反革命の大天使 アンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン 

2・蜂起

そもそも三部会が招集されたのは、フランスの赤字財政を埋めるためであったが、憲法制定議会はこの赤字を埋めるために、教会財産を売却することにした。そうなると司祭たちの収入がなくなってしまう。この問題を解決するために採択されたのが、「聖職者民事基本法」である。以後、すべての聖職者は民間の選挙によって選ばれ、公務員として国家と憲法に忠誠を誓わねばならなくなった。
 ところが九十一年四月に、ローマ法王がこの法律を断罪したのをきっかけに、聖職者たちは宣誓を行った宣誓司祭と、宣誓拒否司祭に分かれていき、フランスの教会は二分されるのである。ポワトゥー地方などフランス西部では、とくに宣誓を拒否するものが多かったようだ。やがて宣誓拒否司祭の迫害が始まったが、土地の農民たちは、昔馴染みの司祭たちに愛着を感じていた。自分たちの教区の司祭が追放されたあとも、深夜などに宣誓拒否司祭の行う非合法ミサに参列した。彼らは自分たちの生活に深く根ざし、なによりも心の拠り所であるカトリックの信仰が、革命の名において蹂躙されることに我慢ならなかったのである。九十二年の夏には、大規模な反乱には至らなかったが、この地方の各地で宗教的弾圧に対して、最初の火の手があがった。初めは、自由、平等の思想や、減税などに期待し、革命を支持した彼らは、「聖職者民事基本法」を拒否し、やがてそれは革命そのものに対する反感となっていく。
 アンリがクリッソン城で九十三年の新年を迎えてまもなく、一月二十一日に、ルイ十六世が処刑されるとの報がもたらされた。
「なんということだ。国王陛下が……」
 アンリは静かに涙を流し、レスキュール侯爵以下、皆熱心な王党派であったクリッソンの住人達は言葉を失い、何日も悲嘆に暮れて過ごした。
 しかし、このときは彼ら貴族たちを除き、一般的に人々の反応はまだ穏やかだった。
 春になり、第一次対仏同盟が結ばれ、フランス共和国がヨーロッパ諸国からの攻撃にさらされることになると、情勢は一変した。
「祖国は危機にあり!」
「今までのような旧王立軍と、志願兵のみの軍隊では、外敵に立ち向かうことなどできない」
 国民公会は、徴兵による新たな革命軍の組織を始めた。
 こうして発布された「三十万人動員令」によって徴集が行われることに対して、フランス西部では、農民達の怒りが爆発した。
「俺たちは、初めは革命に期待した。だが、革命は俺たちに何ももたらさなかった」
「革命は、俺たちの司祭さまを取り上げた。俺たちの神様を取り上げたんだ」
「そんな革命が作りあげた共和国を護るために、戦争にいかなきゃならないのか」
「まっぴらだ。徴兵反対! 共和国に対して立ち上がるんだ」
 このようにいきまいてみたものの、彼ら農民や手工業者だけでは、どのように戦っていいものか皆目見当がつかない。信頼のおける首領に、統率を、指揮を委ねることが必要であった。初めに徒党をなした農民たちが指揮官として担ぎ出したのは、彼らと同じ平民だった。昔から人望の厚い、行商と運搬を生業とするカトリノーや、下士官あがりでコルベール伯爵の密猟監視人をしていたストッフレなどである。後にヴァンデの反乱と呼ばれる、フランス史上、最も悲惨な内乱はこうして始まったのである。
 しかし、平民の首領だけでは不充分だった。戦争のプロフェッショナル、つまりもと軍人の貴族たちの助けが必要なのだ。
「領主さま、わしらの先頭に立ってください」
 あちこちの城館に、農民たちが押しかけた。フォントクローズの館では、もと海軍士官のシャレット勲爵士が、ラ・バロニエールの館では、ボンシャン侯爵が、ラ・ヴェリーの館ではサピノー勲爵士が呼び出され、出陣を要請される。彼らは初め、反徒たちを率いるのを渋った。職業軍人であるがゆえに、武器らしい武器も持たず、訓練も受けていない農民たちとともに、共和国の正規軍を相手にする無謀さを承知していたのである。シャレット勲爵士は、
「俺は船乗りだ。陸戦のことは知らない」
 と、いいわけしたと伝えられている。しかし、農民たちの半ば脅し混じりの懇
ついに彼らは折れざるを得なかった。
 クリッソンのアンリのもとにも、若者が一人、領民を代表してやってきた。
「もし、若様が国に戻られて、お姿を見せて頂ければ、くにのやつらは皆、若様のもとに集まるでしょう」
「わかった。君たちと一緒に行くよ」
 アンリは直ちに若者の提案を受けた。他の貴族たちのような躊躇はなかった。二十才で独身の彼自身もまた、「三十万人動員令」の対象だったのだ。
 自分が、共和国軍に入って戦うなど、ありえない。と、アンリは思っていた。ならば、どのような行動を取るのか、答えは向こうからやってきたのである。遅かれ早かれ、自分はこの反乱に加わっただろう。敬虔な田舎の人々に囲まれて、カトリックの信仰が何よりも大切なものと教えられながら、アンリは育まれてきた。神と教会を護り、領民たちを護るのが、中世から彼ら騎士階級に課せられた義務ではなかったか。時代の流れに逆行した暴挙といわれようと、アンリの取るべき道は一つしかない。
 レスキュールは、アンリに別れを告げる。
「私もどんなにかお前と共に行きたいと願っているか、察してほしい。しかしクリッソンの城主として、今、不用意に反乱に加わって、家族や友人を危険に曝すわけにはいかない。お前の足手まといになるよりは、ここに残っていよう」
 アンリは従兄に飛びついて、抱擁しながら言った。
「僕のせいで、みんなが敵の手に落ちるようなことになったとしても、必ず助けに来るよ」
 ヴィクトリーヌは、従弟の鋼色を帯びた青い瞳が見開かれ、今まで見たことのなかったきらめきが走るのを見た。彼女が知っていた、内気な眼差しの代わりに、誇りと情熱に満ちた、猛禽類の眼があった。
 四月十三日の朝、ラ・デュルブリエールの中庭は、手に手に鎌や鉈などの農具、棍棒などを持った農民たちで埋めつくされた。銃器類を持っているものは、ごく僅かだった。やがて城館の扉が開き、彼らの希望を担う青年領主が現われると、嘆息ともざわめきともつかぬ物音が、群衆の間から発せられる。黒のシルク・ハットに濃紺のフロックコート、象牙色のキュロットに膝当てのついた乗馬靴といういでたちのアンリは、まだ、少年といっていいような年頃だ。
 アンリは、驚きと不安が混じりあった視線が自分に向けられるのを感じ取り、気後れしそうになる。見渡せば、小さい頃一緒に野原を駆け回った幼なじみの若者たちの顔もあれば、噂を聞いて遠くからやってきた見知らぬ顔もたくさんある。
 ……何をおびえているのだ。と、アンリは自分に言い聞かせた。彼らの信頼を裏切ってはいけない。
 呼吸を整えながら、ゆっくりと帽子を取り、零れ落ちたブロンドが春の日差しに輝きだすと同時に、自分でも思ってもみなかった言葉がほとばしった。
「もしここにいるのが父上だったら、君たちの信頼をより多く勝ち得たに違いない。僕自身は子供に過ぎないけれど、君たちを率いるのにふさわしいことを、少なくとも身をもっ
て示したいと思う」
 皆の表情が、見る間に期待と愛情のこもったものに変わっていった。
「僕が前進するときは、後に続け。僕が後退するようなことがあったら、殺してくれ。そして、僕が死んだら、かたきを討ってくれ!」
 農民たちは歓呼をもって答えた。アンリ・ド・ラ・ロシュジャクランはこのときから、伝説の人として生きることになるのである。

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