用語解説

シオニズム
 ユダヤ人(ユダヤ教徒)を独自の民族とみなし、ユダヤ人の国家を作ることでユダヤ人の民族としての再生をはかろうとする思想。背景には中世以来の西欧社会での被差別や、19世紀後半のポグロム(ロシア語で、集団的な虐殺・破壊を意味する言葉で、その対象の最たるものがユダヤ人であった)やアンチ・セミティズム(人種論的反ユダヤ主義)がある。

第1回シオニスト会議
 オーストリア・ハンガリー帝国生まれのジャーナリスト、テオドール・ヘルツルの呼びかけにより、スイスのバーゼルにおいて開かれる。この会議で運動の指針としてまとめられたものが「バーゼル綱領」であり、これがパレスチナに「ユダヤ人のための郷土」をつくるというシオニズム運動の礎となった。

フサイン・マクマホン協定
 第一次大戦中、メッカのシャリーフ(守護職)フサインと、 イギリスの高官、マクマホンの間で結ばれた協定。イギリス政府は、オーストリア、ドイツ側に立って参戦していたオスマン・トルコを切り崩すため、アラブ勢力がオスマン・トルコに対して反乱を起こすことの見返りに、「アラブ人の独立を承認し、支持する用意がある」との約束を取り付けていた。アラブ人はこの協定にもとづき、1916年6月、トルコに対する反乱に立ち上がった(「アラビアのロレンス」で有名なアラブの反乱)。

サイクス・ピコ協定
 アラブの反乱が始まる前にイギリスがフランス、ロシアと取り交わした秘密協定。 その要点は、シリア・パレスチナとメソポタミアという、アラブ地域のなかでももっとも重要なところをイギリスとフランスが分割・統治するというものであった。この協定の中では、エルサレムを中心とするパレスチナだけは国際管理されることになっていた。
 この秘密協定は、1917年11月のロシア革命成就直後に、ボルシェヴィキ政権により暴露され、アラブ人を大いに憤慨させた。

バルフォア宣言
 第一次大戦中、イギリスが、外相バルフォアの名前で、イギリス・シオニスト連盟会長ロスチャイルドに送った書簡の中で、「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設する」ことに同意をしめしたもの。
 イギリスが第一次大戦において戦局を有利に進めるため、ヨーロッパやアメリカのユダヤ人の支持を獲得し、また、ユダヤ系財閥の財政的支援を取り付けるために出された宣言であり、明らかに「フサイン・マクマホン協定」とは矛盾する。

バルフォア宣言
 第一次大戦中、イギリスが、外相バルフォアの名前で、イギリス・シオニスト連盟会長ロスチャイルドに送った書簡の中で、「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設する」ことに同意をしめしたもの。
 イギリスが第一次大戦において戦局を有利に進めるため、ヨーロッパやアメリカのユダヤ人の支持を獲得し、また、ユダヤ系財閥の財政的支援を取り付けるために出された宣言であり、明らかに「フサイン・マクマホン協定」とは矛盾する。

サン・レモ講和会議
 1920年4月、第一次世界大戦の主要戦勝国による、オスマン・トルコ領の処分を決めた会議。この会議により、オスマン帝国領は不自然に分割され、その時の分割線が今日の中東諸国の国境となっている。
 イギリス、フランス、イタリア、日本の4ヶ国でのこの会議によってこれらの大枠が決められ、1922年7月に国際連盟によって細かいことが承認された。

パレスチナの委任統治
 本来なら第一次世界大戦後につくられた「国際連盟」が統治すべきところを、むずかしいのでかわりに「文明国」であるイギリスがその役割を引き受けよう、という建前のもと、イギリスがパレスチナを支配することになった。この委任統治は、永久に続くものではなくl、その地域の人々が自分たち自身で独立した政府を運営できるようになるまで、イギリスが国際連盟にかわって一時的に手伝うという形をとられた。
 ところが実際はこの制度は「抑圧された民族の解放」という表向きの戦争目的と、戦後の列強によるオスマン・トルコ領のぶんどり合戦という実体の間の矛盾をとりつくろうためのものであった。


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