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(きじんじんじゃ)




【 目次 】




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「新篇武蔵風土記稿」広野村の項では  「鬼神明神社」
埼玉叢書巻六 「鬼神宮別当に関する訴訟」
鬼鎮神社と呼んだのは明治三十年代以後の事
薬師堂 広野広正寺持、本尊は薬師を安置す。一時荒廃したが昭和五十四年(1979)再興。

by 「埼玉大百科事典 第2巻」 埼玉新聞社刊




節分の夜には、豆占が行われる

豆を囲炉裏の灰に12粒並べ、その焼け具合で1年の各月の天候を予想す
る。新しい年のことを予想することから。節分の夜は年末とするという考えが
うかがえる。豆は神に供える供物であったためと考えられる。

by「日本民族大辞典 上」 吉川弘文館




追難

12月晦日の大祓いについで行われ、悪鬼を祓い、悪霊を退け、疫病を除
く儀式。オニヤライ、ナヤライともいう。

平安時代初期の儀式は、群臣が中庭に立ち、大舎人の中から身体の大き
な者が方相氏(ほうそうし)に扮し、方相氏は熊の皮をかぶり、四ツ目の黄金
の目の仮面をつけ、黒衣に朱の裳を着て鉾と盾を持ち、紺の衣に朱の鉢巻
き姿の童子二十人を引き連れて鉾で盾を三度うち、群臣は桃弓・葦矢で鬼を
追いやるものであった。本来鬼は登場しないが、平安末期になると方相氏が
悪鬼と考えられるようになり、群臣が方相氏を射るようになった。