自家用ライセンス取得記 ('96.7〜'98.1)

おことわり:この記事は、私のライセンス取得当時の状況や法律に基づく記述です。その後の状況変化や法律改正に
より、本記事文中が現在必ずしも正しく、実現可能ではないことをご承知おき下さい。本記事はあくまで筆者の個人的
体験であり、同等の追行為をされた場合の不具合について、筆者は何ら責任を負うことはできません。

0.はじめに
 「パイロットになりたーい」と、「将来の夢」に書き込んだ人はどれほどいるでしょう?男の子なら10人に8人くらいは居るんじゃないかな?私も勿論、そのひとりでした。 
 ところで日本では、パイロットと言えば旅客機、あるいは自衛隊の戦闘機や輸送機しか思い浮かばない。これが一般的ではないでしょうか?実は私はそう思っていました。そして、それらの試験には厳しい視力検査があることを知っていました。
小学校に入ったときは2.0だった私の視力は、その後の猛勉強(笑)で低下の一途を辿り、小学4年生の時にはとうとうメガネを掛け始めることになったのです。回りにメガネっ子はほとんどおらず、イヤだったなぁ。。。そんなワケで、漠然と憧れていたパイロットもなれるワケないと諦め、その後わたしの目標とする職業は弁護士に変わったのです。
 月日は流れ、私の裸眼視力は両眼とも0.03程度に落ち着き、弁護士になる能力もなく、私はフツーの会社員になり10年が経っていました。一方、鉄道旅行に始まった旅はだんだん目的地が広がりだし、航空運賃の低廉化もあって海外へ出かけることも多くなり、ひところ関心の薄れていた飛行機への憧れがまたザワザワし始めました。アマチュア無線の延長で聞き始めた航空無線(エアバンド)も、慣れるとさほど難しいものではないと思えるようになってきました。
 私の勤務する会社では、一定年数を過ぎると、5年ごとに5日、通常の休み以外にまとまって休暇を取得することができます。その年はちょうど、その休暇が取れる年でした。たまたま立ち読みで手にした航空雑誌の広告を見ていたらアメリカで自家用操縦免許取得なんて広告が載っているではありませんか。いろいろと疑問はあったのですが、もしできるようならチャンレジしてみよう、そう思い立ち、行動を起こしました。1996年4月初旬のことでした。
これからのページを書くにあたって、試しに「セスナ 免許」で検索をかけてみました。そうしたら予想通り、フライトトレーニング体験談がいーっぱい出てきました。ハァ、今さら書いて意味るのかな…なので、調べれば判りそうなこととかは省いて、私の個人的な制約条件や苦労した点をメインに、極めて私的な記録とすることに決めました。えぇ、決めました。いろいろと能書きを書いているとキリがありませんから、このへんにしておきます。
さて、そろそろ始めましょうか…




アイコン&壁紙作成:清知庵さん(多謝)