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■ふくろう党蜂起とは■

ふくろう蜂起というのはやはり、フランス西部を中心に起きた反革命の蜂起を差しています。ふくろう党の名前は、低地メーヌのふくろう党の首領の一人であるジャン・コットローのあだ名、モリフクロウを意味するchat huantがなまったシュアン(chouan)から来ています。

ヴァンデ戦争も西部の反革命蜂起ですが、この二つは現在でも混同されることが多く、革命から長い間、ヴァンデの反徒をふくろう党と呼んだり、また地理的、性格的にふくろう党蜂起の中に入ると思われる事件をヴァンデ党と位置づけている文学作品もあります。

ふくろう党蜂起とヴァンデ戦争を比較してみましょう。

まず地理的に見ると、ヴァンデの蜂起が起こったのは、ロワール川以南の地域であるのに対して、梟党蜂起はロワール北岸のブルターニュ、メーヌ、ノルマンディーが中心になっています。

ヴァンデの反乱軍は、「大カトリック王党軍」を名乗り、大規模な軍隊組織を作って戦ったのに対し、梟党蜂起は小規模な集団がそれぞれの地域の首領の元に集まり、主にゲリラ戦によって共和国に立ち向かったのです。

蜂起の原因はやはり司祭の弾圧が深く関わっていますが、ふくろう党蜂起の方がより「政治的」、と見られる向きもあります。また場所や次期にばらつきがあり、さまざまな人物が活躍するので、その全容を時系列に沿ってまとめるのは非常に難しい試みであります。

梟党蜂起は時期的に、第一次から第三次までにわけられ、1801年の「政教条約」をもって一応の終結を見ることになります。

ジャン・コットローを中心にしたメーヌ地方の蜂起はヴァンデ戦争に先立つ92年から勃発していますが、第一次梟党蜂起と正式に呼ばれるのはヴァンデの王党軍が壊滅した後、94年春から95年の「マビレの和約」までとなっています。第二次、第三次については順次記していこうと思います。


1ふくろう党蜂起の父、ラ・ルアリー侯爵と『ブルターニュ連合』

2ふくろう党蜂起の名付け親、ジャン・シュアン

3ヴァンデ戦争とふくろう党蜂起

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