「血と黄金」第11章「ヴァカンス……」より

 デルベは熱い賛辞を七人の仲間たちに贈り、彼らに休暇を与えた。そしてエティエンヌの将校への昇進を批准し、フランスの紋章が証印され、王冠の付いたヴァンデのハート型の印章が押された証書に署名をした。
 少年達にとって、ル・プレシで羽をのばすのは悪いことではなかった。エティエンヌは彼らと数日間を共に過ごすよう、アンリを説得するのに成功した。フィリップはスービーズ庭園の森での猪狩りをえさにこの説得を完了させた。若き将軍の軍は今のところそれぞれの畑仕事に散逸してしまっていたし、この季節にはまれな猪狩りの気晴らしに大喜びで賛成した。
 出発を前に、彼らは参謀本部に召喚の合図を知らせておいた。ボワ・ゴイヤーからボニエールへ向かう道と、ヴァンドレンヌ、ムーシャン間の道の交差点でトランペットを三回鳴らすのである。少年達は一時間以内に使者と合流するであろう。このようにして、彼らは隠れ家の秘密を念入りに守ったのであった。
                
                * * *                 
   
 ル・プレシは数週間前から生い茂った緑にすっかり覆われ、入口を捜すのに少々手間どったほどである。
 彼らは馬を二百メートルほど離れた、草深い空地に残しておいた。
 森の一番近い小径につながる小道は最小限だけ草を除くに留め、彼らの目印の周囲を隠し、そのかわりに、隠れ家の回りをきれいにして、いくばくかの空間を空けた。
 建築家の天職にめざめたイヴは、洞窟の美化を提案した。ジルとフロランはそれに輪を掛けて自分たちの意見を主張した。ジャンは彼らの議論に耳をかたむけていたが、そんな工事をしたら職人が十人かかっても冬が来る前にくたばるだろうと、おごそかに結論を下した。
 頭に来たジルは兄貴分の意見は馬鹿げていると思った通りに言う。イヴは四つんばいになると地面に見取図を描き始め、フロランはまだ描き終わりもしないうちに絶賛する。口論の嵐が大きくなった。
 騒ぎに驚いて何事かとやって来たエティエンヌは、押し殺された笑いと判別のつかぬ叫びの混ざった騒音の中で、もつれあう腕とばたばたもがく足を前に立ちすくんだ。
「こら、こら!」と、わざと厳しい口調でエティエンヌは怒鳴った。「戦闘休止のこの休暇中に好きこのんで戦う奴があるか?決闘はたとえ素手でも禁止されているのを知らないのかね、諸君。俺にはまるでヒドラみたいに沢山の頭が見えるんだが」
「君達には罰を与えねばならない。それだけの元気があるんだったら直ちに野菜の皮を剥きに行くんだ。わかったか!」
 猛烈な怒声がエティエンヌに答えた。「将校をやっちまえ!」と叫びが上がり、ヒドラは一瞬ばらばらになったかと思うと又合体し、めちゃくちゃで騒々しい乱闘が始まった。 フィリップと一緒に洞窟から出てきたアンリは、騒動の原因を尋ねようとやってきた。近づいてたまたま一本の足を引っ張ると……彼の手には長靴が一足残った。今度はアンリが掴みかかられ、地面に倒れる。できるかぎりの抵抗を試みたが、多勢に押し潰され、助けに駆けつけたフィリップも乱闘の中に消えた。
 結局勝利を手にしたのは反乱者達であった。彼らは敗者達に条件を申しわたす。
「俺たちの尊敬する隊長には野菜の皮剥きをやってもらう。隊長を手助けしたフィリップとアンリも喜んで手伝う事」
「罰があまいよ」と憤慨した口調でイヴが叫ぶ。「俺は食事当番の雑役もさせるのがいいと思うな!」
「おいおい!」とジャンは心配そうに言う。「そんならまともな食事を作ってもらいたいもんだね!」
「ロシニョレくんだりまで食料を捜しに行かなくてもすむようにね」とフロランが指摘する。
「ちょっと待て」草の上に座り込んでいたフィリップは叫ぶ。髪の毛はすっかり乱れ逆立っている。「僕は関係ないぞ。だいたい僕は何が原因なのかも知らなかったんだ。なあ、アンリ?」
「うーん」と当人はどっちつかずの返事をする。「これは単なる誤解だと思うな。大騒ぎするほどの事じゃない」
「この辺で休戦条約に調印したら?」アンリは魅力的な調子で結論を下した。  
「これだから堕落した外交は困る」とジャンはうめくように言う。「こんな風に言われちゃ聞かないふりをするわけにいかないじゃないか」
 戦闘員達はうやむやのうちにてっとりばやく休戦条約を結び、空地に車座になって野菜の攻撃に取りかかった。
                * * *                  
 
 ルイは戦いのありさまを不敵な眼差しで眺めていた。一見したところ、彼はこの喧噪と呪わしさに満ちた世界から全く遊離しているかのようであった。時折そんな様子をみせるのだ。
 いや、ルイはこういう類いの遊びを軽蔑していたわけではない。ただ、おそらくはこの現実世界を脱出し、いく片かの詩や、歌に思いを馳せているのだろう。ジャンはそんな彼のことを優しく《ミューズ達の赤ちゃん》と呼び、仲間達と同じようにルイの才能と、霊感のみずみずしさに感心していた。
「何かいい曲が出来たかい?」フィリップはルイに尋ねる。「血湧き肉躍る歌かい?」 「ううん。どうして?」と、子供は驚いて言った。
「それじゃ僕らに君の最新の曲を聞かせてくれないかな?」
 ルイは横笛を取り上げ……彼はその笛を片時も手放す事がなかったが……喜んで吹き始めた。その間、突然静かになった仲間達は、魅せられたように聞き入っていた。
 旋律は軽快で、無垢な美しさにあふれていた。メヌエットの拍子が始まり、魅惑とメランコリーが満ちる。しばしの沈黙のあとは、溌剌としたガヴォット。小粋なトリルは村の踊りを思い起こさせる、跳びはねるリボンと襞飾りのついたボンネット。それから神秘的で気品に満ちたパヴァーヌ、微妙な均衡が取れている。しまいに、軽やかなルラードで成り立つ微かなモチーフが隣の林でさえずるアトリに答えた。
 沈み行く太陽が、少年の髪の中で軽がると踊る。木にもたれ、僅かに頭ををかしげた少年の姿は、古代の詩人が詠うあの羊飼い達の一人であるかのようであった。木々のざわめきや、泉の水音が、彼らだけにわかるメッセージを送る、あの羊飼い達の……。
 そして幼い少年は、内面のはかなくも豊かな夢を具現化しつつ飽く事なく奏で続ける。 友人達の眼差しは彼の口もとに釘付けになり、その動きを追う。
 森に再び静寂が訪れた時、皆は感動にかられたまま、陶然として黙り込んでいた。
「俺たちの晩めしは?」と、エティエンヌが突然叫んだ。「真っ暗になっちまうよ!まあいいや、なんとかなるさ」
 エティエンヌは食事に関する指示をいくつか与えた後、末っ子の方に向き直って言った。
「火を点けてくれないかな?助かるんだけど」
 その声には一種の敬意がこもっていた。
                
               * * *
 
 夜は流れる水のように静かにふけていき、密やかに生きる生物達の静かなざわめきにうごめいていた。
 暗色の長いマントにくるまれた影が洞窟から滑り出ると、馬を繋いである空地の方へ消えていった。誰ともしれぬ影は一頭の馬に軽やかに飛び乗り、愛撫すると、躊躇することなくムーシャン方面に向かう森の小径を進んでいった。それからエティエンヌは……他ならぬ彼だったのだが……ピュイベリヤールへ馬を全力疾走させた。
 彼はなぜ今夜急に、こんなにも近いピュイベリヤールに帰りたくなったのかわからなかった。自分でもこれから捜しにいくものが何であるかを認めるのが恥ずかしかった。
 玄関に着くなり、館が無人なのがエティエンヌにはわかった。誰も住んでいない場所に特有の匂いが漂っていた。サロンに入って行って、燭台を点す。エティエンヌは安楽椅子に腰を下ろして、家具や調度品や絵画の一つ一つを注意深く眺める。壁に掛けられた先祖達の姿が、奇妙な存在感で心をかき乱す。
 苦い思いでが又蘇ってきて、彼は溜め息をつく。
 自分の部屋は、彼が飛び出した日、そのままの状態だった。床にはまだ彼の短鞭が、あの春の宵、なんの気がかりもなく馬で散策に行ってきた時のまま、打ち捨てられていた。 小型の寄木細工の文机のところまで行って、財布と、アルソン拳銃を二丁取り出す。ポール・マオンで戦死した伯父からの贈り物である。
 礼拝堂の中は、一筋の月光で淡く照らされていた。エティエンヌは長い間祈る。祭壇の右手には平墓石が一つあり、彼は心の中でその銘を唱える。

                 主の御元
       貴族ノルベール・リュック・ド・ピュイベリヤール伯爵の妻
          貴婦人エリザベート・ソフィー・ドーブテール
                 ここに眠る
          1787年3月18日 ラエタールの日曜日に
               神の平安の中に永眠す

 もう少し下方には、ピュイベリヤール一族の家訓が、死に挑むかのように輝いてい
た。
       Ut sol,super omina fides
        《汝の信仰が太陽の如くすべてを照らさんことを》

 彼の母……
 その面影が目に浮かぶ、繊細な顔立ち、明るく美しい瞳、青ざめた顔を彩る微笑み、疲れが額に刻んだ皺までもが。
 あの美しい春の日が、母が終わりまで生きることのなかったあの春が蘇る。母の最後の言葉が聞こえるような気がする。
「神がおまえを守って下さいますように……、今までのように優しく、強く生きるのよ、坊や。回りの人々に、おまえの持っているその黄金を、おまえの優しさを分けてしまったらなくなってしまうなんて思ってはだめよ。一番頼りになる、一番価値のあるその黄金を。でも、おまえがそんなけちな子じゃないことは知っているわ……。おまえの黄金を惜しみなく使うのよ、この世で一番無垢な……一番無垢な黄金を……一番無垢な……」 
 エティエンヌは長い間祈っていた。新たな力が彼に満ちてきた……。
 彼は振り返ることなく、わが家を離れた。もう二度と戻ることはないのだろうか?
 出帆だ!
 エティエンヌは夜明け前にル・プレシに帰り着いた。すこし後でフィリップは愛情をこめて尋ねた。
 「脱出行には満足できたかい?」
 それでは従兄弟は彼がいなくなったのを知っていたのだ。
 「うん、フィリップ。捜しに行ったものが見つかったよ!」
 そしてエティエンヌは幸せそうに微笑んだ。
                
               * * *

 角笛の音が響き、狩りが始まった。
 今回は狩りには向かない季節だったので、少年達は石の投擲距離ほどの間を空けて、二手に分かれた。森はまだ生い茂っていなかった。動物の足跡は小道に密生する草に覆われて見えず、獲物の追跡は偶然に頼る他なかった。だが猪がいるのは確かだった。乾いた地面に僅かに残された跡がそれを物語っている。最後尾にいたジルがふいに叫ぶ。
「いたぞ!」
 巨大な離れ猪であった。狩人達は樫の木の陰に一瞬静止している獣の姿を目にすることができた。それから猪は茂みに消えていった。アンリとエティエンヌとルイは猪の追跡を始めた。その間フィリップと他の仲間は大きく先回りして包囲にかかった。
 馬達は濃い緑の中、活発に歩を進めた。獣の匂いに一旦躊躇した彼らも、今は見事に騎手に従う。猟犬がいないのを悔やみつつ、フィリップは日の届かぬ藪に目を走らせ、乗馬を駆った。
 トランペットが三回鳴らされ、フィリップは猪が自分たちの方へ向かって来るのを知った。追っ手はギャロップで迫り、包囲されたのを悟った猪は急停止した。唸り声を上げて威嚇しながら、素早く馬から降りた狩人達の包囲網を突破しようとする。
 アンリは短刀を抜き放ち、獣は傷つく。フロランは自分の方によろめいて来た獣との衝突を避けて、包囲網を開く。猪が待ち構えていた場所に来たのを見て、ジルは落ち着いて銃を構え、撃った。まともに頭部を撃ち抜かれて倒れた猪に、イヴは敏速に短刀の一突きを加え、とどめを刺した。
 再度、トランペットと角笛が、狩人達の歓喜の内に鳴り響き、高らかに《捕獲》の調べを奏でる。
 髪を振り乱し、汗まみれなった仲間達は、新たな喜びの中でお互いを祝福する。
 アンリは敬意の印に猪の耳を贈られた。
                * * *
 
 エティエンヌはかがり火の回りに彼の仲間を集めた。もう夜だった……。彼は一振りの剣を手にしている。1月21日の血に染まったハンカチが鍔の下方に結ばれていた。
「我が友よ……」そう言うエティエンヌの声には、深い親愛の情がこもっていた。
「我々が、同じ冒険に、壮大で苛酷な遊戯に共に参加するようになってから、きのうでちょうど四ヵ月になる。君達は良く耐えた。ジャンとフィリップと俺は、我々の理想に君らがさらに強い絆で結ばれるにふさわ しいと見なし、そのことを喜ばしく思う。
 君らに誓いをたててもらいたい。我々の誓い。そして我々はいっそう深い縁で結ばれるであろう」
 そしてエティエンヌと二人の友はゆっくりと、かってこの同じ場所で交わした言葉を繰り返した。
「ルイ・ド・ラ・ルノードリー、汝は汝の信仰と王の為にその身を捧げるか?汝が剣を持て護らんとする信仰と、この聖なるハンカチが、彼が人民の為に流した血を物語る、あの国王に」
「はい、捧げます」と少年は答えた。 
 ルイは、手にした剣の先端をまっすぐに地面に突き立てているエティエンヌの前に方膝を突く。そしてルイはその鍔に片手を置き、エチィエンヌの眼をを見据えながら、澄んだ声で誓う。
「神の御前に僕は誓う、我々のヴァンデに尽くすことを。もし必要とあれば、この命
を神と国王の為に捧げることを誓います」
「イヴ・マヌロー……フロラン・ブリドノー……ジル・ド・フォルマニイ……」
 さらに三たび、同じ儀式が繰り返される。
 このとき、それまで控えめに一人離れ、この様子を見守っていたアンリがおもむろ
に近づいて来た。そして、今度は彼が、エティエンヌの前に片膝を突いて跪く。エティエンヌはすっかり動転してあとずさりする。
「君達全員に請う」、アンリは消え入るような声で言った。
「もし僕がそれに値するなら、君達の仲間の一人と見なしてくれることを」
「頼む」、アンリは激しい感動にかられたエティエンヌに呟く。
 エティエンヌはやっと聞き取れるような声で言う。
「アンリ・ド・ラ・ロシュジャクランよ、神の御心のままに、汝の信仰と汝の王を護
る為、その身を捧げることを受け入れるか?」
「はい」と、青年は答えた。「我が命尽きるまで」
 そしていま一度、誓いの言葉が静寂の中に響く。
 荘厳に、夜はすべてを高揚させ、この情景に叙事詩にふさわしい偉大さを与えていた。
                                
                          @      この章終わり


訳者コメント

 一章まるまる訳出したのはこの部分しかありません。やはり、昔訳したときのまま
でほとんど手を加えないで公開してみました。
一言で言えば私はアンリとこんな素晴らしい一時を過ごせたエッちゃん(勝手にそう読んでる)たちが心底うらやましい!小競り合いの部分なんか、もう想像しただけで笑いがこみ上げてきてしまうし、最後の誓いの場面の演出なんてもうたまりません。
 改めて読み返してみると、あのときと同じようにエティエンヌや少年たちと同じ時を過ごしているような切ない感じがします。私がかって一度もなったことのないはずの『少年』、あるいはそうであっても現実には経験し得ないような、ピュアでドラマチックな少年たちの世界をこれほど美しく描き出した作品はあまりないでしょう。
 少年達の友情の絆のみならず、現代では危険視さえされ、単純な軽蔑や排除の対象ともなりがちな理想的騎士道精神とでも言うべきもの、忠誠心や信仰といったもののあり方が、ここには何人にも侵され難い形で息づいているように思えるのです。

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