8月の遺跡めぐり  仁戸名・月ノ木貝塚周辺を歩いてみよう

【コース】 
へたの台古墳群跡作山古墳群

へたの台貝塚・砦道免貝塚月ノ木貝塚月ノ木砦

● 番外編(聖人塚古墳、八坂神社、仁守寺、千手院)

● 月ノ木貝塚周辺遺跡マップ(大きいファイルです。約500k)

6. 月ノ木砦(とりで)

 月ノ木貝塚入口の説明板には書いてありませんが、月ノ木貝塚の台地は中世の城郭(月ノ木砦)でもあります。

 写真は、台地南東縁に沿う土塁状の地形。向こう側は急斜面をへて、腰曲輪(こしぐるわ)となります。後世、耕作などで台地上を削平した残りで、原地形・貝層はもともとこの高さにあった、という見方もあります。

 上の土塁状地形の下。台地南東部の腰曲輪。ひじょうによく残っています。地表一面の白っぽいチラチラは、貝殻。腰曲輪は、途中細く帯状になりつつも、南東部から少なくとも北東部まで台地の縁の斜面をぐるりとまわります。
 腰曲輪に立って下を見る。地表の白いものは貝殻。腰曲輪の地表も夥しい貝殻で埋め尽くされています。画面左上は、谷部の住宅街を通る道路、かつての仁戸名谷津。守備の兵は、ここに待機していて、押し寄せる下の敵を迎え撃つ・・・参加者から「足軽さんもたいへんだ」という感想がありました。
 台地南側くびれ部分(月ノ木貝塚入口近く)の土塁の跡。史跡指定地域の隣接地ですが、貝層があります。土塁(の跡)は折れ曲がりながら、南の方向へ延びていきます(写真は、東西に延びて、南へ曲がる最初の屈曲部分)。現在残る北の端の部分がいちばんよく残っていて1.5mほどの高さがあります。
 月ノ木貝塚の南入口から道路沿い南西100mほどの地点にも土塁がのこっています。少なくともこの地点まで貝塚があるようで、これより北(左)の月ノ木貝塚寄りの地表には貝殻が散らばっています。土塁の土にも多量の貝殻がまじっています。廃車の向こう(南)は、ほぼ土塁と同じ高さの南から来る尾根が切り落とされており、南の尾根からくると、空堀があるようになっています。
 上の土塁の東側の下は、仁戸名谷津です。斜面に2段の平場がつくられ、栗林になっています(前述の栗林)。上の堀は、谷の方におりてその平場に通じています(写真中央、平場の隅に出る)。この平場も砦の腰曲輪(あるいは通路?)かもしれません。尾根側は高さ3〜4mの急斜面とされていてそう簡単には上れません。
 谷底から見た栗林。一段目。前方左上が月ノ木貝塚・砦の中心部。

 月ノ木砦については、千葉支川都川対岸の大宮台地の諸城とともに、防衛網を作っていたといわれています。しかしこれまで本格的な調査は行われていません。便宜上、砦と呼んでいますが、主は誰か、どういう性格の城郭なのか、よくわかっていません。目と鼻の位置にある東対岸のへたの台砦(牛尾氏の仁戸名館?)との関係も問題です。専門家の調査が待たれるところです。

ヤ5.月ノ木貝塚へもどる  7.番外編モ

ユこのページの最初へ

●メニューへ