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■ふくろう党蜂起の舞台を訪ねてその1の2■
5ラ・クロズリー・ド・ポワリエ(ジャン・シュアン博物館) 

ジャンとその家族が住んでいたのは集落からさらに離れたこの農園でした。
クロズリーというのはこの地方で一般的な、自作農の農園の呼称で、ポワリエというのは梨の木のことです。手前の納屋は十九世紀になってから建てられたもので、奥の母屋はほぼジャンの生きていた頃のままです。特に貧しくもなく豊かでもない、メーヌ地方の普通の農家だったことがわかります。
現在この農園は、ジャン・シュアンと低地メーヌふくろう党蜂起についてと、十八世紀のこの地方の農民の暮らしぶりがわかる博物館になっております。
開館は4月から9月までです。

6アントラム戦ジオラマ 

博物館の展示品の一つ。
ラヴァルに到着した王党軍は近郊のアントラムで、共和国軍を撃破し、進路を開きます。
このとき地理に詳しいジャン・シュアンは、抜け道を通って敵の背後からの奇襲によって戦功を上げたと言われています。

7ボカージュの風景 

ポワリエ農園からのびる一本道。両側に高く生け垣がそびえた、典型的なボカージュと呼ばれる灌木地帯の風景です。ボカージュは主に西部フランスに多く見られ、ヴァンデ戦争、ふくろう党蜂起とともに、ゲリラ戦を戦う上で大きな役割を果たしたことは否定できません。物陰に隠れて待ち伏せをし、襲撃するのには最適の地形です。
ジャンは、敵がやってくると、この一本道を通って姿をくらました、と伝えられています。

8うろのある木 

なんということのない立ち枯れの木なのですが、お世話になっている元村長さんから聞いた話が印象的でした。昔、このような木のうろから、銃を持った骸骨が発見されたそうです。恐らく傷ついたふくろう党員が、うろの中に隠れていて、そのまま絶命したのでは……。というお話。このうろは人間が入るには狭すぎるようですが、現地の人から聞くと生々しい感興をおぼえます。土地に伝わるさまざまな伝聞というのは、歴史書とはまた違ったスリリングな面白さがあるので、これからも紹介していきたいと思います。

9木こり小屋 

ジャンが生まれたのはポワリエ農園ではなく、ラヴァルに近い森の中の木こり小屋でした。ジャンの父は木こりで、森から森へ、このような小屋を転々として暮らしていました。
コットロー一家がポワリエ農園に住むようになったのは、ジャンの母親が遺産を相続してからです。この小屋は農園の敷地に再建されたものです。

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