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22年前にした初めてのヨーロッパ旅行は、友人と二人だけの行き当たりばったり旅行で、そしてすべてが初めてだったので印象に深く刻まれた思い出がたくさんある。
見るものが珍しいだけではなく、知らなかった自分を発見したりもした。正確には認めたくなかった自分を、だな。
●南スペイン・グラナダ
その旅行でフランスに3月に入り、南下して行って、グラナダに行き着いた5月にちょうどお祭りがあった。
娘達はフラメンコ衣装を着て髪に花を飾って町を練り歩く。
ペンションのおばちゃんが「アンタ達も女の子だからね…」と言って、白い花を私とYの髪にさしてくれた。
バルに座っていると、人なつこい太ったおじさんが「チニータス?(中国人)?」とよって来た。「ノ、ハポネサス(日本人よ)」と答える。「プエドなんたらかんたら?」と要するにすわっていいか?ときいてくる。よくわからない話をしてるうちにおじさんは盛り上がって大声で「ヒターノ!!ヒターノ!!」と呼んだ。
グラナダは他の都市と違ってジプシーが一般市民と共存する所だ。
ヒターノがその辺にゴロゴロしてるグラナダ、すぐに背の低い恰幅のいい男がギターを持ってやってきた。おじさんは側に座らせ、なんかかんか言うと、ヒターノはすぐにギターを立てるように抱えてかき鳴らし始める。おじさんが気持ちよさそうに巨体を揺すって歌う。訓練された声じゃないにしても、よく通る声だ。グラナダ訛りのスペイン語の歌にヒターノのギター。暑いくらいの5月の陽射しに黒い髪には白い花だ。なんか出来過ぎって言うほどのスペインの空気!
おじさんが歌ってると何人か集まって来て一緒に歌う。
やがておじさんはその人たちと声高におしゃべりを始めた。
●「ばか」に込める恨み
ギターのヒターノがハポネサに興味を持って話しかけて来た。
フラメンコは見たかだの、グラナダは好きかだのとおきまりの質問のあと、「トントって日本語でなんて言うんだ?」と聞いて来た。
「ばか」「オレに言ってみな。」「ばか」「もっと」「ばか」…
なんでこのヒターノがオレに言ってみなと言ったのかわからない。
でも大の男に「ばか」と言い始めると今までの恨みがその言葉に練り込まれていった。
グラナダの前、マドリッドに滞在した一ヶ月半と言うもの、毎日(ま い に ち)町を歩く度に「チニータ トゥ、チニータ ヨ(アンタもアタシも中国人)」と節をつけた囃子言葉を投げ付けられた。これはかなりの精神的負担になった。言われなかった日はない!
マドリッドの前、パリに入ったとき、日本人と言うだけでホテルのインフォメーションでは後回しにされ、電車の切符を買おうとして列に並び、私達の番になると係の人は用事を作って立ってしまった。バスに乗ると運転手が客の方を向いて、いたずらっぽく「ジャポネがどうしたこうした」といい、乗客はいっせいに嘲笑の声をあげた。言葉がわからなくても嘲笑の雰囲気と言うのはわかるもんです。
(後にこの体験をフランスに住む日本人に話したら、この頃のフランスの経済は酷く、政府は盛んに日本のあくどい輸出政策のせいだと、ことあるごとにマスコミを使って吹聴してたから…と言った。確かにその後何度かパリへ行ったけど、この時のような目にはあっていない。日本の文化面も浸透して行ったから、と言うのもあると思う。この旅行で驚くほど日本の事って知られてないし、政府も企業もそう言う努力はしてないと思った。「どこから来たの?」「日本から」「じゃあ中国だね」…)
旅行の前、仕事先で「女じゃわからないよ、男の人いないの?」と言われた。取引先の係の人が煙草をくわえて火をつけろと言った…
就職が決まる前、日本経済は不況に見回れ、女子の四大卒の採用募集は一件しかなかった…
さかのぼって小学校、「先生おしっこ」と言えずに一度おもらししたら、それ以来、いたたまれずに転校するまで毎日男子に虐められた…
白人はカラードに対して優越感を持ち、男性は女性に対して優越感を持つ。大人は子供に、金持ちは貧乏人に、上役は下役に、大手勤務者は中小企業に…
みな自分より「下位の者」を見つけ自分の優位を確認しないと不安なのだろうか?と言う疑問がわいてくる。
●私の中にもあった…!
グラナダの広場のバルの昼下がり、私は見ず知らずの男性に「ばか」と言っていた。
「もっと」
様々な恨みを込めて、この見ず知らずの人に向けてだめ押しの「ば〜か」。
その時、彼の目の中に言い知れぬ憎悪の恨みの炎が見えた。
私は彼の仕掛けた罠にはまってしまったことに気がついた。
彼の目の中の炎の中に何世代にも渡った小数民族の苦しみ、彼自身の痛み、そして「おまえもやっぱりそうなのか」と言う悲しみを読み取れた。
私は彼がヒターノだから「ば〜か」と蔑を込めて言えたのだ。何の罪もないこの人に、私の恨みをぶつけたのだ。私の中の醜さを容赦なく引き出した。私も他の多くの人と同じように誰か私より「下位の者」を餌食にして自分の優越を確認したのだ。
彼がヒターノだから… 私は自分の中にどんな差別意識もないと思っていたので、この発見はショックだった。
炎をちらつかせたまま「もっと言ってごらん」とその人は言った。
私は自分の醜さを自覚したからもう言えなかった。すまなさで一杯になって、小声で「ノ…」と言った。彼がいきなり立ち上がって、ナイフで私の心臓を一突きしても文句は言えないと思った。
この後、ごまかして立ち上がり、「アスタマニャーナ」とかなんとか言って、おじさんとヒターノをバルに残してどこかへ行ったのだと思う。
この出来事は私とヒターノの秘め事だった。同じテーブルにいた友人はわからない言葉でおじさん達とコミュニケーションに努めていて、この出来事に気がつかなかった。
この後、バルセロナからイタリアのジェノバに入り、イタリアの町をあちこち巡って楽しい旅行を続けたが、この「秘め事」は折に触れて記憶に登り、苦味を残してまた思い出の海に沈んで行った。そして今でも時々、あの、目の中の炎と一緒に私の「ば〜か」という言葉を思い出す。二度と、誰に対してもあんな言い方はしないだろう。
2001年4月の泡
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