「愛、革命に生きて」(熱く語っているので長文です)

この作品は日本未公開で、我が国ではビデオでのみ発売。原題はなんと「Chouans!」――そう、ふくろう党蜂起を扱った作品だったのですね。こんなマイナーなテーマでもなんとか日本でビデオ発売にこぎ着けたのは、やはり副題にもあるようにソフィー・マルソーが出演しているからに他ならないでしょう。
さて、この映画にを語るとなるとま思い出話から始めないわけにはいきません。またかと思われるかもしれませんが、勘弁して下さいね。
やはり昔、昔のこと、フランスの歴史学科に入って一年目だったと思いますが、同級生の友人に誘われて公開第一日目に見に行ったのがこの作品でした。私は丁度、ヴァンデ戦争や反革命にはまり始めたころで、興味津々であり、友人の方は単に一緒に単位を取っていたフランス革命のころを扱っている映画だからというだけの理由で見に来たのでした。
今でも覚えているのは夜空に月がかかったタイトルバックが現れると、前列に陣取っていた王党派の男の子たちが一斉に「ヴィーヴ・ル・ロワ!」(王様万歳!)と叫んだこと。その気持ちはすごくわかってちょっとぞくぞくしちゃいました。でもやはりというか、回りの客に「しーっ!」と文句を言われていました。(笑)
監督はフィリップ・ド・ブロカという人で、最近では日本でも公開された、「愛と復讐の騎士」を撮った人。このブロカを知っているという別の友人に言わせると、
「いいおじいちゃんなんだけど、撮るものがなんていうか、俗っぽいのよね」
「愛、革命に生きて」を観ると、彼女がそういうのも、もっともだと思ってしまいます。最近の邦題というのは、わけのわからない原語そのままでない場合は、どうしてこうもベタな「愛のなんとか……」なんていうタイトルになっちゃうのかしら、と釈然としないのですが、この映画に関しては全くドンピシャリですね。内容は一応ふくろう党蜂起を扱ってはいるけれど、まさに「愛、革命に生きて」。
簡単にストーリーを説明すると、フィリップ・ノワレ演じるブルターニュの小貴族ケルファデック伯爵(このケルなんとかというのは典型的なブルターニュの土地の名で、家を現すブルトン語からきているそうです。だからその土地の名がついたブルターニュ貴族にはケル某という名前の人が多く、ヴェルサイユあたりではブルターニュ貴族はケルなんとか氏、ケルかんとか氏と呼ばれ、田舎者の代名詞みたいに小馬鹿にされていたわけです)は、貧しい女が産み捨てていった女の子(ソフィー・マルソー)にセリーヌと名付け養女にして、同じときに生まれた自分の息子オーレル(俳優さんの名前忘れてしまいました)と一緒に育てる。さらにもう少ししてから、神学校にいくのを嫌がって抜け出した平民の息子、タルカン(ランベール・ウィルソン)も養子になり、三人は兄弟のように育つ。
しかしやはり年頃になった三人の間には男女の感情が目覚め、どうしうようもない三角関係に加えてフランスを襲った革命の嵐の中で、オーレルは王党派に、タルカンは共和派になり、その間で揺れ動くセリーヌ――、というお話。
それで、タイトルにもなっている肝心のふくろう党はどこに?と思われるかもしれませんが、つまりオーレルは成り行きでふくろう党の首領に担ぎ上げられてしまい、共和派の議員になったタルカンと対立することになるわけです。
ブルターニュはふくろう党蜂起が最も激しかった土地の一つですが、(映画の舞台は海があることなどからモルビアンあたりを設定しているらしい)、ヴァンデ戦争同様、住民が革命に不満を持ち、ふくろう党として武装蜂起するきっかけとなった「聖職者民事基本法」による非宣誓司祭の追放、また「三十万人動員令」による徴兵の様子などは、比較的きちんと描かれていました。
しかしその後がいけません。当初、ふくろう党の農民たちを煽動するのは、追放された教区司祭。この司祭ときたら共和派が好んで描いたような狂信的な坊さんで、自らの手で人殺しまでやってのけたりする。ナポレオン軍相手のスペインの坊さんたちならいざ知らず、ヴァンデ戦争、ふくろう党蜂起ではこれほど過激な聖職者はいなかったと思うのです。共和はのフィクションやプロパガンダ以外は……。
それからやはり指揮官となった貴族たち、彼らの描き方もありがちというか、農民を軽蔑する高慢な貴族という戯画化されたものでした。でもそれなりに格好よくはあるのですけれどね。ふくろう党を率いる貴族たちの一人で、のちにオーレルとも対立するティフォージュ男爵、演じているのはジャン・ピエール・カッセル。――そう、あのヴァンサン・カッセルのお父上なのですね。この人はヴァンサンよりも顔立ちが整っていて渋いおじさまです。それに見たところ馬に乗ったままテーブルに飛び乗ったりといったシーンをスタントなしでこなしているようなので、ひょっとしたら息子と同じくアクロバット畑の人?と思ってしまいました。
もう一人、シャレット軍のアマゾンを思わせる女戦士、オランプ・ド・サン・ジルダスを演じるのはシャルロット・ド・テュルケイム。フランスでは有名な女優さんで、由緒正しい本物の貴族令嬢というおまけつきなのでした。
ちょっと話が脱線しましたが、この映画で何よりも納得できなかったのは、ふくろう党の農民たちを単なる火付け強盗集団のように描いていたこと。それも足を火で炙って財産のありかを吐かせたりする、「足炙り」が登場するんですよ。十九世紀の共和派のプロパガンダ的、王党派悪役史観から一歩も脱却していないではないですか。
それに主人公三人の中で、結局いちばん真面目で真摯なのはどうみても共和派のタルカン。オーレルなんて何の信念もないまま、成り行きとタルカンへの嫉妬心だけでふくろう党に入ったというだけで、どうみても共感できません。さらにもっと酷いのは二人の若者の間をうろうろし、(というより完全に玩んでいる)セリーヌのあり方。
彼女はやはり何も考えていないまま、タルカンにつられては共和派に靡き、それからあろうことかもと恋人に信じられない仕打ちをする。(これ、書きたいけど、ネタバレになるから控えておきます)セリーヌは嫌な女にしか見えません。
タルカンがかわいそうで、気の毒で、ひいてはどうしてもふくろう党や王党派の側にはシンパシーが感じられない仕組みになっているのです。
あ、ケルファデック伯爵のことを忘れていました。このお父さんはとてもいい人で、いわゆる啓蒙の世紀の人。気球や飛行機の研究をしている発明家でもあるのですが、この飛行機というのがちゃんと伏線になっているのですね。
ラストまで観たあなたは、「なんだ、この話はSFだったんだあ!」と言いたくなること請け合いです。さらに、ちょっとした戦闘シーンで使われる共和国軍のカノン砲が、撃っても撃ってもぴくりとも動かないあたり、(本当は反動で一メートルくらい後退するはずなのに……)すごいハイテクですね。(笑)ついでに「ヴァンデと同じだ。奴らは風車を連絡につかっているんだ!」といてカノン砲で風車を砲撃するのですが、その破壊力たるや尋常ではありません。
共和国軍の将軍はと言えば、チュローだのヴェステルマンだの、嫌な共和国軍の将軍をカリカチュアライズしたみたいな髭面の人物でした。
最後の方に、キブロン戦の悪いパロディみたいに、ふくろう党の一集団が島に立てこもるシーンがあるのですが、そこで「奴らは袋の鼠だ」と、オッシュの台詞を言う場面もあったりして……。
監督は革命派と共和派の対立による、革命や内戦の悲惨さを描こうとしたのかもしれないけれど、結局は先にあげた略奪・暴行や内部抗争など、ふくろう党の愚行が際だった印象になっています。
批判ばかりになってしまいましたが、この映画の醍醐味は、やはりいろいろと珍しい物を映像で観られるという点につきるでしょう。
あのシルクハット型の帽子を被って胸にサクレクールの記章をつけたオーレル(ハンサムなのはたしか)やら、サン・ジルダス夫人の勇姿(アマゾン乗りもいいし、狩猟服姿で共和国軍に猟犬をけしかける場面もいい)をはじめ、自由の木を根こそぎにして挑発したり、王党派が教会で感謝の祈りを捧げたり、ブルターニュの農民服をきた、イラストでお馴染みのふくろう党戦闘員など、他ではとても見られないですよ。
この作品ははじめテレビドラマのシリーズが作られ、それを編集したものが先に映画として公開されました。日本でビデオとして発売されたのは、テレビ版の方なので、さらにマニアックなシーンが楽しめます。
もうビデオは販売されていませんが、近所のレンタル屋さんにはありましたので、TSU○AYA などで探してみて下さい。話はともかく革命史や反革命史に興味がある人には、一見の価値があります。
さて、映画館で気勢をあげていた王党派青年たちですが、上映後にはなんだかしょぼんとして静かに退場していきました。全く、あの内容じゃあね。――と密かに同情してしまったのでした。


[BACK][HOME]