随感随記

「ぼる」

   海外で無責任に連発される「安い」という言葉と同じくらい私が関心しないことがある。「ぼられた」という言葉の誤用である。いつだったか出張の帰りに時間がなくて市内で買えなかったお土産(最初の頃は律儀にそんなものを買っていたのです)を北京空港の免税店で選んでいると、お茶のコーナーで団体の観光客が「同じお茶なのにこっちの方が安いなぁ」と口々に言っている。来るぞ来るぞと思っていたら案の定「ぼられた」というセリフが飛び出した。「日本語も通じて安心して○○元のところを値切ったのにねえ」なんて言っている。気持ちは分からなくも無い。でも冷たいかもしれないが、あなた方は○○元という言い値から値切ってその価格に納得したから買ったんでしょ、と申し上げたい。もちろん生活者ではない方に相場を把握しておけなんて偉そうに言う気はない。そして確かに中国の多くの店では日本の感覚で買い物はできず、私たち「よそ者」には高い値段を吹っかけられることが多くて何かと面倒ではある。

   ただ価格というのは売り手と買い手の相反する利害が辛うじて折り合ったところに生まれる。とにかく買い手がその価格で買ったということは、その商品なりサービスの価値がその価格分あると認めたということになる。恐らく彼らのツアーに組み込まれていたであろうお土産店の価格は空港免税店よりもはるかに高かったのだろう。でも「高かった」のは事実でも、「ぼられた」というのはこの場合妥当な表現とは言えない。「しまった」とか「やってしまった」が正しい。(こう書くと意地の悪い方は、「お前は某メーカーが某軍隊にムチャクチャ高いSE費を払わせていたあの事件を弁護するのか」とおっしゃりそうだが、一納税者としてあの事件は弁護できない。念のため)

   「ぼられた」という表現の正しい使い方はこうである。お客さんとの宴会が終わって酔った勢いもあって、身内だけでちょっとお色気のある店に行きましょうよとなる。まだ北京に来て日が浅い出張者がタクシーの運ちゃんに店を教えてもらう。全員の隣に綺麗な小姐たちが座って、一同大喜び。すると隣の小姐が甘い声で「ねぇ、私たちも何か飲みたいわ、ウッフン」と言い出す。出張者とはいえ商取引のイロハは心得ているつもりなので「いいよ。でもいくらなんだい」と尋ねる。「一杯100元のカクテルなの、アッハン」と小姐が言う。「それならいいよ」ということになりカクテルが出てくる。しばらくすると小姐たちが「あなたたちはステキだから、早くお店を出てボーリングかディスコにでも行きたいわ、チュッ」となる。鼻の下が伸びきった男どもは満場一致で可決。小姐たちは「じゃ、着替えてくるから待っててね、ウッフン」と言い残していずこへと消えてゆく。

    するとおもむろにオッサンが入ってきて明細を渡してくれる。「9000元」。ここで男どもの鼻の下は縮みあがる。「つまみは幾らで、最初のチャージが幾らで、カクテルは一杯100元だからこれはないだろ」となる。オッサンは「お客さん、ウチのカクテルは1000元ですぜ」と妙にドスの効いた声で答える。話にならないのでさっきの小姐たちを呼んでもらう。「一杯100元って言ったよね」と縋るような眼で小姐に念を押す。「何言ってんのよ。1000元って言ったでしょ」。廊下をチラと見るとあまりにもお約束通りに筋肉ムキムキのお兄ちゃんたちがウロウロしている。なんとかその一行は6000元まで値切って会計を済ませて自分の助兵衛ごころを棚に上げてブツクサ言いながら店を退散する。こういうときは堂々と「ぼられた」と言っていい。

 ・「ぼ・る」
  (他五) [口頭] [「暴利」の動詞化] 不当な利益をむさぼり取る。(三省堂『新明解国語辞典』第五版)


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