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■ふくろう党蜂起の舞台を訪ねて その1の1■

今回の旅行の中心も、すでに幾度か足を運んだラヴァル近郊でしたが、ラヴァルに向かう前にお隣のレンヌまで足を伸ばしました。この町は以前旅行の途中で一泊したことがあるだけで、ゆっくり見たことがなかったのでした。六月のことです。

1レンヌ裁判所(旧レンヌ高等法院) 

レンヌ訪問の目的は、この旧レンヌ高等法院の見学でした。数年前、この建物は火事になり、ほぼ全焼の憂き目を見ました。十八世紀のレンヌの大火でも焼失を免れたレンヌ高等法院が、二十世紀の終わりに丸焼けになってしまったのです。
そのときニュースを見ていたら、旧レンヌ高等法院が炎に包まれるのを前に、涙している土地の人々が映し出されていました。フランス革命勃発直前に起こった、レンヌ高等法院の反乱事件などに象徴されるように、旧レンヌ高等法院はブルトン人の誇りであり、彼らの独立のシンボルなのですから。
ところでご存じのように、西欧の建物はほとんどが石造です。だから火事で全焼といっても、中だけが燃えて、外壁は燃え残るのが普通なのです。
そのせいか、かなりのダメージにも関わらず、絢爛豪華な内部の装飾を含め、修復作業が旧ピッチで進められ、昨年には再び以前の姿を取り戻しました。
見学しようと正門に行ってみましたが、扉が閉まっていました。近くのクレープ屋で昼食を取るついでに聞いてみたら、見学できるのは七月からだとわかってがっかり。わざわざ半日取ったのに……。
さらにレンヌ市博物館を訪ねても、一番の目当てだった所蔵品の「ラ・ヴァリエール嬢と子供達」の絵が見つからないではありませんか。ちょっと不毛な滞在で、一泊しなくて良かったと思いました。
明日は夏至の日とは思えない寒さで、デパートで羽織るものを買ってしまいました。

2ラヴァル城 

マイエンヌ川のほとりにたたずむラヴァル城の威容です。
九十三年十月、ショレの戦いに敗れ、ロワール渡河を決行した大カトリック王党軍が、最初の補給地として立ち寄ったのがマイエンヌの首都、ラヴァルでした。
ラヴァルはラヴァル伯爵の称号を持つ名門、ラ・トレムイユ家のお膝元です。ラ・トレムイユの出身であるタルモン公爵は、当主で亡命中の兄、タラント公爵に代わって、ラヴァル城主として王党軍の将官たちをもてなしました。新総司令官アンリ・ド・ラ・ロシュジャクランの意向に反して、ラヴァル城で作戦会議が開かれた、とも伝えられています。
以後始まる「ガレルヌ彷徨」と呼ばれる悲惨なロワール北岸戦の間、王党軍は計三回ラヴァルを占領しました。

3ラヴァル市内の邸宅 

今日からは想像もできませんが、フランス革命の辺りまで、ラヴァルは亜麻布、麻布の生産地としてフランス有数の活気に満ちた町だったのです。
城下町には、往時の栄華をしのばせる美しいブルジョワの邸宅などが、今でも沢山残っています。

4サン・トゥアン・デ・トワ村の一本道  

ラヴァルに到着した王党軍のもとに、援軍として駆けつけたのは、この低地メーヌ地方や、隣のブルターニュ地方のふくろう党員、つまりシュアンたちの部隊でした。
中でも一番有名なのは、シュアンの名付け親ともなったジャン・コットロー、通称ジャン・シュアンでしょう。彼はラヴァルの西にあるこのサン・トゥアン・デ・トワ村の出身で、部下には同じ村の若者たちが多くいました。
このように、一本道の両側に家が並んでいるだけ、というのが典型的なフランスの集落の風景です。

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