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里浦周遊

なんか不満(2010/01/12)

北浦の虫送り

□ 民俗誌

■ 新人物往来社『山口県の不思議辞典』(2007)

サバー送りとはどんなこと?
「ブォーブォードンドン、カンカン サネモリ様のお通りだ!」と、法螺貝・太鼓・鉦で囃し立てながら、村々の青田の畦道をにぎやかに練り歩き、村境で隣村へリレー、順次受け渡しが行われ、最後の村が、人形や供物を海に流した。
この行列は、各地方によって呼び名が異なり、「サバ追い」「サバー送り」「サバー祭」「サネモリ祭」「虫送り」などと呼ばれ、昔は、村の重要な年中行事の一つであった。サバーというのは、稲につく害虫、おもにウンカ(浮塵子)のことで、サネモリ虫ともいう。
行列の主役は、「サネモリサマ」と「サバー」の藁人形である。サネモリサマとは、『平家物語』に出てくる有名な人物、白髪を黒く染めて出陣し、これぞ武士の心がけを示した斎藤別当実盛のこと。では、なぜ実盛が虫送りの主役にされたかというと、北陸路の合戦で木曽義仲の家来、手塚光盛と格闘したが、実盛は稲株に足をとられ、倒れたところを組み伏せられ討ち取られた。この恨みをはらさずにおくものかと、実盛は稲を恨み、死後自らサバーとなって稲を害しつづけた、と伝えられ、これが、いつのまにか、害虫を実盛と見立て、藁馬人形をかつぎ回る風習となった。
この重要な農業風習は、しだいに衰退し、全国的にみても、ほとんど廃れてしまった。しかし、県内でも唯一といってよいこの行事が、長門市に現存する。長門市東深川の「飯山八幡宮」を起点とするサバー送りである。七月中旬、八幡宮での神事のあと出立、サネモリサマとサバーサマの藁馬人形が、肩にかつがれ、太鼓、鉦、法螺貝の囃しに先導されて行列を組む。幟三流も行列に加わるから、奉仕者は、交代要員も含めて、一〇名から一五となる。
神社から境川までの約二キロが一区間、その後、区間数については、引き受けの地域によって異なる。平成一八年(二〇〇六)は、豊北町の阿川に着き、大浦の海岸から海へ投げ入れたと記録されている。
(野村忠司)
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■ 考察

長門市から下関市豊北町・豊浦町にかけての「サバー送り」についての紹介。おおむね間違いはないが、やや物足りない。「虫送り」行事そのものは、文献上では室町時代末期に登場し、斎藤別当実盛の伝説と結びつくのは江戸時代(※1)である。「七月中旬、八幡宮での神事のあと出立」とあるが、記憶に頼れば近年の出立は七月上旬が多い。2006年阿川「大浦の海岸から海へ投げ入れた」とある「記録」は、吉留徹「現在伝承としての虫送り―北浦地方のサバア送りの現在とその変容」(※2)か。

※1瀬戸口明久『害虫の誕生―虫から見た日本史』(ちくま新書2009年)p.24-25

※2『土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム研究紀要(2)』(土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム2007年)p.83

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