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里浦周遊

(2004/07/30 2004/10/06Last Update)

北浦の虫送り

□ 市町村史

■ 『長門市史 民俗篇』(1979年)W:経済生活 一 農業 (3)順調な成育への祈り

サバーオクリは、全国的に分布している虫送りの一種である。
飯山八幡宮で、氏子区域内の田植えが完了すると、藁製の騎馬武者人形二体がつくられ、虫よけ祈祷神事が行われる。虫よけ神事は三日間執行され、満日の日に引受部落有志により藁人形が神社から西深川西端の境川部落と日置町長崎との境まで、鉦・太鼓・法螺貝で囃しながら運ばれる。
人形の一体は「サバーサマ」といい、一体は「サネモリサマ」とよばれるが、二者の間のつくり方に違いはなく、両者でサバーサマとサネモリサマである。サバーサマは、稲につくウンカなどの害虫の神格化されたものとの意識があり、サネモリサマはサネモリオクリなどにみられるように全国的に分布している斉藤別当実盛の伝説に基づくものである。
藁人形二体は、神社が鎮座する藤中部落の有志によって作られる。田植えが終了した六月二十日前後の適当な日に、前年から確保しておいた藁を持ち寄って神社に集まり、人形づくりと馬づくりに分かれあざやかに作り上げられて行く。人形が完成すると、和紙に書いた顔、奉書紙一枚で作る兜、半紙半枚大の和紙でつくった陣羽織が着けられ、一尺程度の木の枝の刀が腰に差される。こうしてつくられた騎馬武者人形は、出発の日まで神社に安置される。
神社から境川までの役二キロメートルを運ぶ引受部落は、現在では東深川の江良、藤中、中山、上郷の四部落の輪番制になっており(むかしは湯本を除く全部落の輪番制であり、人形づくりも引受部落でそれぞれ行っていた)、三日間神事が執行される満日の日に神社に参拝し、運び出すこととなる。出発の日の朝には、サバーサマ、サネモリサマの弁当(竹筒でつき出したメシで、オゴクという)が腰に着けられ、紙の幟三流が神官によって用意される。紙の幟にはそれぞれ、
一、定其禁圧之法
一、為払禽獣昆虫之災
一、天津祝詞乃太祝詞言
と墨書きされる。
数年前からトラックで運ばれることも多くなったが、肩にかついで運ぶ場合は、最低10名の人員を要する。騎馬人形二体で四名、幟三流で三名、太鼓一名、鉦一名、法螺貝一名の計10名で、さらに肩替わりの交代要員やお供の者を含めて十五名から二〇名の行列となる。むかしは、各部落の代表や一般参列者も多くかなり多数のお供が加わり、にぎやかであったらしい。鉦、太鼓、法螺貝で囃しながら、境川に着くと、必ず所定の場所二か所で短時間とまる。ここでは、サバーサマ、サネモリサマの腰につけたオゴクを部落の人が頂戴する習慣がある。これをいただくと夏病みせず、健康が保たれるという。
境川と日置町長崎との境についたサバーサマ、サネモリサマは、以後順次送られて行くこととなる。その行程は、日置町長崎から黄波戸〜古市〜一円〜油谷町久富〜新別名〜河原〜伊上浦〜矛岬(豊浦郡豊北町境)までとなり、この間約二三・五キロメートルである。ただし、出発点の神社や深川地区では、豊浦郡の二見浦まで行くと言い伝えており、豊浦郡豊北町粟野在住の小西常七氏著の『長州北浦風俗絵巻』宮本常一監修によると、
田植がすむと虫送りがおこなわれる。虫送りの人形は大津郡深川の大寧寺から出た。大寧寺は禅宗の名刹である。藁で作った武者人形を棹に通してかつぎ、村から村へ送っていった。粟野浦は伊上の境まで迎えにゆき、真柴病院のところまで持ってくると郷東の者がとりに来て小迫の境まで持ってゆく。金ダライかバケツをたたいて「コレモリサマのお通りだ」ととなえた。最後は湯玉の犬鳴の崖から海におとした。
とあり、少なくとも豊浦郡までは送られていたことがわかる。しかし、昭和五十年から五十三年までの追跡調査では、伊上浦を通過するところまでは確認されているが、最終地点は確認されていない。以上のことから、最終地点は豊浦郡境の伊上浦から二見浦までかなりの幅があることになるが、おそらく年により藁人形を海へ投ずる海岸が変わっているものと想像できよう。昭和五十三年は、六月三十日に神社を出発し、伊上浦まで約一か月を要し、粟野まで運ばれている。
日置町長崎からは藁人形を置く場所が毎年ほぼ決まっており、地点から地点へ運ぶ者は子供が中心である。子供たちは、「サバーサマオークレ、サネモリサマオートモヨ」と囃しながら運び、所定の地点へ置くとすばやく逃げ出したという。置かれた部落では、早くつぎへ送らないとサバーサマとサネモリサマにについているウジ(害虫)が周囲に散ってしまうと言い伝えている。最終地点の海岸からは、「サバーサマカラヘイケ」ととなえて海へ流すという。
油谷町での聞き込み調査や、前述の『長州北浦風俗絵巻』などによると、この人形は、深川湯本の大寧寺から出発していると伝えているが、これは深川の社寺では特に大寧寺が有名であることから来ているものと思われる。風土注進案によると、「氏神社へ村中集会五月蝿送りと申、藁にて人形馬形各二ツを造り紙の甲冑を着せ紙の旗を建て、社人祈祷の後太鼓にてはやし先大津の西の海へ流すと申事往古よりの風俗にて御座候。湯本村此事なし、大寧寺申請虫除の祈祷仕申候」とあり、藩政時代から大寧寺所在の湯本はこの行事に加わっていない。
なお昭和十年代までは、日置町古市へ運ばれると日置八幡宮へ持ち込まれ、途中の安泰祈願と虫よけの神事がなされていたが、現在は中止されている。
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