。水着を着たマネキンがずらりと並んで壮観だ。色も型も日本と同じ、いまや女性 のファッションは世界共通だ。結婚衣装の店が続く。純白もあればカラフルなドレスもある。純白のウエディング・ ドレスが3万円である。日本の貸衣装代で何着か作れる。孫の結婚式にはこれでも買ってやるか?

縦横網の目につながるビルの裏通りの路地を屋根付きにして、露天商が集結して大商店街を形成している。 卸し売りもするが小売もする。恐らく山東省の各都市から青島のここに仕入れに来るに違いない。その大きさ に驚いた。


雑踏の市場

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=青島の物価=

青島の気に入った所をいろいろ述べてきたが、気候、景観のほかに物価が安いこともあげなければならない。 開放経済発達の広東省の各都市や、上海、北京、などに比べると8割程度だろうか? 宿賃、車代、食費など 実感したものでは、内陸の大都市と同じくらいに感じたが、データを見たわけでないので、間違っていたら ご免なさい。

タクシ代:普通車初乗りが上海では10元だが、ここ青島では7元。食事:同じ程度の餃子が上海4元 ここでは3元。三流の宿:上海220元程度がここでは160元程度か。

その分、工資(給料)も安い様だ。主に山東省の田舎から出稼ぎにきた人たちが食(職)を求めて集まる通り がある。通りの歩道に汚れた着たきり雀の労働者がずらり並んで座り込んでいる。ここには髪ものびた人が多い。 ところで皆さんは、中国の人は貧しいので床屋にはあまり行かないだろうと思われるかもしれないが、そうではない。 日本人より、よく行くようです。短めにサッパリしておくのが好みのようです。床屋さんも多い。勿論散髪代 が滅法安い。日本なら最低1600円から始まって店によりどんどん高くなっていくがだろうが、中国では 最低4元くらいから(60円)始まる。いかに小綺麗にするとはいえ30倍・・・私は世界各国、現地の床屋 に行くことにしているが、日本の物価が高いと痛感するのは床屋です。

ところで歩道に座った人たちは、ボール紙に自分の職業を書いて、前に並べている。建設ブームを反映してか、 電旱工(溶接工)、泥工(左官)、木工(大工)、油工(塗装工)が多い。一方、近くに職業斡旋の看板が 出ていたので眺めてみる。こちらでは住み込みの飯付きが多い。一月の工資はわずか、電旱工、木工などが 住み込みで1000元=15千円左右(だいたい)、公司抱えの運転手住み込みで800元、女子の售貨員 (売り子)住み込みで400元とのこと。さすれば賓館餐庁の小姐達は住み込みで600元、レベルが高いんだ。 笑顔のサービスも良いし、注文の料理名を立派な字で書けるし・・・このことを彼女たちに話す「そうなのよ」 とすまして言った。

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=招待所=

中国本土で招待所といえば、各公司(会社)および学校、即ち国営の全組織のそれぞれの専属の宿泊所のことで、 開放経済以前は公務で出張した人が利用する施設だった。たまには豪華なのもあるが、だいたいは質素な安い 宿が多い。

**公司招待所と看板がかけられ、その公司が全国に展開されておれば、当然全国に宿があることになる。 ただし香港で招待所といえば、女性のサービスをうける特殊な場所ということらしい、こちらの事情について は見聞はありません。要注意!

私の中国の知人が、国家機関の「能源部(エネルギー)・水力部」設計院の大幹部で、「カンカン先生、全中国 どこにでも、辺境の地でも我々の招待所があるで、いつでも必要なときには使ってください」といわれていた ので、一度西安に行ったとき利用させて頂いたことがある。上海の友人の紹介で「上海音楽学院招待所」にも泊まった ことがある。また「全国林業公司」の招待所も利用したことがある。その他枚挙にいとまなし。

最近は開放経済発達で、これらの招待所を遊ばせてはもったいないと一般に開放されてきたので、もう今や どこに行っても宿の心配は無用となった。ただし外賓(外人賓客)は駄目だと断る所もある。ところで今回の こと、賓館の近くに「青島教育学院」なる所があった。昔の良き時代?青島市開発初期に建てられたとみえ、 洋式のクラシックな建物、塀を巡らせ、植え込みの庭もあり、堂々たるもの、ただし古い。白い漆喰の白地 がすっかり風化してネズミ色にうす汚れた塀に、「招待所対外開放」と朱筆でじかに書かれている。

後学のためにと早速中に入っていく。玄関入り口の脇の部屋が受け付けらしい。初老の小母さんと、若いが 小姐が二人、怪訝な顔で私を見る。「私は日本人だが、ここに泊めて頂けますか? 塀に”対外開放” と書いてあるのを見てきました」、「いいですよ、いいですよ、どうぞ、どうぞ」」と小母さんが、気軽に 立ち上がってくる。あまりの気さくな対応にとまどう。

「今日は、もう宿が決まっているので結構です。そのうち伺います。今後の参考に部屋の様子と値段を知りたい のですが?」と慇懃に頼むと、「じゃあ案内しましょう、こちらへどうぞ」と部屋から出て先に立つ。親切 な対応に、なんだか小母さんの顔が品よく見える。さすが学院の用務員だ!と勝手に合点する。

何度も言うが建物は古い。しかし廊下の板張りでも階段の手すりでも、欧州風の重厚なものだ。昔は大学生の 寮だったのか、幾つも部屋がある。小さい部屋は2人部屋で一泊25元、6人部屋で20元、10人部屋で 15元という。いずれもベッドは粗末な硬いベッド、何度も洗ったようなシーツが敷いてある。ただし床も廊下 も掃除はきちんとしてあり、水も打ってある。トイレは廊下の突き当たりの共同便所。浴室は建物から出て屋外 を30メートル歩いた所にレンガ作りの小屋があり、パイプの先を押しつぶした蛇口が高い所に5つばかり 並んでいる。

一昨年見た中国映画(今は北京で出世している要人たちが青春時代を回顧する)のシーンとあまりにも似ている のに驚く。ここはこのまま50年戻しても変わらないのだ。とにかく、今まで見聞した宿の中で最低の値段、 でもみじめではない。是非この次は利用してみよう。親切な案内にお礼を言いながら、ガラス越しに手を振ると、 先ほどの姑娘が中から笑顔で手を振って答えてくれた。

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