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有り体に言おう。
私は46歳(2000年10月現在)。もっと大きく書いちゃおか。
46歳。だからなんだってんだってケンカ売ってるわけじゃない。
10代の頃は40歳ってもう人生やる事やって余禄。。。みたいな感じがしてた。今40代後半にさしかかって全然そんな感じがしない。余禄?こんなに未熟で?
後数年で50代。そうなりゃ60歳だって、そう遠い年代ではなくなる。なにか寂しいものが胸のうちをよぎる。胸のうちをよぎる寂しさの意味するものは間違いなく「老い」だ。若くなくなる。
確かにここ数カ月で白髪がすごく増えた。メッシュしてるから目だたないけど。
細かい文字に焦点が合わない。遠く離して目を細める。コンピューターで目を酷使してるからばかりではないのをよく知っている。
スイス時計のようにぴったり30日周期だった生理が狂い始めてる。
「トムジョーンズのお尻」と友人がふざけて命名したお尻が垂れて薄くなってきている。
ふくらはぎから足首にかけてひとまわり太くなった。
二の腕がたるたるしてきた。
これらは間違いなく老化の現れだ。
そこで、ちょっと腕を組んで考えてみる。
白髪がなんなの?黒い髪だとただでさえぼーっとして暗い顔が暗くなるからと、メッシュを入れるようになって数年。これで天然メッシュがはいるんだからいいじゃない?
細かい文字に焦点が合わない、針に糸を通せない。遠視眼鏡をかければ良い。近視の人は若い頃から眼鏡をかけている。今、時々必要になったからってなんなの?
生理が狂ってきた?もう子供を生むつもりはないのだから、そろそろ生殖機能を終了したって不都合はない。
お尻が垂れて、ふくらはぎが太くなって、二の腕がタルタルしてきた。要するに外見の若さが失われていると心配してるわけだ。だからなに?20歳くらい下の若い恋人でも欲しいわけ?それで若いつもりになりたい?
老いが寂しいと感じるのは死が近くなるからだろうか?人生をまだやめたくないと?つまりまだ何かやり残している事があるのだろうか?
そう、きっとそれだ。可能性がどんどんなくなる気がするんだ。
何の可能性?やりのこした事?
私の世代っていつも中途半端だったような気がする。ウッドストックにも学生運動にも間に合わなかった。熱い波が去った後、その残り香を何となく呼吸してきた。三無主義と言われた世代だ。無気力無関心もう一つはなんだっけ?
この年令では、高校生の子供がいる人、早い人は大学生の子だっていておかしくない、会社の重要地位についてる人もいるだろう。要するに社会で申し分ないオトナの位置にいる年代というわけだ。
私はすべて始めたのが遅かった。子供はやっと小学生。リストラにあって、新たな仕事を開始したばかり。これからどう育っていくのか見ている所。何もかも備わった申し分ないオトナの位置にいる気がしない。この道をこのまま無難に歩き続けてリタイアへ持っていければよい、という気がしない。
年とりたくない!というじたばたした気持ちで、自分の中を見つめると、これをやりたい、あれもやってみたいという気持ちがふつふつしている。それを大事にすくいとってやりたい、と思うこのごろ。ものぐさで前々からやりたいと思っていて手を付けていないものもある。で、それを諦める思い切りの良さを持っていない。電子社会の明るい未来もわくわくする。ディジタル文明がどんな事を可能にしてくれるのか、考えると心踊る。
中途半端で完全燃焼できなかった分、しつこくぐつぐつ煮ているような感じがする。
社会のひのき舞台に出て何者かになりたい、というのではないが、私の人生は死ぬまで私が主人公だ。年とっても。どんな役をあたえてあげようか?
(2000年10月08日に浮かんだ泡)
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