2.スクンビットの歴史(1)  

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  スクンビットがいつ頃からお屋敷街になったのか、私は知らない。知っている方がいたら教えていただきたい。あて先は、 ysmiura@geocities.co.jp

 元々バンコクはラーマ1世トンブリから都を移した当初は、現在の王宮とか官庁街のあるバンコク島ぐらいのエリアだったはずである。島といっても現在も残る運河(オーンアーン運河、バンランプー運河)に囲まれた土地だ。その頃はスクンビットなんて遥か東方の田舎だったはずである。
 “ナンナーク”という昨年大ヒットした亡霊映画がある。この映画はラーマ5世の時代の話で、この映画の舞台となったプラカノーン(Soi71)は当時まだ農村だったという。
 現在でも農村の名残がある。
 ソーイ49がそうだ。日本人町の中頃にあるソーイ49は奥に長い袋小路だ。終点はセンセープ運河だが、その一帯は結構広い範囲にまたがって“ムーバーン”の様相を呈しているイスラム教徒の村だ。そこでは今でも水牛や馬を飼育しているのが見られるのだ。
 そういう農村というか空き地があったから、お屋敷を作ることができたのだろう。

 スクンビット・ソーイ3〜11辺りは印僑が経営する服地屋が多い。一説によるとここで財を成した印僑が比較的地価の安かった、現在の日本人町地区で投機的に土地を買ったのが始まりだとも言われている。
 そう言われてみれば、スクンビットの中心、エンポリアム・デパートでは成金的印僑の家族が目立つ。また日本人街でだけ通用する不思議なタイ語、“ナーイハーン”(=旦那)と“アヤー”(お手伝いさん)は実は印僑の間でも使われる言い方だという。
 バンコクに居住する外国人が増えて住宅を探した時、投機的に開発されていたスクンビットのお屋敷街がぴたりはまった。現在でも小さい国の大使館や大使公邸が多いのは、その時代からのものだろう。東京の広尾と似た状況だ。

 やがてバブル時代にお屋敷は次々に土地を売ってマンションに化けていった。