シュロス ハイデルベルク(ドイツ) schloss heidelberg

*鳥瞰図の作成に際しては、現地ガイドブックを参考にした。現状では城の半分は崩壊しているので、古図などを見ながら、推定復元した部分もある。

 ネッカー河のほとりにあるハイデルベルクの町は古き城と大学の町である。現在のような城が築かれたのは、15世紀、プファルツ侯によるものだという。その後何世代かに渡って城館が築かれていったので、城内にはゴシックやバロックなどさまざまな形態の建物が並んでいる。しかし、15世紀以降各地にわき上がった宗教戦争の絡みで、この城もたびたび攻撃を受けて、やがて廃城となった。

 麓の旧市街から城内への坂道を上がっていくと、左の写真のような門(エリザベス門)と庭園が見えてくる。この門は17世紀頃の王フリードリッヒ5世が妻のエリザベスを喜ばせるため、一夜で築かせたものだという。一夜城ならぬ一夜門というわけだ。ここを抜けて進むとチケット売り場があり、そこから2重の城門や橋を渡って城の中庭に入る。













 中庭には、先に述べたように、様々な形式の建物が建っている。右の写真の建物はフリードリッヒ館と呼ばれているもので、中庭の正面に建っている。この建物を抜けると、城外にテラスのように張り出した庭に出る。ここからはハイデルベルクの旧市街やネッカー河、カールテオドール橋、そして川向かいの億ション群(テニスのシュテファン・グラフ選手の家などもあるそうだ)が一望できて、とても景色がよい。この庭の床の石に足跡のような物が1つ残っている。これはかつて王が浮気を発見されて窓から飛び降りた時についた足跡が残ったものだという伝説がある。この足跡にぴったり足がはまる人は浮気性だとか・・・・・。

 また、フリードリッヒ館の左手の建物の地下には、世界一巨大なワイン樽がある。直径7mもある巨大なもので、22万リットルものワインを溜めておけるものだという。














 城は廃城となってから久しいので、ちょっと奥まった部分などを見ると、戦闘的だが崩れかけてしまっている城の構造物を随所に見ることができる。近世になって、あちこち修復されたというが、こうしたところは、戦争で破壊された傷跡がそのまま残っている。整備されている部分と、破壊されている部分が混在しているのがとてもアンバランスな感じだ。
















 この写真は旧市街地のマルクト広場から上の城を見たところである。城の上の方の窓が透けて見えるのは、建物が半分壊れているからである。旧市街には、有名なハイデルベルク大学がある。大学といってもまとまったキャンパスがあるわけではなく、町のいたる所に授業を受けるための建物が建っているのである。学生たちは自治を重んじたらしく、悪事を働いた学生が自らの意志で入る「学生牢」なるものもある。
 また、この広場の脇にはシューマンの家が残っている。


 ハイデルベルクは宗教改革発祥の地の1つでもある。1518年、マルティン・ルターはこの地を訪れ、「95のテーゼ」を提唱し、キリスト教の改革を唱えた。これが、長く続く宗教戦争の口火となったのである。































大竹屋旅館