反革命の大天使 アンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン 

3・反革命の大天使

アンリの指揮する反乱軍は、レ・ゾービエで共和国軍の武器弾薬を奪い、勢いに任せて敗走する共和国軍を追撃した。
「なんと、勇敢な若様だろう」
「娘っ子みたいに、優しげな顔をしてるのに」
 ひとたび、アンリの戦いぶりを見るや、農民たちは舌を巻いた。射撃の正確さでは、アンリにかなうものがいないので、回りにいた者たちは、次々と銃を装填してはアンリに手渡すのに専念したほどである。
 難しい命令を下しても、農夫たちには理解できない。敵の銃声に及び腰になることも、しばしばだ。
「散れ!」「伏せろ!」
 アンリは簡単な言葉で、農民たちに指示を与えた。そして、自ら先頭を切って、敵に向かっていく。当時はまだゲリラ戦という言葉はなかったが、ボカージュ独特の地形を利用して戦う方法があることに、アンリは早くから気がついていた。生け垣や、土手に囲まれた道は待ちぶせに最適だ。敵を急襲したかと思うと、反乱軍はどこへともなく姿を消し、何事もなかったかのように、畑仕事を続ける農民たちに戻ってしまうのだ。
 クリッソン城の人々は、アンリが出撃してまもなく、反革命容疑者の嫌疑をかけられて、
全員が連行され、近くの都市ブレシュイールの市民の家に監禁されていた。
「賊軍がこの町に向かっている!」
「早く、逃げるんだ!」
 通りのただならぬ気配に、レスキュール侯爵が窓から見下ろすと、共和派の住民たちは慌てふためいて逃げ惑っている。
「賊軍ですって?」
 不安そうな妻に、レスキュールは笑いながら答えた。
「心配することはない。賊軍というのは、我々の味方だ。アンリたちが、ブレシュイールまでやってきたんだ。あの子は約束を守ったんだよ」
 自由の身になったレスキュールも、ベルナール・ド・マリニーその他のクリッソンの仲間と共に反乱軍に加わった。フランス西部の各地で、ほぼ時を同じくして突発的に起こった反革命の暴動は、ヴァンデの反乱と呼ばれてはいるものの、現在のヴァンデ県のみならず、ロワール・アトランティック、ドゥー・セーヴル、メーヌ・エ・ロワールの各県に跨った。アンジューとポワトゥーの二つの地方にあたる、この約百キロ四方の区域が、「ヴァンデ戦争区」と呼ばれる。 
 合流した各反乱軍は、「神のため、国王のため」を旗印に、「大カトリック王党軍」を名乗り、一大反革命軍を形成したのである。大部が農民や、職人などで占められ、武器や装備などは軍隊というにはほど遠かった。服装もまちまちで、共通していたのは、王党派を表す白い帽章と、胸につけたキリストの心臓を表わす聖心、サクレ・クールの記章のみであった。
 このような状況にもかかわらず、四月から六月にかけて、大カトリック王党軍は勝利に次ぐ勝利を納めた。ブレシュイールに続き、トゥアール、フォントネー・ル・コント、ソーミュール、アンジェなどが、白軍、つまり王党軍の手に落ちたのである。
 相手の共和国軍が、ボカージュの地形に不慣れだったことや、無能な司令官に率いられた烏合の衆だったせいもある。正規軍とはいっても、突然兵隊にかりだされた、農民たちがほとんどである点においては、王党軍と変わりはなく、装備も不充分で裸足のものも多かったのである。彼らは、その青い軍服の色から、白軍に対し、「青」の名で呼ばれた。 
 戦場のアンリは常に先頭に立ち、銃弾の雨にもひるむことなく兵士たちを鼓舞し、敵陣に突入した。トゥアールでは、弾丸の降りそそぐ中、自ら城壁に亀裂を開け、真っ先に都市の中に飛び込んだのである。
 五月二十五日、大カトリック王党軍が、低地ポワトゥーの中心都市、フォントネー・ル・
コントを攻撃しようとしていた日の朝、指揮官の一人ボンシャン侯爵はアンリの姿を見咎めて、呼び止めた。
「ラ・ロシュジャクラン伯、どういうつもりだね、そのいでたちは」
 アンリはいつもの濃紺のフロックコートに加えて、ショレ特産の赤いハンカチを、一枚は頭に巻きつけ、もう一枚は首に巻きつけ、さらに数枚を腰のサッシュベルトに結びつけていたのだ。
「こうすれば、戦闘のとき、農民たちにいい目印になるでしょう」
 だが、味方の目印になるということは、当然敵の格好の標的にもなるということだ。アンリの友人でもあり、冗談好きなボンシャンも、いつになく厳しい口調で命じた。
「危険すぎる。そんなハンカチは全部取りたまえ」
「嫌です。このまま行きます」
 いつも素直なアンリにしては珍しく、頑なである。ボンシャンは仕方なく、アンリを前線に配置するかわりに、後方で騎兵を率いて敵を掃討する役目を与えた。まだそのほうが、
安全というものだろう。
 ただでさえ目立つ容姿の若者が、派手な赤いハンカチをひらめかせながら、敵を切り倒し、撃ち倒ししながら突撃を続けるのを、共和国軍の兵士たちもそのままにはしなかった。
「指揮官を撃て!赤いハンカチの小僧を狙うんだ!」
 たちまちアンリは、生ける標的と化した。
 じきに帽子は吹き飛ばされ、フロックコートは穴だらけになる。
「ムッシュー・アンリ、その格好はあまりにも危険です。すぐにハンカチを取って下さい!」
 アンリに馬を近づけた一人が、半泣きになって懇願する。 
「どうして? 今のところ、僕には一発もあたっていないようだけれど」
 アンリは平然と答える。
「君たちは、このハンカチを目印についてくればいい。フォントネーが落ちるのはもう時間の問題だよ」
 アンリは言い終わると、乗馬に拍車をかけ、さらに前進した。
「俺たちのムッシュー・アンリをお守りしろ!」
 農民たちの隊列から、誰ともなく声があがる。
「赤いハンカチを持っている者は、みんな身に付けるんだ」
「ヴァンデ戦争区」の中心に位置し、織物業の盛んなショレ製の赤いハンカチは誰もがもっているポピュラーなものだ。アンリに続く騎兵たちも、歩兵たちも、めいめいが上着のズボンのポケットや、たすきがけにした袋から、赤いハンカチを取り出すと、素早く鍔広の帽子や、首の回りに巻きつける。
 こま鳥の胸のような赤い色は、今や無数にちらばり、あたりを埋めつくしていた。後に詩人テオドール・ボトレルが描いたように、あたかもひなげしの咲き乱れる野原に迷い込んだかのようであった。 
 フォントネーの戦い以来、赤いハンカチを身に付けるのが、カトリック王党軍で大流行になった。レスキュール侯爵夫人は、感想を述べている。
「敵は、私たちのことを賊軍だとか、盗賊だとか呼んでいるけど、本当にそんな風にみえるわ」
 やはりフォントネーの戦いで、アンリは敵の猟騎兵将校の一人に挑みかかる。
「降伏しろ!命は助けてやるから」
「小癪な!この賊軍の若僧が!」
 猟騎兵はやにわに鞍袋のピストルで、ハンカチで飾り立てている挑発的な若者を撃つ。アンリは顔色一つ変えず、弾丸が耳元を通り過ぎていくままにしていた。
「くそっ!」
 猟騎兵はさらに腰の二丁のピストルで、続けてアンリに発砲した。だが、アンリは相変わらず馬上で不動のままだった。もう装填してある銃は一丁もない。猟騎兵は観念して、ピストルをすべて投げ捨てると、呻くように言った。
「俺はこれで満足だ。今度はお前の撃つ番だ」
「僕はお前の命を助ければ、それでいいんだから」
 アンリは微笑みを浮かべながら言い残すと、茫然としている将校を尻目に、新たなる敵に挑みかかっていく。
 あたかも中世の騎士の最後の生き残りでもあるかのように、アンリは敵との一騎打ちを好んだ。 
「不必要に自分を危険に曝すようなことは、慎みたまえ」
「こっちのほうが、見ていて気が気じゃない」
 ボンシャンや、レスキュールなど年長の友人たちは、心配して忠告したが、効果はないようだった。無謀な行為にもからわらず、常に何事もなく切り抜けるアンリを不死身だと信じるものまでいたが、一度だけ親指を負傷し、長い間右腕を布で吊っていなければならなかった。
 アンリは、自分が死ぬのが怖いと思ったことは一度もなかった。いつ戦死してもいいという覚悟で、この戦いに加わったのだ。それにアンリが戦場で見せる、意表を突いた無鉄砲な行動は、農民たちを引き付けるに充分だった。
 ソーミュールの戦いで、アンリは美しい白い羽飾りのついたシルクハットを取って敵陣に投げ込んだ。指先を離れた帽子は、弧を描きながら敵の砲台の内側に落ちていく。アンリは農民兵たちを振り返って叫ぶ。
「誰が取ってきてくれる?」
 歓声を挙げて、兵士たちは砲台に殺到した。だが、その誰よりも早く、馬ごと砲陣に舞い降りたのは、アンリだった。
 アンリの若さ、果敢さ、そして優しく敬虔な態度は、王党軍の大部分を占める、純朴な農民たちの心をしっかりとつかんでいた。彼らはその容姿から、アンリのことを「大天使」
の名でも呼んだ。痛々しいほどに澄んだ眼差しを湛えた、二十才の青年こそ、彼らの「聖戦」にふさわしい。同じ頃、パリでロベスピエールの右腕として恐怖政治を行ったサン・ジュストも、美貌の持ち主として知られ、「革命の大天使」の異名を取っていたことを、思い合わせると、アンリ・ド・ラ・ロシュジャクランは、「反革命の大天使」と、呼ばれるべきだろう。
 ソーミュールの戦いで勝利を得たのち、窓辺に寄りかかり、夢見るように、遠くを見つめているアンリの姿があった。どうしたのかと尋ねる友人に、アンリは静かな口調で答える。
「僕たちの勝利のことを、考えていたんだよ。こんなに成功するなんて、自分でも戸惑っているんだ。これはみんな、神様がもたらして下さったんだね」
 このときのアンリは確かに大天使の翼を持っていた。今ならば、勢い付いた王党軍を率いてパリまで進軍し、共和国を倒し、捕われのルイ十七世を王位につけ
可能ではないかもしれない、とアンリは考える。アンリの想いは、高く、遠く、飛翔し、大天使聖ミカエルのごとく剣を振りかざしながら、ノートル・ダムの鐘楼にまで至ったのだ。

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