茨城県桜川市

雨引山城(桜川市雨引字雨引山)

 2018年2月11日(日)、雨引山に城郭遺構があるとの情報を得て、茨城城郭研究会と栃木の有志との合同調査会が行われた。私は久しぶりの山城だったので、ここまで登るのにもアップアップだったのだが、思ったよりはいい遺構を見ることができてご満悦である。また、栃木の渡辺さんやくりやさんとは一度お目にかかりたかったので、ご一緒させていただくことができて、楽しいひと時を過ごすことができたのであった。

 雨引山城は比高350mほどの雨引山山頂に築かれている。訪れてみればすぐに堀切が見えてくるので、城郭であることは一目瞭然なのであるが、なぜか遺跡地図にも掲載されておらず、城としては認識されていないようだ。したがって新発見の城ということになる。

 城は雨引山頂に築かれているため、城を訪れるためには雨引山を目指すことになる。この山の中腹には雨引観音が祭られているので、この観音を目指していくのがよい。広い駐車場もあるので、車を停めておくのも楽勝である。

 ちなみに雨引観音の山門は真壁城の移築城門であるとのことなので、ついでに訪れてみるのもよいであろう。また、観音寺そのものもなかなか見事な寺院で、特に熊本城のような勾配をもった石垣を積んでいるのが印象的である。いつ頃積まれた石垣なのかはわからないが、この石垣の勾配は尋常ではない。それから、、観音寺には孔雀が放し飼いにされているのも珍しい。孔雀が自由に歩き回っているお寺なんて初めてである。

 さて、観音寺から山頂までは比高200mほどあり、けっこうな高さである。しかしハイキングコースとなっているので、しっかりとした登山道が付けられている。案内もあちこちにあるので、迷うこともないだろう。登山道は山の斜面に沿って長く歩いて行くようになっているので、時間はかかるが傾斜は急ではなく、歩きやすい道である。これを進んでいくと加波山との間の尾根に出る。後は尾根沿いに歩いて行けばすぐに城内である。約30分ほどの登山となる。

 山頂部分に差し掛かると、東側の堀切が目に入ってくるので、すぐに城内に入ったことが分かる。深さ4mほどの堀切である。堀は左右に降っていくが、竪堀とはなっておらず、側面部の腰曲輪となって回り込んでいくようになっている。

 城塁を登ると手前には土塁が盛られており、その奥がCの窪んだ空間となっている。一見、枡形のように見えなくもないのだが、北側の腰曲輪から登ってくるルートが付けられていない。

 ここから尾根に沿って城域は長く延びている。郭そのものは細長く、幅は最大でも10mほどしかないが、東西の長さは200mほどある。予想外に広く、これだけの規模であれば、相当数の人員を配置しておくことも可能である。

 城内を進むとすぐにBの窪んだ地形も見られる。西側は1,5mほどの高さの土手となっており、これも虎口関連の遺構であった可能性がある。武者溜まりのような場所であったものだろうか。

 ここからさらに進んでいったところにちょっとした窪みがあり、その北側の下にはAの土塁が設置されている。土塁から接続されている部分が、小さな枡形状になっていることから、北側下の腰曲輪と接続する仕掛けであったと思われる。

 さらに進んでいくと地勢は上がっていき、東屋の建てられている最高所に到達する。この部分が城の中心となる箇所である。ここに雨引山に関する案内板も設置されている。ただし、城に関する説明は特にみられない。城址としては認識されていないようである。山頂部分は木が切られているため、ここから岩瀬や真壁の市街を遠望することが可能である。
 
 1の先が西側の堀切である。やはり両端が緩やかに落ちており、北側は腰曲輪となって続いていく。堀切の東側の先はだらだらとして地形になっているのだが、先端部には切岸加工が見られるので、その部分までが城域であったと思われる。

 ここから北側の腰曲輪に降りて見た。城の北側の城塁は切岸加工されており、その下の腰曲輪もしっかりとした幅が確保されている。この腰曲輪を進んでいくと、先に述べたAの土塁が見られる。Aから東側の部分については、城塁側が若干低くなっているようであり、かつては横堀であった可能性がある。もっとも現在ではたいした高低差は見られなくなってしまっている。

 さらに腰曲輪を進んでいくと、竪堀が1本掘られており、通路が狭められている。その先が東側の堀切と接続するようになっていた。

 東側の堀切の所まで戻った後、今度は南側の腰曲輪を進んでみる。南側斜面のためか、こちらはヤブが多くてちょっと歩きにくい。南側の関しても腰曲輪が造成されてはいるのだが、北側に比べれば造作は甘い。また、城塁そのものも、北側ほどしっかりとした切岸加工はされていない。もっともかなり高所の山であるので、それほど念入りにしなくても十分だと考えていたのであろう。

 腰曲輪を進んでいくと、途中に岩がいくつかあり、その先の尾根部分の所で終了する。

 このように雨引山城は、尾根を利用した簡素な構造の城郭であるが、城域そのものは広く、部分的はかなりしっかりと造られている。戦国期の城郭を思わせるものである。

 雨引山城の最大の特徴は尾根道沿いに造られているということであり、この尾根道を監視するという機能を重視した城郭であったと思われる。加波山から北側に続いている尾根道はそのまま進んでいくと橋本城にアクセスすることも可能である。橋本城に関連し、背後の尾根道を抑えるための城郭であったという可能性が考えられる。

南側山麓から遠望する雨引山。ここからの比高は300mはあろう。 中腹にある雨引観音の山門。真壁城の城門を移築したものだと言われている。
雨引観音の右手の奥から、雨引山に向かって登って行く。途中の登山道は切通し状になっている。 東側の堀切。写真だと分かりにくいが、明確なものである。
城域は尾根上に沿って東西に長く延びていく。西側が最高所となっており、ここに東屋と天引山の案内板が立てられている。 西側の堀切。
そのさらに西側にちょっとした切岸があって、ここで城域は終わる。 北側の腰曲輪から見た1郭城塁。
腰曲輪の中央部分にAの土塁が配置されている。ここから城内に登るようになっていた可能性がある。 東側からAの土塁を見たところ。
北側の腰曲輪と1郭城塁。 東側の堀切から城外方向を見たところ。この城にこれだけ人が来たのは、初めてのことではないだろか。
堀切の外側から城内方向を見たところ。







































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