
北千住行
沢 三伯
こんな所に町並みがあるんだろうか…。北千住の駅前はあまりにも近代化されすぎている。商業ビルが建ち並び、車は多く行き交う。町並みどころか奥ゆかしい家さえもあるとは思えない墓標の群れである。そんな町なかを5分も進めば旧日光街道と出会う。この日光街道にこそ目指す町並みがあるはずである。まずは駅前通りから左に曲がり、隅田川方面の様子を見るとする。
ここ旧日光街道もただの商店街が続いている。国道はここよりも北を通っているので、落ちついた状態が保たれている。ということは、目当てのものが残っている可能性大である。ほどなく一階の庇の上に大きな看板を掲げた駄菓子屋が現れる。店内の土間や柱に郷愁を感じさせる千住宿の遺構である。その先にも一軒それらしき家
が姿を現してくる。蔵も数棟ちらりちらり見え隠れしている。千住界隈には蔵がまだ50棟も現存しているというが、街道筋に面した短冊状の細長い敷地のため、敷地の奥に建てられている蔵の勇姿はなかなか見ることができない。街道と交差する狭い路地にも入ってみるが、その細長い敷地は細分化されている例が多く、蔵を見つけるのを困難にさせている。
千住宿の古い商店
墨提通りを越えると、隅田川にかかる千住大橋の影が見えてくる。商店街の活気も薄れてくる。このあたりは元々野菜市場があった地域で、「やっちゃば」と呼ばれていた。そのやっちゃばに真っ白い蔵が一軒ある。ここから東に約1.5km離れた地にある横山家の蔵を移築し、千住宿歴史プチテラス(区民ギャラリー)として再活用
しているものである。
千住宿プチテラス
この蔵は天保元(1830)年に建てられたもので、関東大震災や戦災にも耐え抜いてきた勇敢な蔵である。その蔵窓には金網の網戸がつけられている。火災時にはその網戸部分に泥を塗って防火対策とする工夫がなされる(現在は窓から網戸をはずしているが、はずした網戸は蔵の二階に安置されている)。また、床下の基礎部分には松の材を入れており、その松ヤニの油分が腐食を防いできたという。
プチテラスで仕入れた情報を元に、さらに隅田川方面へ向かう。京成線の高架橋と国道4号線を渡ってすぐの所に橋戸稲荷神社がある。本殿の前扉には伊豆長八作の白ギツネの鏝絵(こてえ)がある。文久3(1863)年の作であるため痛みが激しく近年修理をしたのだが、それ以降実物は大事に(?)保管されてしまい見ることは出来ない。ただレプリカが同じ場所に飾ってあるので長八の技術の一端をしのぶことはできる。
橋戸稲荷神社にある長八の鏝絵のレプリカ(左右で一対)
やっちゃばを通って今来た道を引き返し、今度は駅前通りの右側の荒川方面の町並みに入っていく。こちらの方が近代的かつひとりよがりのデザインのビルが多く建ち並んで商店街の中心になっているが、その間には二階に格子のはまった家がポツリポツリとある。中には格子の前に大きな看板が鎮座しているものもあるが。いづれの家も商いをしているが、扱っている商品を見ると店同様現在の流行を追ってはいない。はたして個人主義の時代にいつまで持ちこたえられるのだろうか。
二階の格子が美しいミセ
そんな町並みの先に横山家がある。この横山家は出桁造りで二階に親子格子がはめ込まれ、木鼻を白く塗っている。建物は道路より一段下がった位置にある。とくれば、道路工事によって道路が嵩上げされたためと考えてしまうが、そうではない。江戸時代には紙問屋であった横山家は、街道を通るお客様より頭が高くてはいけないと考え、あえて道より建物を低くしたのである。
横山家
そんな横山家の蔵はプチテラスとして第二の人生(蔵生?)を送っているが、実はもう一棟蔵が残っている。こちらの蔵はうしろに建てられたマンションに合わせてしまったのか、現代的な吹き付けや下見タイル張りを施されているが、こんな仕上げ方もあるのかと感心する現代風のアレンジである。
一階の軒の上にある看板が見苦しい
荒川の土手あたりに宿場の面影が色濃く残っている
横山家の先は、もう荒川の土手が間近である。商店街も終わり活気も薄らいだ町の中には、二階に格子のある家が数軒かたまっている。この辺りには当時の遊女たちを埋葬した金蔵寺もある。街道の裏に回れば蔵も所々にある。静かで落ち着いていて本来の千住宿の姿を見せているのは、こことやっちゃば、つまり宿場の両端だけではないだろうか。いや、それとも鉄道の宿駅として現在も立派にビル群となって生き続けているのだろうか。
1999年5月1日AM探訪