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小津安二郎『生まれてはみたけれど』
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小津安二郎のサイレント作品『生まれてはみたけれど』(1932年)をみてきた。
こちらでのサイレント映画の上映には、よく生のピアノ伴奏がつくが(エッセイ「ごく普通のよそ者が映画に行く」を参照→)、今回の小津のサイレント作品もすべて生伴奏つき。日本の無声映画には、弁士による語りつきというのもあったが、この作品は、いわゆる中間字幕がついていて、欧米のサイレント映画と同じ形式である。日本語の中間字幕の下に英訳がつけられるというかたちで上映された。
物語の主人公は小学生の兄と弟。家族で郊外に引っ越してきたが、まだ近所の子供たちとのつきあいも、うまくいかない。父親は会社員で、若いのに比較的出世している。今度の新しい家の近くには会社の上司も住んでいて、ときどき上司のご機嫌伺いにも立ち寄る。
しかしそうした父親に子供たちは不満である。家では偉そうにしているのに、上司の前に出ると、へいこら頭を下げてばかりいる。上司の息子よりも自分たちのほうが喧嘩では上手なのに、なぜ自分たちまで上司の息子のご機嫌伺いをしなければならないのか。
とはいえ子供の社会もけっして純粋なものではない。大人社会と同様、さまざまな力関係で成り立っていて、ときにはずるがしこさも要求される。そうした側面が、ユーモアたっぷりに描かれていて、これは傑作コメディーだった。
会場は満員。小津映画に初めて接した人たちもいただろうが、同時代のハリウッドのコメディーにも劣らないテンポのよさで、最初から最後まで息つく暇もないほどの面白さだった。
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