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このタイトルは「愛しのエリー」からとったのだけど、ある女の子を愛してしまったわけではない。
キクは私の父の母だ。
なんだか頭に登ってきたので彼女の事をおしゃべり。
私の名字は普通の人がそうであるように父の名字だ。父の名字はその父のものではなく、母のもの、つまりキクの名字だ。父の父とは離婚している(と思う。結婚しなかったのかも知れない)。私はその血のつながったおじいちゃんに当たる人を知らない(T島というその名字が私のものだったかもしれないんだ)。父も自分の父と会った事がない。なんでもすごく乱暴な人だったそうだ。父の兄達は松の木に吊るされた記憶を持つ。父を恋しがった私の父に兄達は「あんなやつを父親だと思う必要はない!」と会う事を止めたと晩年言っていた。
私が知っている「おじいちゃん」は、堂々とした体躯のキクよりはるかに小柄な人だった。髪を後ろに撫で付け、小指をたてて自分を「あたし」といい、「おっほっほ」と笑う人だった。それぞれの名字はそのままだったから結婚してなかったのだろう。
お正月に4人兄弟がそれぞれの家族を連れてお年賀に行くのが決まりになっていた。
キクと「あたし」は並んで上の座に座り、カマキリの夫婦を連想させた。
テーブルのまわりに兄弟と妻子供達がはべり、賑やかな正月だった。
気分がよくなるとキクは女中に三味線を持ってこさせ、都々逸を歌った。
私も幼いながら都々逸の一節を覚えて「チチン、ツツ、ツントントン。うめぇはさいぃたかぁさくらぁはまだかいな」なんて口ずさんだりした。
キクは明治の末に生まれ、山口県萩市のミソ問屋の娘として裕福な少女時代を過ごした。
女学校ではテニスをして、髷をぶらぶらさせながら帰宅した…なんていう話もある。
キクは8歳の時に母を事故で亡くした。愛妻に先立たれた父上はショックのあまり家業を顧みなくなっていったらしい。その後ミソ問屋は潰れたようだ。
16歳で単身上京。その後、妹も呼び寄せて独立独歩の人生を歩む。
詳しい人生は知らないけれど、好奇心が一杯で自分の考えをはっきり持ち、したい事はまわりの思惑を考えず、やりたいようにがむしゃらに進んだ。
新劇がはいってくると率先してそれに加わり、共産主義に共感して共産主義者として運動に加わったり、市川房枝女史と婦人参政権獲得運動に参加したりした。
そうなると、政治活動に興味を持ち、新宿区区議から東京都都議にまでなった。
太平洋戦争が始まる前に、その情報を得て、まだ中学生だった父を早々と長野の知り合いのお寺に疎開させる。そのお寺の娘を父が見初めて、やがて婚約し、母を知ってから婚約を解消すると言う「事件」もあったけど、これは別の話。
そのお寺にあった(たぶん?うろ覚え)竹内古文書に刺激を受けて、証拠集めに夢中になって日本中、特に東北を旅し、「キリストは日本で死んでいる」「世界の正史」という常識に合わない本を執筆。嘲笑する世間もあっただろうけど、キクは自分の信念を曲げる事なく、まわりに影響を受ける事はなかった。
豪傑さを示すエピソードはいろいろある。
ある人がキクと待ち合わせをして、待てど暮らせど来ないので家に行ってみたら、寝巻きにガウンをはおって煙草を吸っていて、「今起きたのよ。わっはっは」とやったそうだ。
4人兄弟とその家族と葉山の海へ出かけた事がある。私が3歳の頃だ。電車にのってみると、みんなまとまって座れる席がない。(総勢14人だもんね)キク、車内を見回し「あなた達何人?それじゃあちらに移ったらいいわ。こちらはあの席へ。」と仕切って家族14人をまとめて座らせる事に成功し、まわりを見回して、満足そうにうん、うん、とうなづいていたそうだ。キクに命令されると、断われないなにかカリスマ的な所があった。
弟を連れておもちゃやさんに行く。電車が大好きだった弟はいろいろ見ていた。キクは一番大きいのを買いなさい、といい、小さい弟が腕に一杯抱えなければいけないほど大きな、グリーンとオレンジの縞の東海道線車両を買ってもらった。
同年の従姉妹とキク宅のソファでジャンプしてきゃっきゃっと遊んでいた事がある。「あたし」の「おじいちゃん」は「ソファのスプリングが壊れるからやめなさい!」と叱った。大人として当然の反応だ。ところがそれを聞いたキクは「子供は遊ぶのが仕事です!やめさせてはいけない!自由に遊ばせなさい!!」と「おじいちゃん」を叱った。
ある夜、キクは「じゃ、おやすみ」と言ってフトンに入り、心筋梗塞で呆気無く亡くなった。葬式には当時の総理大臣佐藤栄作さんからの花環があった。他にもそうそうたる当時の政治家達の名前があった。小学生だった私は国民が死ぬと、総理大臣は花環を贈るんだ…と理解したがそうでない事は後でわかった。キクの経歴がそうさせたのだ。
キクはそうやってお上に強いだけではなかった。その証拠に、自宅で執り行われた葬式にはお焼香に近所の方やら一般の方が何百人も長い列をなした。キクがいったい何をしていたのか、私は知らない。
先述した著書の著者近影の写真を見ると、つばの大きな帽子をかぶり、胸ぐりの大きく開いたワンピースに大きな粒のネックレスをしている。その着こなしにも、キクの大胆さとまわりの思惑を気にせずに自分の信じる道を行く生き方が伺える。
その信じる道は、道理にかない、正義の道にそっていたのだろう。だからこそ、電車の中で仕切ると皆言う事を聞き、お焼香に何百人も来てくれたのだろう。いわゆる母らしい事はせず、母の役目は妹に任せていたにもかかわらず、4人の息子達は母を慕っていたのだろう。
信じる道を、できるかできないか心配せず、まわりの評価を気にせずに進んだキク/おばあちゃんの強さを少しでも見習いたいなぁ…と思った今日でした。
2001年2月4日の泡
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