元寇長門襲来説

風濤の険阻なるを以て辞と為す勿れ(2006/09/24)

■ 海外史料 ■

□ 『高麗史日本伝』


『高麗史』元宗世家(世家042) 元宗七年〔11月〕
癸丑(25日)、蒙古、黒的・殷弘等を遣わし来り、詔して曰く、「今、爾が国の人趙□[イ]来たり、「日本は爾が国と近隣を為し、典章・政治の嘉するに足る者あり。漢・唐より而下、亦た或いは使いを中国に通ず」と告ぐ。故に今、黒的等を遣わし日本に往かしめ、与に通和せんと欲す。卿、其れ、去使を道達し、以て彼の疆を徹して東方を開悟し、向風・慕義せしめよ。茲の事の責は、卿、宜しく之に任ずべし。風濤の険阻なるを以て、辞と為す勿れ、未だ嘗て通好せざるを以て、解と為す勿れ。彼れ命に順わず、去使を阻むあるに托せんことを恐る。卿の忠誠、斯に於いて見るべし。卿、其れ、之を勉めよ」とのたまう。
丙辰(28日)、枢密院副使の宋君斐と、侍御史の金賛等に命じ、黒的と与に日本に往かしむ。

1266(文永3)年11月の記事である。時の国王元宗は、高麗第24代、その元年(1260)に世祖フビライに服属した。その元宗のもとに、蒙古からの使者黒的・殷弘らが訪れ、高麗人の趙□[イ]が日本との関係を勧めたとして、先導を求めた。高麗は宋君斐らを案内役として日本へ向かわせた。


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